第二十四章「審問」
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突然だった。
「ガヴィ!」
メルグリンデの来訪は、先触れも無く突然だった。旅慣れた伯母は昔取った杵柄で超特急の旅をして、未だ政務を休んで謹慎中のグネギヴィットを突撃していた。
「ガヴィ、シモンやアレットとは違って、丈夫が取り柄のあなたが床に付いているなんて……!」
「メルグリンデ伯母上」
礼を欠いたのはこちらなので、気遣いは無しで、着替えもしなくてよいとメルグリンデに伝えられたので、グネギヴィットはそのまま寝室で、伯母の見舞いを受けていた。小さな鞄を握り締めた、驚き顔のメルグリンデに向けて、グネギヴィットは困ったように否定する。
「たいしたことは……。周囲のみなが、めったにない機会だからしっかり休んでおくようにと、大げさにしているだけです。ずっと自室におりますもので、わたくしもついものぐさを」
「嘘おっしゃい、せっかく程良いくらいに戻していましたのに、またやつれた顔をして……。あなたにザボージュ様との交際を、お受けさせてしまったことが悔やまれます。当主の身空で、取り返しのならないことをしてくれて、厳しく叱るべきなのでしょうが、こんなあなたを目にしては叱れないわね」
マリカが鞄を預かろうとするのを断って、メルグリンデはそれを膝に置きながら、勧められた椅子に腰掛けた。改めて、自分の様子をしげしげと確かめようとする伯母に、寝衣姿のグネギヴィットはしおらしく目を伏せる。
「至らぬことをしたという自覚はあります。家のことを第一に生きねばならぬ身の上ですのに、私心を捨て去ることができませんでした。面汚しの当主で、誠に申し訳ございません。このままわたくしが、サリフォール家の当主でいてよいものかどうか、謹慎明けにみなさまに問わねばならぬと思っております。……ところで、アレットは?」
メルグリンデがいきなり現れた理由よりも、グネギヴィットが気になってたまらないのがそれだった。グネギヴィットの愛しい妹は、今どこでどうしているのだろう?
「アレットは王都に、王宮におります。あなたを自分が守るのだと、あなたのことも殿下のことも、何もせずに引き下がりたくはないのだと、あの子はとても頑張りました。あの子がこの先、マイナールへ戻れる日が来るかどうかは、ガヴィ、あなたの肩にかかっています」
「それは、一体……?」
「まずは、これを」
不安げに瞳を揺るがすグネギヴィットに、メルグリンデは鞄から取り出した、『
そこに書かれた本当と嘘とを、真っ赤な顔で読み進めていたグネギヴィットの顔色が、最後の最後で紙のように白くなった。
記事を一読しただけで、事態の深刻さに気付いたらしいグネギヴィットに、メルグリンデは続けて、王太子の封蝋が捺された封書を手渡すと、厳かに告げた。
「ガヴィ、此度わたくしは、王太子ユーディスディラン殿下より使者の役目を仰せつかって参りました。庭師の恋人を持っていたというあなたの醜聞は、王都においてアンティフィント家がサリフォール家に向ける攻撃材料では済まなくなってしまっています。殿下ご自身は物事を冷静に受け止めてらっしゃいますが、 殿下のご体面をいたく傷付け辱めたと、両家に対する王后陛下のお怒りが激しく、サリフォール家は今、これまで通りの首席貴族の座を保てるか、王家の信を失い没落に向かうかの瀬戸際に立たされています。
よいですか、ガヴィ。先ほど弱気な言葉を吐いていましたが、間違っても今、あなたが当主を降りることは承知できません。それは王太子殿下に対する不貞行為を認めて、サリフォール女公爵は引責をするのだと、世に思わせることになり兼ねぬからです」
「それで、この、お手紙は……?」
「百聞は一見に如かずでしょう。わたくしに問うよりも、早く開けておしまいなさい。マリカ、ナイフを」
「はい」
間近に控えていた、マリカが持って来てくれた紙用のそれで、グネギヴィットは怖々と手紙の封を切った。懐かしいユーディスディランの筆致によって記された、冒頭の文言の物々しさに、グネギヴィットはうっと息を詰める。
「召喚状っ……!」
招待状とお悔やみ状、そして恋文。それがこれまで、グネギヴィットがユーディスディランから受け取ってきた、紳士的で、優しく甘やかな手紙の数々であった。昔のままでないのは仕方がないとはいえ、これではまるで罪人の扱いだ。
*****
『召喚状
グネギヴィット・デュ・サリフォール殿
世を
結束してデレスの平和を担ってもらわねばならぬサリフォール、アンティフィント両公爵家が、親和ではなく対立を深めてしわまれたことは誠に遺憾であった。
私とお別れをして久しい貴女が、今誰を恋うておられようが、正直知ったことではない、と申し上げたいところだが、サリフォール公には、過去の私に対する不義の疑いあり、たとえ事実無根の嫌疑であっても、そんな噂を立てさせただけでも大問題と、王后がたいそうご立腹である。
また私としても、「求婚までした恋人を、庭師に寝盗られていた憐れな王子」と名誉を毀損されたままにしておくのは実に避けたいところである。
よってサリフォール公には、早急に王宮へ来られたし。
貴女にとっても、おそらく不本意であろう汚名を返上するための、弁明の機会を与えるものである。
もしも貴女が出頭を拒否する、あるいは、潔白であると認められるだけの証拠不十分であると判断した場合には、王后の人質として預かっている妹御アレグリットを、国王ハイエルラント四世の養女となし、以後公式な場以外でのかの姫とサリフォール家一門との接触を禁じ、後にはこれをいずれかの王家へ嫁がせるものとする。
判定は私一人で行う。但し、この審問の席には立会人及び参考人として、近衛二番隊隊長キュベリエール・デュ・アンティフィントを置く。
後の世にまで禍根を残さぬような、十分な釈明をされることを望む。
ユーディスディラン・デルディスティ・ドゥ・デルディリーク』
*****
召喚状を読み終えて、グネギヴィットはしばしの間動けなかった。
むろん、グネギヴィットにユーディスディランを裏切っていた事実などなく、ありもしない不義の疑いを、肉体的に晴らすだけなら屈辱的だが簡単だ。けれどもし……、心の貞節までをもユーディスディランに問われたら、グネギヴィットは一体どうして証明すればよいのだろう?
しかしこのまま、ぼやぼやしてはいられない。可愛い妹が妹でなくなる。私的な交わりを持てなくなる。そして最終的には、ろくに顔を合わすことすらできなくなるというのは、グネギヴィットには耐え難い。
ユーディスディランはそれを見越した上で、さっさと出頭する気になるようグネギヴィットを追い込んでいる。たとえ同じ言い分であっても、時が経てば経つ分だけ、ユーディスディランに不信を与え、言い訳がましく聞こえるような事柄でもあるだろう。
*****
それからの、グネギヴィットの行動は早かった。
マリカにとりあえずの身支度をさせて、呼びつけたソリアートンに幾つもの指示を出す。
床を払った翌朝、少し短くした髪をきりりと結び、兄の遺品の黒衣に袖を通して、グネギヴィットは姿見の向こうにある兄の面影に、心の中で語りかけた。
――兄上、どうかわたくしに、お知恵と勇気をお貸し下さい。あの日兄上が言い残して下されたように、自分の心を、決して偽ることなく、正直に生きてゆけますように……。
*****
王都への出発に先立って、グネギヴィットは一門を招集していた。
その場にメルグリンデがいる訳を説明し、ユーディスディランからの召喚状を読み上げて、ざわめきかける一同を目力で制し、固い決意のほどを宣誓する。
「わたくしはこれより、王太子殿下のお召しに従い王宮へ出頭致します。勝算など、申すまでもございません。必ずや言われなき疑惑を晴らし、王家の信とアレグリットを取り戻して参ります。
そうして姉妹揃ってマイナールへ帰還した暁には、みなさまに、どうかお許しを頂戴したい、議が、ございます――」
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