死刑姉さんと後処理オジサン
福尾 露伴
プロローグ
何が正しくて何が間違っているとか。
誰が正義で誰が悪なのかとか。
立派そうに見えて実はとてもくだらない、こういう事を誰しもが人生で一度くらい考えたことがあるんじゃないだろうか。
答えは単純で、それはほとんどの人がわかる簡単なもの。
多数派だ。
世の中は"数の多さ"でそれは決まっている。
「え?じゃあ人を殺していいって言う人が多かったらそれが正しいの?」
こういう揚げ足取りをしたがる連中は放っておくが、まぁ世の中ってのは数で決まる事が多いことはみんな知っているはず。
小さなことから大きなことまで、数はそれほどまで重要なものだ。
意図知れず、時としてそれは脅威にもなる。
数の脅威。
しかしそれがダメということではない。
そういう考えが今の時代には必要だ。
さっきの揚げ足取りを例にして言葉を変えてみよう。
人を殺していいって言う人が多かったらそれが正しいの?
これは誤り。
悪い人を殺していいっていう人が多かったらそれが正しいの?
これは正解。
意味がわかるだろうか。
人を殺すことはこの現代社会ではダメなことなのはわかる。
だからといって悪い人を殺すのはいいというのは間違っているのではないのか。
それは違う。
違うというと、じゃあ悪い人の定義を教えてくれと言うだろう。
答えを教えよう。それは数だ。
数が全てを物語っている。
確かに多数派というのは危険だ。
明らかに間違っていることをみんなが正しいと言ったらそれが正しくなる。
これが先ほどの脅威に当たる。
だがどうだろうか。この現代社会、特に人間は知能も発達している。
普通の考えを持っているものが多数いるなら、それが正しい。
普通ってなんだよ!っていう人はたくさんいる。
それはその通り、普通とはその時々で変わってしまうので、確かに普通を正しく説明するのは難しい。
それではこういう考えはどうだろう。
「何もしていない善良な人をイライラしてたのでなんとなく殺した」
これが普通ではないことぐらい誰だってわかるはず。
そう、普通というのは詳しく考えてもよくわからないが、考えなくても大多数の人がわかることだ。
じゃあこういう人は殺してもいい、死んでも当然というとほとんどの人はイエスと答えるはず。
それが唯一無二の真理。
今の世界は穢れている。
今の世界は間違っている。
そんな世界を正していくのがあなたたち多数派であり、彼女達なのかもしれない。
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