病離異學書

キョーカ

病離異學書

病伐医術師びょうばついじゅつし?」


 夕暮れ時、ごく普通の一軒家を訪れた若い男の舌を噛みそうな肩書きに、父親と名乗った男性は怪訝な表情を浮かべる。


「はい、我が団体……病伐医術師学会公認の術師です。『医師』で構いません。普段は表でやるような仕事はないので、聞いたことはないかも知れませんが」


 彼は鞄から証明書のようなものを取り出して父親に見せる。確かにこの団体が発行しているもののようだったが、本物かどうかは解らない。父親は今すぐこの胡散臭い雰囲気を醸し出す男を追い出したい気持ちで一杯だった。


「何故こんな田舎に医師とやらがいるんだ? 」


「……息子さんを救いたいのでしょう? 」


 父親はその言葉にぎょっとした。

 そう。我が子は今病気だった。しかも患っているのはただの病気ではない。父親は幼い息子を救いたい一心で、病気を治せる人間を探すため、方々を駆け回っていたのだ。しかしどんな医者も息子を治すことは出来ずにいた。途方に暮れていた時、突然家を訪れたのがこの男。

 よく見ると黒い外套を羽織った彼は妙に色白で身体は細く、彼自身が病人のように見える。こんな男が本当に治せるのだろうか……、しかしもう後がないと判断した父親が声を発しようとした瞬間。

 彼はそんなことお見通しといった様子で帽子を取り、にっこりと微笑んだ。


削都さくとと申します。早速ですが息子さんを診察させて頂いても宜しいでしょうか」


 *


「一ヶ月前からずっとこんな様子で……」


 息子が寝かせられている部屋。綺麗に片付けられていて、父親の真面目な性格が垣間見えた。父親は心配そうに、苦しそうに呼吸する我が子を見詰める。


「……」


「どうですか、息子は助かりますか」


 父親の問い掛けに、横に座っている彼は溜息をつき、予想だにしない言葉を返した。


「ああ、下がっていてください。どうやら私を危険人物と認めたらしい」


 父親が意味を理解する前に、息子が目をカッと見開き何かに弾かれたかのように起き上がった。そして、首だけを不自然な動きで二人に向ける。


【このまま誰も呼ばずにいれば、子供の命だけで済んだのに……】


 子供らしからぬ低い声が部屋に響き渡った。


「な、何を言っているんだ……? 」


 戸惑う父親に、彼は視線を息子に向けたままで静かに告げた。


「診断の結果、この子には『病魔』が憑いています」


 言葉を聞いた瞬間、部屋が揺れ突風が吹き荒れた。一瞬で綺麗な部屋に家具や玩具が散乱し、ガチャガチャという音と共に子供の身体から金属片を集めたような、ただそれだけの……異様な何かが現れる。


「病魔『蓋鎖がいさ』。分類は患者の思考を乗っ取る『操御そうぎょ』。他人との意志疎通を断ち、ただの病気に成りすまして静かに寿命を奪う型のものですね」


 呆然としている父親に、彼は付け足す。


「『大魔たいま』というものを聞いたことはありますか?病魔はそのうちのひとつで、彼らは憑いた者の寿命を奪って生きています」


「た、大魔……、 」


 大魔。普通の人間では太刀打ち出来ない魔物。言い伝え程度にしか聞いたことがない。それがまさか息子の中に潜んでいたなんて。


「ですが、不幸中の幸いです。この病魔はまだ息子さん以外に危害を加えていなかったようです」


 病魔と呼ばれた金属片……蓋鎖はまたガチャガチャと部屋中に響き渡る、耳障りな音を立てる。笑っている、それは父親にも理解出来た。


【だが相手が医術師なら話は別だ。先にお前の命をとざそう……! 】


 金属片のような病魔はバラバラになったかと思うと、無数の矢尻状に次々に形を変えて行く。父親にはもう目の前のそれが何が何やら解らなくなってしまった。


「ご安心を。その為に私が来たのです。すぐに治療して差し上げますよ。……ということで貴方は暫しの間すっ込んでて下さい」


 おおよそ細身の身体からと思えない力で、彼は父親を部屋の隅に引っ張ると庇うように病魔に向き直った。矢尻は彼に狙いを定め、いつでも撃ち込める風だった。


「どうせ息子を盾にするつもりでしょう? 下級病魔の考えることは皆同じだ」


 彼が言い終わるか終わらないかという時、病魔は矢尻を雨霰のように降らせる。部屋中に突き刺さる矢尻。病魔は彼を仕留めた手応えを感じ、ガチャリと笑う。


【人間如きが……、!? 】


 そこにはメスにも似た小刀で矢尻を全て防いだ彼が、先程と同じ位置に立っていた。


「この程度なら破魔刀はまとうで十分……、やっぱり下級病魔ですね。私しか狙ってないなんて」


 彼は笑いながら後ろにいる父親を見た。


「これではっきりしました。お父様。貴方既に病魔に憑かれ、寿命を奪われ尽くしてしまわれています。残念ながら、手の施しようがありません」


「……!? 俺は普通に生きてるぞ」


 またも彼による意味不明な言葉に父親は反論した。しかし、その反論も彼にとってはおかしなものでしかなかったようで、くくくと笑っていた。


「蓋鎖。先程は息子さん以外に、と言いましたがあれは嘘です。貴方の分類は操御。患者の思考を乗っ取る、と言いましたね。貴方が憑いたのは息子さんとお父様の二人。お父様の方は貴方によって仮の寿命で生かされ、健康だと思っているに過ぎません。病魔に憑かれてなどいないと思い込まされた上で」


 同時に、父親の脳裏に見た筈のない光景が過ぎった。天井から息子を診ている医者を見下ろす光景……その後の断末魔。


「ただ、ずっと仮の寿命で生かすのは難しい。もしかしたらお父様は、息子を治すという名目で、誰でもいいから人を呼び、その命を奪っていたのではないですか?……どうせそんなとこでしょう」


【そんな筈はない! 俺はこの子の父親だ! 】


 父親は体を震わせ息子と同じ低い声で叫んだ。そしてみるみるうちに金属片の塊に姿を変えて行く。


「はあ、学会の研究と調査で遠路はるばる中央から北定加伊道ほくていかいどうに足を踏み入れたというのに……、第一号の病魔は貴方ですか」


【俺の息子を治してくれ! 】


 父親の言葉を叫びながら先程よりも更に多い矢尻が、彼に襲い掛かる。


「面倒になりました……」


 削都は実につまらなさそうに溜息をついた。



 *



「さて、次は何処に行きましょうかね」


 それはいつとも知れない時代。何処かで見たような、慣れ親しんだような似て非なる場所。少なくともまだ機械や科学は発展途上であり、大魔たちが人の世を当たり前に闊歩していた頃。


 この国は今『病魔』に蝕まれていた。


「この統境とうきょうは思っていたより広いようです。こちらは寒い」


 削都は不穏な夜空を見上げる。上空から降り注ぐ、雪が彼の頬に落ちた。


「統境の代帝だいていと学会からの命令、病離異學書びょうりいがくしょ作りのための研究と調査。さっきの下級病魔も一応記録しといてあげますか」


 彼は鞄に手を伸ばしかけて……。


「やっぱり止めた」

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病離異學書 キョーカ @kyoka_sos

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