彫刻

睦月衣

彫刻


 誰にも言っちゃいけないとずっと自分に言い聞かせてきたのですが、どうもそろそろ限界のようです。僕の精神のためにも、ちょっと聞いてください。

 十年前のことです。中学生だった僕は、繁華街へ流れる友人達を尻目に一人で美術館に行きました。焦げるような炎天下を彷徨うより、涼しい館内でつまらない展示物を冷やかすほうが得策だと思ったのです。それで、僕は修学旅行の思い出をこのそっけない美術館で締めることにしました。

 館内に入ると、冷たく乾いた風が僕の体を通りぬけていきました。外の暑さもあってか、少し寒気がしました。僕は順路に従って、まず絵画を見ることにしました。ぱっとしない、作者も誰だかわからない作品を流し見て館内を一望しますと、奥に学芸員が一人立っているだけで、客は僕しかいないようでした。

 それから僕は彫刻エリアに移り、また作品を見ていきました。蛇、神、バラ……こちらも大した作品はないようでした。しかし、最後の作品の前で僕の足はなぜかぴったり動かなくなってしまったのです。まるでこの美術館でただ一つ異質なそれが、見てくれと言わんばかりに僕の神経をぷっつんと切ってしまったようでした。それは女性を象った彫刻だったのですが、どういうわけか、異様な空気感を漂わせていました。

 すっかり見入っていますと、「それ、良いでしょう」と耳元で声がしました。びくっとして振り向くと、さっきの学芸員がいつの間にか僕のすぐ隣に立っていました。

「ええ、何だか不思議です」

「そうでしょう。私も気に入っていましてね。この曲線、表情。まるで生きているかのようです」

 僕は視線を彫刻に戻しました。彼の言う通り、それはまるで本物の女性のようにしなやかで、なめらかな質感が感ぜられました。しかし、それが逆に気味の悪さも演出していました。

 僕はそれを、色々と位置を変えて見てみました。するとどこか、彫刻というより生きた人間をそのまま石膏で固めて閉じ込めたように見えるのです。裏側を見たとき、僕は石膏が少し欠けているのを見つけました。僕はその部分をじいっと見つめました。石膏の奥は、何かが黒ずんだような色をしていました。僕はさらにそれに目を近づけ、そして思わず「アッ」と声を出しそうになりました。いや、実際声を発していたかもしれません。それがわからなかったのは、友人が入口から「おい」と声をかけたからでした。

「そろそろ移動するってよ」

 僕は無言で頷き、足早に美術館を後にしました。

 外に出ると、蒸された空気がねっとりと僕の体を抱きました。閉まっていく自動扉から、冷風が足元に吹きつけていました。僕はふと後ろを振り返りました。無機質な扉がほんの少し隙間を残して閉まっていきます。その光景を、僕は一時も忘れたことがありません。あの時扉のすぐ向こうでじいっと僕を見ていたあの学芸員の能面のような笑顔を、僕は今でも夢に見るのです。

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彫刻 睦月衣 @mutsuki_kinu

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