ココル 翼のない天使

青星明良

Episode1 ココル、目覚める

翼のない天使

「ダメ! その子を……ココルを連れて行かないで!」


 あいの悲痛な叫び声が研究所内にひびく。


 つい五分ほど前まで、からくりロボット研究所は大きな希望にあふれていた。


「カラクリ天才夫婦」として有名な愛菜の両親が開発した最新型さいしんがたアンドロイドが起動する瞬間しゅんかんに、みんなが立ち会おうとしていたのだ。


 愛菜、父親の唐栗信人からくりのぶと博士はかせ、研究所のメンバーたち。みんなが、アンドロイドの少女「ココル」が目を開き、第一声を口にする時を楽しみにしていた。


 愛菜は、ココルの完成直前に交通事故で亡くなった母親の唐栗こころ博士のぶんまで、ココルのことを可愛がってあげて、妹みたいに大切にしようと心に決めていたのである。


 でも、たった三人の不法侵入者ふほうしんにゅうしゃのせいで、今は絶望ぜつぼうのどん底だった。


「へぇ~。これが、カラクリ天才夫婦が十年の歳月をかけて開発したっていうアンドロイドか。フン、ただの子供にしか見えねぇな。だが、きっと高性能でパワーもすごいんだろうよ。オレたちサーペント団がありがたくいただいていくぜ」


 三人組のリーダー格らしき男はケッケッケッと下品に笑うと、「熊、ねこ。このロボットをさっさと運び出せ!」と手下二人に命令した。


 熊みたいに体がでかい手下Aは「へ~い」とヤル気のない間のびした声で返事をする。


 警戒心の強いねこのように周囲をきょろきょろ見回している女の子の手下Bは「ほ、本当にこんなことをしてもいいんでしょうかぁ~……」と半泣きになった。


「ロボットを盗むって、すごい重罪なのに……」


「今さら何を言ってやがる、新入り。オレたちサーペント団は、盗んだロボットを使って悪事を働くのが仕事だろうが。つべこべ言っていないで、ロボットを運べ!」


「に、にゃあ……」


 全世界でロボットを使った凶悪事件を起こしている国際犯罪組織こくさいはんざいそしきサーペント団。


 そのサーペント団に所属しょぞくする悪党三人組が、今まさに、最新型アンドロイド「ココル」を強奪ごうだつしようとしていた。


 肝心のココル本人は、まだ起動していない。イスにちょこんと座り、まるで眠っているかのように目は閉じられたままだ。


 ココルの外見は、十三歳くらいの美少女。

 あまりにも人間を超越ちょうえつした美しさのせいで人間には見えない。しかし、あどけない表情で眠っているその姿はロボットにも見えない。


 人間でもロボットでもない。天使か妖精ようせいではないか。

 そう思わせるような神秘性しんぴせいが、このアンドロイドにはある。


 また、キラキラと光沢こうたくのあるパステル・ブルーの髪の色や、愛菜が着せてあげた妖精みたいな純白のワンピースが、ココルをより神秘的にしていた。


「こんな可愛い子を盗んで悪いことに使うなんて、気が引けるなぁ……」


「ねこ! しつこいぞ、早くしろ!」


「にゃあ……」


 サーペント団の三人組は、だれにも邪魔じゃまされることなく、イスで眠るココルに近づいて行く。研究所の警備ロボットたちは、みんな行動不能になっていた。


 三人組が着ている黒いスーツは、着用者の筋力きんりょく大幅おおはばにパワーアップさせるロボットスーツだ。研究所にいきなりあられた三人は、このロボットスーツで大暴れして、警備ロボットたちはやっつけられてしまったのである。


「や、やめろ! オレとこころが十年かけて作った愛の結晶けっしょうきたない手でさわるな!」


 信人はそう怒鳴ったが、身動きがとれない。右足をケガしているのだ。


 研究所の研究員たちも、ケガをしたり、恐くて動けなかったりして、だれも悪党たちを止められない。


(わたしが動かなくちゃ。わたしが、ココルを……お母さんの形見を守らなきゃ!)


 母のこころは、生前、目を輝かせながら愛菜にこう語っていた。


 ココルは世界初の「心が成長するロボット」なのよ。この子が、きっと、人間とロボットが友達として仲良く生きていける未来を作ってくれるはずだわ、と……。


(お母さんがそんな希望を抱いて作ったロボットが、悪いヤツらの道具になったら嫌だ!)


 愛菜は勇気を出して走り出した。臆病おくびょうな気持ちをふりはらい、全力疾走ぜんりょくしっそうする。


「ココルは人間の友達になるロボットなのよ! 悪いことに使ったらダメ!」


「わっ、何だ、何だぁ~⁉」


「にゃ、にゃにゃ⁉」


 手下Aが大きな手で愛菜を捕まえようとしたが、すばしっこい愛菜は手下Aの横をすりぬける。手下Bは気が弱いのか、立ち向かって来る愛菜にビックリして、何も手出ししないまま愛菜を素通りさせてしまった。


 愛菜は、リーダー格の男があっけにとられている間に、ココルにたどり着いた。


「ココル! お願い、目を覚まして! あなた、悪いヤツらに狙われているのよ! 早く逃げなきゃ!」


 愛菜は必死にそう呼びかけ、ココルの肩をする。でも、ココルのまぶたは閉じたままだ。


 起動させるために強力なエネルギーをココルに流しこんでいる最中に、サーペント団の三人組によって研究所を停電ていでんさせられてしまったのだ。


 今はもう電気が復旧しているけれど、起動途中に停電してしまったのがいけなかったのだろうか? ココルは、目覚める前に壊れてしまったのでは……。


「おじょうちゃん、邪魔だ。ケガをしたくなかったら、どきな」


 リーダー格の男の黒い影が愛菜をおおう。愛菜はキッとにらみ、「い、嫌だ!」と言った。


「愛菜! に、逃げるんだ!」


 娘を心配する信人がそうさけんだが、愛菜は動かない。足はふるえていたけれど、ココルを守らなきゃという強い気持ちが愛菜に勇気をあたえていた。


「チッ……。生意気なガキめ」


 リーダー格の男は舌打ちすると、ゾッとするほど冷酷れいこくな表情になり、こぶしをふりあげた。


 筋力が数倍パワーアップしているロボットスーツで顔をなぐられたら、ただではすまないだろう。首の骨が折れるかも知れない。


「お……お母さん! 助けて!」


 愛菜はギュッと目をつぶり、無意識にそう叫んでいた。


 ビュン!


 男の拳が、愛菜の顔めがけてふりおろされる。


 その瞬間、奇跡が起きた。


 ガシッ!


「な……何だと⁉」


 リーダー格の男は、おどろきのあまり目を大きく見開く。ふりおろした拳は、愛菜の後ろからびてきた白く美しい手によって、愛菜の顔に当たるぎりぎりで止められていたのだ。


 そのほっそりとした手は、男の手首をギュッとつかむ。


「う、うわぁぁぁ!」


 リーダー格の男は、まるでボロ雑巾ぞうきんを放り投げるように、遠くへと飛ばされた。


「こ……ココル?」


 愛菜はドキドキしながら、ゆっくりと振り返る。


 そこには、つばさのない天使が立っていた。


 夢から目覚めた直後のようなぼんやりとした表情で、愛菜を見つめている。


 そのチェリーピンクの瞳には、涙を流す愛菜の顔が映る。


「ココル、やっと目覚めて……」


 やっと目覚めてくれたんだね、と愛菜は言おうとした。でも、ココルの愛らしいくちびるが小さく動くのを見て、言葉を飲みこんだ。


 ココルが、何かしゃべろうとしている。


 十三年前に世界で初めて作られた、心を持つロボット「フレンド」は、目覚めた時に「ボクハ、人間ト友達ニナリタイ」と言ったらしい。


 ココルは――人間とロボットの未来を大きく変えるかも知れないこの子は、いったいどんな第一声を口にするのだろうか。


 愛菜や、信人博士、研究所の人々、そして、悪党三人組でさえ、固唾かたずをのんで見守った。


「泣かないで、愛菜ちゃん」


 花が咲いたようなほほ笑みとともに、ココルはそう言った。


 それが、これからたくさんの言葉と出会い、たくさんの感情を知っていくことになるココルの最初の言葉だった。


 今、人間とロボットの友情をめぐる近未来の物語がまくを開けようとしている――。

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