5.1932春 明石中・楠本の覚醒 上

 3月30日、第9回選抜中等野球大会が開幕。今大会から優勝チームに贈られるアメリカ遠征がなくなってしまった。もちろん、野球統制令の影響である。

 大会には中京商・松山商・明石中がそろって選ばれ、前年優勝ということで広島商も出場した。


 この大会ではとにかく明石中の楠本が大活躍した大会であった。明石中は前年から4番捕手の桜井や1番中堅手の梶原などレギュラー陣5人が抜けたが、それを補って余りあるほど楠本の剛球は凄まじかった。一回戦では前年夏ベスト8の広陵中を無四球3安打の3対0で完封。13奪三振で大会史上初の全員三振の記録を作った。二回戦の小倉工戦でも4安打1失点。打線も大爆発して16対1で快勝。準々決勝の京都師範戦でも再び全員三振を達成し14奪三振。おまけに無四球1安打。失策もなく、唯一の走者も併殺でアウトにしている準完全試合である。この大会で二桁奪三振は楠本しか記録しておらず、被安打は3試合で8本。長打はゼロである。


 体格は堂々、がっちりとした身体から重い速球をびしびしと投げ込み、当時の選手たちは「ボールが速く、すごかった。衝立みたいな身体をくるりと半回転する大きなモーションは打つほうにとってはぶつけられるのではないかという恐怖感があって、知らず知らずに腰を引いてしまう。あの大きなスパイクがいやに目に入って、怖気づいてしまった」という証言をしている。

 楠本はまじめで行動に節度があり、部長の竹山九一に叱られるようなこともなかった。性格が温厚で誰からも慕われ、学業成績もよかったため、級長(学級委員)も務めるほどであった。しかし、野球においては全く別だったようである。


 楠本の投球練習に付き合って打席に立たされた明石中の選手も相当怖かったようで、二塁手の横内明は「あの人のボールはどこに来るかわからない。あの速い球をぶつけられたら、痛いなんてもんじゃない。だから、打席に立つのが嫌で嫌で仕方なかった。」と語っている。また、桜井から捕手を引き継いだ福島安治はさらに悲惨で、連日、楠本のボールを受け続けた結果、左手ははれ上がり、青く内出血を起こし、ついには左手は右手より一回り大きくなったという。


 そんな楠本の明石中とは反対のブロックに入った松山商は順調に大会を勝ち抜いていった。前年のメンバーから四番で主将の尾茂田と一塁手の古泉が抜けたが、三森・藤堂バッテリー、二塁手の尾崎、遊撃手の高須、三塁手景浦などが最上級生となり、前年以上の力をつけていた。初戦の岐阜商、準々決勝の八尾中とともに8対0と二桁安打、完封の完勝で順調に勝ち進んでいった。


 中京商も一番の大鹿繁雄と四番の鈴木鋙四は抜けたが、吉田・桜井バッテリーは健在で松山商と同じく7人のレギュラー陣が残っていた。しかし、松山商とは違い、初戦から苦しい戦いとなった。一回戦の平安中戦では、吉田が大会唯一の本塁打を打たれ、続く2回戦では、一回戦で鶴岡・浜崎らが残る広島商を破った坂出商に最終回に追いつかれ、延長までもつれるなど薄氷を履む戦いであった。それでも準々決勝で長野商を下し、準決勝まで勝ち進んでいった。

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