第三章 木塚早苗
千佳も女の子。今日、転校してきた早苗のことは、やはり気になっていた。
「たっちゃん。木塚さんのこと、どう思う?」
「どうって、何が?」
「綺麗な子だよね」
千佳の素直な気持ちだった。そして、達也の前に出て腰をかがめ、達也の顔を覗き込みながら、
「ね、あんな子に好きって言われたらどうする?」
千佳は、答えを聞くのが少し、怖かったが、あえて聞いた。
「いきなり、何を言ってんだよ千佳。つまらないこと聞くなよ」
達也はまるで興味なさそうに、苦笑を浮かべて目の前にいる千佳の頭をそっと小突いた。千佳は例のごとく、大げさに飛びのいて
「痛っ!」
と笑顔で頭に手をやった。そしてなぜか嬉しくなった。
千佳はスキップを踏みながら、再び達也と並んで歩き始めた。達也のこうした、わずかな言動の一つ一つが、今の千佳の心に微妙な影響を与えていたのである。
蕾(つぼみ)をもった花はあっという間である。
違(たが)いなく、千佳の心に蕾となった初恋の花も、早、花びらを開けようとしていた。
千佳は昨日よりも今日の方が達也を好きになっていて、今のこの瞬間、千佳の心には、その甘い香りだけが漂っているかのようだった。
やがて二人は、いつものように達也の家の前に来て、千佳は
「今日は、カレーよ。たっちゃん、カレー好きでしょ!?」
「うん。大好きだよ」
「後で持って行くから」
「まさか、千佳が作るんじゃないだろうな?」
達也は、千佳が怒るのを承知で言った。案の定千佳は
「何よその言い方」
怒った。
「ハハハ。やっぱり」
「やっぱり。って何が?」
「いや、独り言だって」
「目の前に私が居るのに、独り言はないでしょ」
「分かったよ。口では千佳に勝てないからね。じゃ、おばさんのカレー待ってっから」
「まだ言ってるし」
千佳は、口を尖らせて、ドアを開ける達也を横目で見ながら、我が家の木戸を入って行った。怒れば怒る程、達也を好きになる千佳であった。
千佳が木戸を入ると、庭先には早くも何本かの材木が置かれていた。繁が早速、馬小屋を建てるために、知り合いの工務店に頼んだものらしく、工事のための準備も着々と進んでいる様子だった。
翌朝、千佳が家を出る頃にはもう、大工職人の人たちが作業にかかっていた。そのうちの棟梁(とうりょう)らしき人物を千佳は知っていた。確か達也の家を建てた人物である。
「おじさんだったの、工事をしてくれるのは」
千佳が、微笑みながら懐っこい声をかけると、
「やあ、千佳ちゃん。久しぶりだなあ。随分女らしくなったじゃないか。達也とはうまくやってるか?」
千佳は今、はっきりと思い出した。この棟梁は人はいいが、ひどく口が悪いと繁に聞いたことがある。それで千佳も、茶目っ気たっぷりに、
「おじさんに任せて大丈夫かしら」
「ハハハ。千佳ちゃんも、言ってくれるじゃないか。驚くなよ、御殿のような建物を作ってやるから」
「間違えないでね。お馬さんのお部屋なんだから」
「なんじゃ。馬小屋か。わしはまた、千佳ちゃんの部屋かと思っていたがな」
「………。行ってきます」
とても千佳の勝てる相手ではなかった。
「ああ、行っといで。千佳ちゃんが帰る頃には立派に出来上がっているからな」
千佳は驚いて、
「え。そんなに早く?」
「んなもの、そんなに早くできだら大工のオリンピックにでも出るよ」
「もう、おじさんったら」
千佳は、そそくさとその場を去り達也の家のチャイムを押した。
愛と命 @eiki0504
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