第19話 ブルーマンデー、のち

◇◇◇◇


月曜日。

長い一週間のはじまりを告げるその曜日は、多くの学生や社会人から憂鬱の念をこめてブルーマンデーと称されている。

進にとってもそうだ。


日曜日に、姉の馬鹿力によって壊されてしまったタイマーはあれから何度チャレンジしようとびくともしなかった。

進は完全にタイムリープ能力を失ってしまったのだ。


タイマーなしに学校へ向かう道中の進の胸中には暗雲が立ち込めていた。

案の定、朝から自転車にぶつかりそうになるわ、避けた拍子に肩にかけていた鞄を落とし、口が開いたままだった鞄から教科書やらお弁当が飛び出してしまう3段落ちをかました。

おそらくお弁当はぐちゃぐちゃにシャッフルされていることだろう。昼が怖いな、と一層落ち込みながら登校した。


その後もタイマーのことが気になり、授業中さされていることに気付かず怒られてしまったり、そもそも鞄に入っていた教科書が金曜日時間割のままで、月曜日の授業の教科書が足りなかったり。当然、予習もできておらずあてられた問いも答えられなかった。

休憩時間には室内で騒ぐ生徒にぶつかってこけるわ、その拍子に近くにあった机と椅子をなぎ倒して余計に注目をあびてしまうわ、惨憺たる午前中を過ごした。


「はぁ…」


昼休憩、やはりぐちゃぐちゃになっていたお弁当を前に、進は陰鬱なため息を漏らした。

あのタイマーさえあればな、と夢想せずにはいられない。


「なんだ?昨日の体育祭の疲れがまだ残ってるのか?」

「…うーん、そんなところ…」


大口を開けて焼きそばパンを頬張る爽真に曖昧に頷く。


「まあ皆が全力を尽くしたおかげで1位とれたし、よかったじゃん。楽しかったしな!」


にかっと笑う爽真に、それは君だからだよと思うものの声には出さない。

姉にタイマーを壊され、結局恵にもいいところを見せられず、むしろ最後の障害物競走にいたっては恥ずかしいところをみられてしまった。進にとっては、何にも楽しくなかった体育祭だ。

しかし、目の前の友人があまりにも上機嫌なのでふ、と頬が緩んだ。

るんるんと語尾に音符でもつけそうな爽真に質問する。


「何かやけに機嫌いいね?そんなに楽しかったか昨日の体育祭」

「あぁ、体育祭もだけどさ、今日の進はいつもの進だなーって思うと嬉しくって」


満面の笑みを浮かべて2個目の焼きそばパンにかぶりつく爽真に「はぁ?」と素っ頓狂な声をあげた。


「ほら、今日俺進に予習見せてあげたじゃん?」

「あぁ、時間割間違えてたからな…。ありがとう」

「どういたしましてー。それで、さっきも飲み物買いに行く時一緒に連れて行ってくれたじゃん?」

「…うん、お茶忘れたから」


タイマーがない今、1人で人が溢れる昼休憩に自動販売機まで辿り着ける気がしなかったため、爽真について来てもらったのだ。爽真自身は、すでに朝コンビニで買っていたというのだから、申し訳ない気持ちになったが本人はにこにこと笑って承諾してくれた。相変わらずいい奴だ。

悪かったな、と謝ると「いいっていいって」と気にした風もなく「むしろ嬉しかったから」と返してきた。


「ここ2週間くらい、進が進じゃなかった感じがしてさ。今日の進はいつも通りだ」

「…そりゃここ最近、がんばってドジから脱却しようとしてたからな」

「それだよ。いや、別に進に怪我してほしいとか嫌な思いしてほしいってわけじゃないけど、なんというか何でもかんでも俺1人で大丈夫!って線引きされるとちょっと寂しかったというか。後わりとずっとピリピリしてたし」

「…」


爽真の言葉にパチパチと大きく瞬きをした。

進の何ともいえない表情に、珍しく困ったように頭をカリカリとかいた爽真は適切な言葉を探すように視線をさ迷わせた。


「さっきみたいに飲み物買いに行くのに着いていくのとか、進のミラクルを一緒に体験しそうになる時にさ、お前申し訳なさそうにしてるよな。だからがんばってたのかもしれないけど、そんなこと気にしなくてよかったんだよ。友達だし。俺にとっちゃそんなの些細なことだし。勿論進が変わりたいって言うならできるだけ俺だって協力するけど、勝手に遠慮して線引きしないでほしいなって、思ってる」

「…」

「俺じゃ相談されてもすぐに答え出でないかもしれないけど、一緒に悩んで一緒に解決することはできる、と思うから」

「俺じゃ…って。爽真は凄い奴じゃん。いっつも笑顔で、昨日だって大活躍してたし…」


僕とは出来が違うだろ。

だから、そんな爽真と対等になりたかったのに、と進は俯いた。


「体育では、まぁな。でも俺は進のがすげぇと思うけど。俺は馬鹿だからテストでしょっちゅう悪い点とるけど、進はほとんど8割9割とってるだろ。それに、映画を観た時に感動してぼろ泣きしてた時あったよな。俺は映画の内容は面白いと思っても進ほど情緒豊かに楽しめない。それから」

「も、もういいよ…」


つらつら述べる爽真の言葉を遮って、進は先ほどと違う意味で顔をあげることができなくなった。

耳も首も、もちろん顔もどこもかしこも真っ赤に染まっている。鏡をみなくてもわかる。


たぶん、爽真の言葉を止めずにいくら最後まで長所を述べてもらっても、それらは全て進の不運とドジな性格で相殺されてしまうだろう。それほど進のドジは長所を台無しにしてしまう要素なのだ。

いくら他人に気にしないと言われようと、好きになれない要素である。


けれどもこんなにも進をよく見て進と対等な関係でいようとしてくれる、目の前の同級生と友人になれただけで、もう全て許せる気がしてきた。

どんなにドジをしたって情けない姿を見せたって笑い飛ばし、一緒に悩んでくれる友人がいるのなら、無理に過去を修正しなくてもいい、かもしれない。そう思えた。


つんと熱くなった目頭を誤魔化すように、お茶をごくりと勢いよく飲み込む。


「ゴホッ」


勢いあまりすぎて、変なところへ液体が入りむせてしまった。

進は、差し出されたティッシュをありがたく受け取った。


◇◇◇◇


放課後になり、図書室に向かうために席を立った進のもとへ、恵が駆け寄ってきた。


「一緒に図書室行こ?」

「う、うん」


今日はHRの終わる時間が遅く、すでに廊下には生徒達がガヤガヤとグループを作って騒いでいる。その生徒達の間をぬぐって図書室への道のりを歩む。

人とぶつからないように、こけないようにと意識を向けるのとは別に、恵との会話にも神経を注いでいた。


何しろ、タイムリープできなくなってしまったため、下手な受け答えができない。そう自覚すると、時間をかけてつまらない返答をする以前の進に逆戻りしてしまった。タイムリープしていた頃も色々考えながら口を開いていたことには変わらない。

しかし、やり直しができないとなると、特に好きな女の子の前では慎重にならざるを得ない。

ついていた度胸は薄い紙ぺらのごとく、どこかへ吹き飛んでしまった。


「あのね、変なこと言うけど、気を悪くしないでね。悪い意味じゃなくて、今日の時枝君はいつもの時枝君だなって感じた」


会話が途切れ、しばらくの沈黙の後、そう恵が切り出した。

昼休憩にも聞いた言葉が、恵からも出てきて進は目を見張った。


「ここ数日の時枝君が嫌いってわけじゃないの。だけど、私が本を高い棚に戻す時とか苦手そうにしているのに代わってくれたり、私の話しかけた言葉をいつも一生懸命考えて返事してくれたり。そういうところを持ってた時枝君、個人的に好きだなーって思ってて…あ、す、好きって変な意味じゃないよ!?」


慌てたようにパタパタと手を振って顔を赤くする恵に、進までつられて照れてしまう。


「そ、それでね、この間も事故にあった時私が落ち着くまで一緒にいてくれたでしょ?私気が動転しちゃって支離滅裂なこと言ってたのに、ずっと頷いてくれてて…すごく安心したんだぁ。ま、とにかくこの数日の時枝君が悪いってわけじゃないけど、今日の時枝君見てなんかよかったーって思ったのを伝えたかっただけ!」


ごめん、大層な結論はないんだと笑う恵に、むずがゆい気持ちになる。


もっと慰める言葉をかけることができたら。

もっと恵の前でかっこいい自分の姿を見てもらいたかった。

進自身はそうふがいない思いを抱いていたというのに、そんなことを思ってくれていたのかと本人の口から聞くとこそばゆい気持ちになった。


もしかすると、僕は少し間抜けな思い違いをしていたのかもしれないな。


進はふ、と肩の力を抜いた。タイマーなしで恵と共にいるのが怖かったが、その変な緊張が彼女の言葉によってするすると抜けていくのを感じた。


勝手に「こうあるべきだ」と理想を掲げて相手もそう思っているに違いないと思想を押し付けていた。全くドジをしない、完璧な受け答えをし卒なく何でもこなし、間違いを何ひとつしない、そんな人が魅力的なのだと思っていた。

けれども、進の周囲にいる人達はそうではない進がいいと言う。

不運でドジなところは勿論改善したいけれど、そんな自分で安心してくれる人がいるなら、まぁ悪くないかな、と思える。


「あのさ、この間の映画のことなんだけど」


結局障害物競走は1位どころか3位で、体育祭でかっこいいところを見せられなかった進は立ち止まって、恵を見つめた。

恵のまっすぐとした瞳に、「えっと、その」とつっかえつっかえ言葉をつむぎ出す。

先週よりもずっと心臓の鼓動が早鐘を打っている。

手も汗でじっとり濡れているし、喉はからからだ。

逃げ出さないように両足に力をこめる。


「この間、行けなかったから、今度また一緒に行かない?」

「…」

「あ、も、もちろん映画館別の場所でもいいし」


慌てて付け加えると、丸い瞳を細めた恵が「いいよ」と言った。


「体育祭の振り替え休日の金曜日、どう?」

「あ、その日にしよう!」

「決まり!」


待ち遠しいな~と呟く恵は、やはり可愛らしくて、進は頬を染めた。

スキップしそうなほど楽しげに先に歩き出した彼女に、進は慌てて後ろに着いて行った。


「あっと、その前に…」


進はポケットからひび割れたオレンジ色のタイマーを取り出し、廊下に設置されているゴミ箱に落とした。

もう必要ないものだ。


ゴミ箱からは、コトンと軽い音が聞こえた。

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