第3話 その台詞3回目 2

◇◇◇◇


タイマーを拾ったのは、数日前のことだった。

調理実習の授業の後片付けをしている最中、進は家庭科室に落ちていたタイマーを見つけた。

キッチンタイマーのようなその機械は、しかし家庭科室にあるキッチンタイマーとは形が違う。もしかすると教師か生徒の私物かもしれない。


「どうした?進」

爽真そうま…。いや、ちょっと落し物拾ったんだけど」


立ち止まっている進に声をかけたのは高校入学以来の友人である友坂ともざか爽真だった。


名は体を表すを地でいく爽やか好青年風な容貌の爽真は、進のドジと不運に対して呆れたり嫌そうな顔を一度たりとも見せたことがない。

進のドジに巻き添えをくらいそうになった時でも、さっぱりとした様子で「気にすんな」と笑って隣にいてくれる気のいい友人だ。

もっとも、運動神経抜群の彼が物理的に巻き込まれることは一年以上一緒にいて一度もない。むしろ、何かと進の世話を焼いてくれるほど親切の塊のような人物である。

二年生のクラス替えで爽真と引き続き同じクラスなれたと知ったときは、向こう一年間分の運を使い果たしたのではないかと、進は疑ったものだった。もともと運は使い果たされているような毎日を過ごしているが。


「あぁ、先生もういなくなっちゃってるもんな。もうすぐ六時間目始まるし、放課後渡しに行けば?」

「うん、HR終わったらすぐ行く。探してる人とすれ違ったらいけないし」

「俺今週掃除当番だから一緒に行けねぇけど…」


大丈夫か、と心配そうな爽真に進は笑ってみせた。


「大丈夫だって。いくら僕でも教室から職員室まで無事に往復することぐらいできるって」

「…くれぐれも、階段とかでこけるなよ?手摺りをちゃんと持って歩けよ」

「はいはい」


小さな子供に言い聞かせるような注意事項を聞きながら、進達は教室に戻った。


六時間目の古文の授業でまたしても一悶着ならぬ一ドジを起こした後、HRを終えた進は机の中に教科書とノートを突っ込んで席を立った。

早速、先ほど拾ったタイマーを届けに、職員室へ向かうのだ。


掃除時間になると教室から追い出された生徒と、教室前担当の掃除当番の生徒が廊下にごちゃごちゃと溢れ出て、道を通るにも一苦労する。

中学生のように廊下をバタバタと走り回るような生徒こそいないが、ふざける生徒がいないわけではない。

彼らのあそびに巻き込まれて不運に見舞われる可能性は、できるだけ回避したい。


「気をつけてなー」


箒を手にした爽真の声を背に受けながら、タイマーを持って教室を後にする。


まだ16時すぎをまわったばかりだ。

廊下が閑散としていることから、他のクラスより早目にHRが終わったことをより実感させられる。


これなら人にぶつかることもないだろう、と進は歩きながら掌に収まる機械をしげしげと眺めた。

つるんとした手触りの円形のタイマーは、ディスプレイに丸いボタン2つというシンプルなつくりをしている。

シンプルな見た目でハイセンス感を狙っているのかもしれない。

けれども、ボディの色が蛍光色のオレンジなところが、なんだか胡散臭さをかもし出して雰囲気を台無しにしている。


「それにMINのボタンはあるけどSECのボタンがないなんて、変なつくりしてるな…。秒数セットどうやるんだろう」


STARTボタンをぽちっと押すと、ディプレイには00分00秒と表示された。

なんだ、表示は秒まであるのかと思いながらMINボタンをなんとはなしに数回押してみる。

一度押すごとに5分ずつカウントが増えていることから、5分刻みの設定しかできないようだ。


「ますます胡散臭いなぁ…。6分とか中途半端な時間を計りたい時はどうするんだ?」


こんなタイマーを使っている持ち主は少し変わったやつなのかも、と思いながらピッ、ピッとボタンを押す。


「あれ、60分以上は時間が増えない。え~1時間しか計れないのかよ」


使えないな、と続けるはずだった進の台詞は「うわっ」という悲鳴にかわった。


ドジなくせに変わったタイマーに気をとられて歩いていた進は、階段から足を踏み外したのだ。しかも降り始めたばかりの、上から2段目という最悪な立ち居地で。

この高さから下まで落ちれば、無傷じゃすまないのは必須だ。


あぁ、階段を降りる時ちゃんと手摺を掴んでいたらきちんと降りれていたかもしれないのに。

爽真が忠告してくれたのに、僕ってやつは…。


場違いな思いを抱きながら、進はぎゅっと目を瞑った。


ピッという電子音がやけに鮮明に耳に届いた。


◇◇◇◇


衝撃に備えて全身に力を入れていたのに、いつまでたっても痛さを感じない。

恐る恐る目を開けて見ると、なぜだか進は自分の席に座って授業を受けていた。


手元の教科書をみると古文がずらずらと並んでいて、前にいる教師もその古文を読み上げている。

教師が今立っている調度上に飾られている時計を見ると、15時を少しまわったところだった。

つまり、今は六時間目の授業の途中で、まだ放課後じゃない。

放課後じゃないから職員室にも向かっていないし、何よりどこも痛くないから階段から落ちてもいないことになる。


白昼夢でもみていたのかな、と進は狐につままれたような気持ちになった。

どこも痛くないのが何よりの証拠だが、それにしては足を踏み外した時のひやりとした感覚はリアルすぎた。


「じゃあ、この歌の現代語訳を…時枝。前に出て黒板に書いて」

「は、はい」


教師の指名により、進は思考をぶつりと途切れさせた。


見しひとの 松のちとせに…ってどこかでみたような、とぼんやりと感じながら前に出て、一段あがる。

カツ、カツとチョークの音をさせて答えを書き込む。


「…うん、正解だ」


そう告げた教師は、進に席へ戻るようにと言う前に、そのまま歌の解説を始めた。

え、僕このままなのか!?と皆の視線が集まることに落ち着かなくなった進は、どうにか目立たないようにしようと段の端へじりじりと後退を試みる。


「~ましかばのまし、は反実仮想の助動詞の未然形で、~まし、は反実仮想の助動詞の終止形だな。~ましかば~ましで、現代語訳ではもし~ならば~だっただろうに、という意味を…」


表している、と続けるはずだった教師の解説を遮ったのはガタンッという音と小さな悲鳴だった。

じりじりと後退を続けていた進が、教壇から足を踏み外した拍子に尻もちをついたのだった。


「…大丈夫か?時枝」

「だ、いじょうぶです」


羞恥で顔を赤く染めた進に、教師は席へ戻るように勧めた。

またか、というクラスメイトの失笑を肌に感じながら足早に自分の席に戻った進は、やっと胸を撫でおろした。皆の前で発表することは、何回経験しても緊張するのだ。


自分の席に戻り、幾分か冷静になると今度は今の一連の出来事に対してデジャヴを感じた。

見しひとの 松のちとせに…という歌をあてられ、なんとか正解を導いたものの教師が席に戻してくれず、羞恥心から教壇の端へ後退し、結果尻持ちをついてかえって注目を浴びる、というドジな出来事。

足を踏み外したりこけたりというドジは日常茶飯事だが、あの問題を解いたり、教師とのやりとりは何だか一度した記憶がある、ような気がした。


でも、まぁ気のせいか。


深く考えてもわからないだろう、と進は思考を投げ出すことにした。

それよりも早くノートをとらないと黒板の解説が消されてしまう、とシャーペンを右手に持った進は左手にオレンジ色のタイマーを握っていることに気がついた。


あれ、放課後にこれ届けようと思っていたのになんでもう握りしめてるんだろう。

今は必要ないから、机の中に入れとこう。


そうして黙々と授業を受け、そのままHRを終え放課後をむかえた進は教科書とノートをしまい、かわりにオレンジ色のタイマーを取り出した。

廊下が混雑する前にさっさと職員室まで行ってしまいたい。


「気をつけてなー」


箒を手にした爽真の言葉を背に、進は教室を後にする。

出る直前にふと目にした時計は16時5分だった。


まだ時間が早いせいか、他のクラスのHRが終わっておらず廊下は閑散としている。

人がいないから少しくらい余所見をしても大丈夫だろうと、進は手元のタイマーを見下ろした。


「あれ、スタートボタン押したつもりないのにカウントされちゃってるや」


00分58秒と表示されたタイマーが一秒ごとにその数字を減らしている。


「それにしても、へんなつくりをしたタイマーだな。SECのボタンがないなんて、どうやって秒数セットするんだろう。ディプレイ上には秒まで表示されてるのに」


一人で感想を呟いた進は、またしてもデジャヴを感じた。


この感想、前にも思ったような気がする。


いつ?どこで?と疑問を抱いた進は派手なオレンジ色のタイマーを睨みつけた。

いくら進が睨もうとも、相手は物言わぬ機械であるため、一秒一秒淡々とカウントを続けている。

残りは10秒きった。


うーん、と首をひねりながら階段を降りた瞬間、進は足を踏み外した。


「うわっ」


最悪だ。

こんな高いところから落ちたらただじゃすまない。

あぁ、階段を降りる時ちゃんと手摺を掴んでいたらきちんと降りれていたかもしれないのに…。


さぁっと青ざめ色んな思考が脳内を駆け巡るのとは裏腹に、進の指先は無意識に、しかし正確にタイマーのMINボタンを12回連打し、そしてSTARTボタンを押していた。


全身に訪れるである衝撃に備え目をぎゅっと閉じた進の耳に聞こえたピッという電子音は、やはり、デジャヴを感じさせた。


◇◇◇◇


そうっと目を開けて見ると、進は自分の席に座って授業を受けていた。


教壇では教師が古文の授業をしていて、彼の真上に飾られている時計の時刻は15時5分。手元には古文の教科書と、オレンジ色の丸いタイマー。ディスプレイに表示された数字は59分57秒。


もしかして。


一つの可能性に思い当たった進の心臓はバクバクと鼓動を速めた。


「じゃあ、この歌の現代語訳を…時枝。前に出て黒板に書いて」


その台詞3回目。

ですよね、先生。


「は、はい」


この返事も3回目ですよね、先生!

僕、もしかして…やっぱり、タイムリープしてますよね!?


思わぬ現象を体験した進は、理性を総動員して何とか平静を装いあてられた問題を解いた。


「…うん、正解だ。~ましかばのまし、は反実仮想の助動詞の未然形で…」


続く彼の言葉を遮ったのは、動揺を隠せなかった進が教壇から足を踏み外して尻もちをついた音だ。


「…大丈夫か?時枝」

「だ、いじょうぶです」


3回も同じ行動とってるのに、なんで学習してないんだ。僕のバカ。

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