どうやら私、動くみたいです
「その日からよ、私は自分のノートに物語を書く事にしたの。昔の花子ちゃんもしていたように物語を書いていれば、亡き彼女を感じられるかも知れない。そんな気がしたわ。内容は確か……花子ちゃんをモチーフにした主人公のファンタジーものだったっけ。まぁ結局それも、私が死んだ後どうなったのかはわからないけどねぇ」
多分お婆ちゃんが言っていたノートとは、日々何かを書き記していたノートの事を言っているのでしょう。まさかあのノートにそんな意味が隠されていたなんて、当時の私には全く想像もつきませんでしたよ。
しかしノートがその後にどうなったのかも、私は知っています。何せあの日の出来事は私にとっても、絶対に忘れる事は無い出来事でしたからね。ーーお婆ちゃんの子供さん達が押し掛けてきて、お婆ちゃんの所持品を散々物色しては捨て去っていったあの日を。
「ノートはその……。お婆ちゃんのお子さん達に捨てられちゃったよ」
「そう……」
お婆ちゃんは暗い顔をしたままで、視線をビルの谷間に落としました。それも既に返答を察していた、そんな雰囲気でした。
確かにお婆ちゃんは一人暮らしだったので、その遺品をどうするのか決めるのはその子供達である二人です。当然不要な物は捨てられ、使える物は持ち帰られる。これも人間の習性と言えば片付いてしまう事なんでしょう。
けれどそれをお婆ちゃんは、聞きたくなかったんじゃないのかなーー。だって逆の立場で考えてみても、大切にしていたものが捨てられるのは悲しいですからね。ーーまた私、悪い事言っちゃったな。
すると急に改まった顔をして、お婆ちゃんは私を見つめてきました。
「ツクモノちゃん。お願いがあるの」
「何?」
「花子ちゃんの分まで……妖怪としての生涯を貫き通してくれないかしら」
「……はい?」
全く予想外な問い掛けに、私はつい口を開けたまま返事をしてしまいました。
勿論私だって、出来る事ならこの世界に留まっていたいです。もっと轆轤首さんや天狐さん、加胡川さんと言った妖怪の皆さんと、お話ししたりしたいんです。けれどそれもまた、私には叶わぬ願い。何せ私にはこの世界に留まっていられる時間が、もう残り僅かなのだからーー。
「私にはお婆ちゃんのお願い……叶えられないよ。だって私は、もうすぐ消えちゃうんだから」
「カッカッカッ!」
背後からぬらりひょんさんの例の笑い声が聞こえてきました。ほんと、急にそれが聴こえてくるとびっくりしちゃうのでやめてほしいです。
「それなら心配しなくてもいい。何せその為に、私がここにいるんだからね」
そう言うとぬらりひょんさんは、隣に置いていた大きなトランクのロックを外しました。そして中から取り出した物の梱包を外すと、予想だにしない代物が顔を覗かせました。
「そ……それって!」
「ああ、君の前の体と全く同じ型番さ。この街は人形の街として盛んだったからねぇ。手に入れるのは他の県とかに比べて容易だったよ」
茶色い髪の毛に大きめの赤いリボン、見覚えのある菊の刺繍の入った赤い着物に、真っ白な体。それはこれまでの私の体が、あたかも特別でない事を比喩しているかのようでした。
視線の市松人形の体を閉じたトランクの上に置くと、ぬらりひょんさんはそれに目を置いたままで言いました。
「これで肉体の方は準備出来たわけだが、まだ肝心な事が片付いていない」
ぬらりひょんさんが私を見上げます。「摩耗した魂の修繕さ」
次の瞬間、私の不安定な体に、途轍もないエネルギーが流れ込んでくるのを実感しました。この感覚何処かでーー。理解するのに時間は掛からなかったです。そう、私はこの感覚を知っている。ーー轆轤首さんさんと初めて手を触れた瞬間、私は同じものを味わったんだ。
「君の魂の劣化を止めた。これなら由美子さんの願いが叶えられるよ」
「どうして」私は湧き上がってくる力を他所に疑問をぶつけました。
「妖怪は人間と関わらないんじゃなかったんですか」
ぬらりひょんさんはお婆ちゃんの方を見てから言いました。
「その掟を作ったのはつい最近さ。それに今の君はもう、立派な妖怪だよ」
「へぇ……って、作った!? ぬらりひょんさんがですか!?」
「ああ」
どんなお偉いさんがあの掟を作ったのかと思っていましたが、まさかそれがぬらりひょんさんだったとは予想外です。確かにぬらりひょんさんは、多くの人間が知っている有名妖怪ですからね。故にそれだけの影響力も、妖怪側にもあったんでしょうね。ーー次第に私は、彼の真意が知りたくなってきました。
「なんでまたそんな掟を?」
「近年人間達も発展し過ぎててね。もしかすれば近々妖怪の存在も、解明されるのではと思ったんだ。だからワタシは、妖怪が人前で力を使わないようにする掟を作った。無論、そのせいでまた多くの妖怪が命を絶ったのもまた、紛れも無い事実なんだけどね」
けれど彼の言う事にも一理あります。妖怪の存在が現代社会で解明されてしまったら、結局人間達の多くは妖怪を拒絶するでしょう。どちらに転んでも結末は既に同じなのです。
やはり今の世の中は、妖怪にとって暮らし辛い世界なんだなぁーー。難しい命題故に、私は空中で体育座りをしました。
「ではぬらりひょんさん。私達もそろそろお
「ですね、由美子さん」
「ええっ!」思わず愕然としました。「二人共、もう帰っちゃうんですか!?」
だってこの世界に留まるだけの力と体を私に与えて、この人達は去ろうと言うんですよ。いくら忙しい方とは言え、お礼も出来ずにいなくなられてはきまりが悪いに決まってます。
何とかお礼だけでも言わなければーー。しかしそんな私を見たお婆ちゃんは、私の半透明な右手を取って語りかけてきました。
「ツクモノちゃん、恩返しなんて深く考えないで」
「えっ」
「あなた自分の物語を紡いでくれる。それだけで、私達は十分よ」
感覚は霊体故に無かったけれど、その手はとても暖かいように感じられました。お婆ちゃんと初めてこうして触れ合えた。その事に、私は心がキュッとなりました。
そして気が付くと、私の人差し指にはあの赤い糸の切れ端が結ばれていました。「お婆ちゃん、これってもしかして」
「私なんて居なくても、あなたには沢山の仲間が居るでしょう。さぁ、行きなさい」
市松人形の方へ目線を戻すと、もうその隣にはぬらりひょんさんの姿はありません。本当にあの人は神出鬼没だなぁーー。心の中で笑みを浮かべた私は、お婆ちゃんに結んでもらった赤い糸を見ました。
私は、いつでもあの人と繋がっているーー。
心で紡いだ糸は、決して切れないもんねーー。
「ありがとう。お婆ちゃん」
私はお婆ちゃんの方を振り向かず、市松人形の口元目掛けて突っ込みました。
*
「ツクモノ!」
時刻はわかりませんが、次第に空は明るさを取り戻してきていた現在。屋上のドアが力強く開いたと同時に、轆轤首さんの大声が屋上全体に響き渡りました。
足音からし人数はて三人程。おそらく轆轤首さんだけでなく、天狐さんと加胡川さんも一緒にいるのでしょう。
コツンコツンーー。迫り寄ってくる足音は、私のすぐ後ろでパタリと鳴り止みました。
多分ここまでの道のりは、天狐さんの千里眼が示してくれたんだと思います。よくもまぁ私の為にここまで来てくれましたよ。感謝感謝です。
「轆轤首さん、天狐さん、加胡川さん……」
座っていた新しい体を起こして、私は満面の笑みで彼女達の方を振り向きました。
「ーーどうやら私、動くみたいです」
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