他人想いな過去

 けれど私を深夜に、それも一人で出歩かせるなんて、お父さん以外の家族は反対しなかったんでしょうか。

 私はその事をお婆ちゃんに問い掛けました。「他の家の人は反対しなかったの?」


「お兄さんは反対したみたいねぇ。けどあなたはムキになって外に出たみたいだったわ」

「お母さんの方は?」


 瞬間、お婆ちゃんは表情を曇らせました。

 何かまずい事でも聞いちゃったのかなーー。でも私自身の事だから、そこから先の話が気になるのは当たり前。例えそれがお婆ちゃんの口からは言い辛い事だとしても、過去の自分を知る為であれば尚更です。

 なので私は、お婆ちゃんに頬を緩めながら伝えました。


「大丈夫、隠さず話して」


「由美子さん」ぬらりひょんさんがお婆ちゃんの方を見つめます。「話してやって下さい」

 それに応えるが如く、お婆ちゃんも私の目を合わせて言いました。


「あなたの……いえ、花子ちゃんのお母さんは……。花子ちゃんを産んだ後すぐに亡くなっているの。だから、花子ちゃんのお父様は他の親御さん以上に、自分の子供達を大切にしていたそうよ」


 でもそのお父さんがそこまで深刻になるレベルで、私は心が病んでいたんだ。やはり話を聞いているだけでは記憶は戻って来ませんが、それでもその情景は容易に想像出来ました。

 狭い、家の中で一人、話す友達も無くただただ時間を空費していく日々。そんな毎日を過ごすのは、苦痛でしかなかったのでしょう。更にはそんな日を繰り返す度に、病んでいく娘を見ていたお父さんも、また似たような苦しみを味わっていたんだと思います。


 だから妻の形見とも言える娘に、もう一度だけ外の世界を見せてあげたかった。でも彼女のそばに自分が居れば、彼女の視野の広がりを狭めてしまうかも知れない。故に彼は、苦渋の決断ながらも娘一人で行かせた。そして光江花子の方も、家族にこれ以上の心配を掛けないようにと外の世界へ臨んだに違いありません。ーー引き篭もり生活で弱りきった、筋肉を無理矢理動かしてまで。


「私は花子ちゃんともっとお話ししたくて、あの子を家へ招き入れたの。そして花子ちゃんについての事、全部聞かせてもらったわ。初めはどうしてクラスに馴染めなくなったのかと言う暗い話題からスタートしたんだけど、次第に話はズレてきちゃってねぇ。趣味の話とかをメインに会話が弾んじゃったのよ」


 家に人を招き入れちゃう辺り、お婆ちゃんらしいなと思っちゃいました。お婆ちゃんの家には結構な頻度で、お客さんが訪れていましたからね。


「花子ちゃん、昔から物語を書く事が好きだったみたい。それも『その参考にする為だ』なんて言って、よく映画にも行ってた程らしいのよ。でもある日、思い付きを纏めていたメモをクラスメイトに見られちゃってね。……バカにされたんですって。だから花子ちゃん、それ以来学校には行かなくなったそうなの。『人の趣味を笑うあんな人間達と、同じ空気を吸いたくない』そんな事を言ってたわ」


 映画館で感じた記憶の断片も、ここから来ていたんですね。物語を書く為の参考にするーー。何処まで私は物語の制作にのめり込んでいたんでしょうか。

 でもだからこそ、自身の趣味を否定されるのは誰よりも嫌だった。その為に彼女は、学校と言う大きなコミュニティから抜け出して引き篭った。ーー彼女なりの、貫きたい信念があった為に。


「それ以来、私達はよく一緒に会う事が多くなった。一緒に交換日記を書いたり、映画を観に行ったり、時たま花子ちゃんの書いた小説も見せてもらったわねぇ。文章はあまり上手とは言えなかったけど、上手く構想が練られた素晴らしいものが多かったわ。そしてその小説を見せてくれる度、花子ちゃんの表情を見せてくれた」


「多分ね」お婆ちゃんが続けます。


「花子ちゃんは人一倍、他人思いな子だったんだと思うの。だからあの夜、花子ちゃんはお父様に心配かけまいと家から出たんでしょうね。まぁ結局のところ、お兄さんには心配は掛けちゃってたみたいだけどねぇ。その事についても、花子ちゃんは気に病んでたわ」


 しかしその時の光江花子の選択は、間違っていなかったと思います。もしあの時家を出ていなかったら、きっと光江花子はお婆ちゃんとも顔を合わす事が無かったでしょうし。

 おそらくあのまま家に引き篭もり続けていたのなら、いずれ彼女も自ら死を選んでいました。断定は出来ませんけどなんとなくそんな気がするんです。他人との関わりを失った者が行き着く先は、人間も妖怪も同じなんですから。


 きっと他人思いなところも幸いしたんだろうなぁーー。ちょっとその辺は過去の自分でも、正直誇りに思っちゃいました。


「でもその半年後、事故が起きた。『火元は不明。火災の現場ではその家に住む光江花子さんが、遺体として発見されました』あの時のニュースの断片は、今でも鮮明に記憶しているわ」


 私は何も言えませんでした。

 光江花子が火事で死んだ事は、天狐さんの神通力やぬらりひょんさんの話で知っていました。けれどいくらその話題を私に振られても、やはり記憶が無い事に変わりは無いので、実感がわかないのです。


 けれどそれを心に受け止める精神の余裕も、私には必要なのかも知れません。

 過去の自分だからと言って、あくまでも他人の人生としてしか見られなかった光江花子の人生。ですがもう時期魂の摩耗から消えてしまいそうな今、私を一瞬でも人の役に立たせてくれた彼女を、光江花子を受け入れないなんて失礼にも程がありますよ。

 どうせなら最後ぐらい、二人で笑って消滅したいですしね。


 故に私は、お婆ちゃんの話にしっかりと耳を傾けました。もう他人を知る為なんかじゃない、自分と向き合う為に光江花子の話を聞くんだーー。その一心で。


「私が現場に花を添えに行った時に一度だけ、お兄さんと会った事があるの。その時のお兄さん、凄く険しい表情でこう言ってたわ。『多分今回の火事の原因は、夜中に僕が煙草の吸殻をリビングに放置してたからなんです。だからその部屋のソファで寝ていた花子のタオルケットに引火して……僕は妹を殺害してしまったんだ』ってね」


「私のお兄さんが!?」思わず声を荒げてしまいました。

 わざとではないにしろ、私の実の兄であった人物が私の死因を作った張本人だったのですから無理もありません。しかしすぐ後に、お婆ちゃんは私の興奮を宥めるように言いました。


「けれど彼はこうも言ったの。『初めは自首しようとも思いました。ですが母の形見でもある娘を失って、精神的に不安定になってしまった父を見ていると、とてもそんな事は出来なかった。僕は卑怯な人間です』とね。私は彼を責められなかったわ。彼の言葉にも一理あったからねぇ」


 まさかーー。私はある事に気が付きました。何故過去の私が残留思念が無いのにも関わらず、地縛霊としてあの場所に留まっていたのか。それはおそらく、光江花子の性格が他人思いだったからじゃないんでしょうか。

 光江花子は自身の兄が抱いていた罪悪感を払拭する為、成仏せずに地縛霊としてその場に残り続けた。しかしながら、彼女は地縛霊なので人間に言葉を伝える事は出来ない。だから一年もの間、彼女は同じ場所でただただ待ち続けた。ーー自分の記憶を失いながらも、兄との会話を待ち望んで。

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