出会うのは初めて

 私は首を傾げます。「どう言う事ですか?」


「師匠は、君はどんな事を言っても意思は曲げないと言っていた。そして今回も君の望みを叶える為に、彼女は敢えて危険な役を買って出たんだ。君がここに居るのは、彼女が位置を入れ替える力を使って、君が彼女と入れ替わったからなんだよ」


 と言う事は今、天狐さんが居るのは轆轤首さんのリュックサックの中って事ですか。私は声にこそ出しませんでしたが、彼女の今している事の重大さに愕然としちゃいました。だってあの人、下手すれば死んじゃうかも知れない事をしちゃってるんですよ。ビックリしない訳が無いじゃないですか。


 でもそれ程、彼女は私の事を信じてくれていたんだと思います。そうでもしなければ、私が轆轤首さんの目をくぐる事は出来ませんでしたからね。

 私はきびすを返しました。そして彼に願いを申し出ます。


「私をあの子の場所へ連れて行って下さい」


 今、私が居る場所は火事真っ只中の屋上です。こんな所から一階分下の四階にある、彼女の家へは到底私の力で行く事は不可能でした。これには流石の加胡川さんも、「仕方ないね」と苦笑いしました。

 待っててねーー。心の中で、更に決意が漲ったような気がしました。


 *


 大鳥に化けた加胡川さんのおかげで、何とか裏のベランダへと侵入出来た私は、過ぎ去る彼の後ろ姿を見送りながら現実を直視しました。


 白いテーブルの部屋以上に火が行き届いている部屋の中は、どう見ても人が滞在するには不可能な空間と化しています。

 でもこの家の何処かで、きっとあの子は怖がっている。だからこそ、私が怖がっていては元も子もないのです。


 加胡川さんが着地の際に火を消してくれたとは言え、ここも決して安全とは言えません。故に一刻も早く、私は少女を探しに行く必要がありました。


「ええい! 頑張れ私!」


 硬い頬っぺたをパシパシ叩いた私は、丁度良い炎の抜け道を見つけるとゆっくり進み始めました。ーーここはキチッと腹を括って、しっかり前に進むべきですからね。

 その時でした。頭の中に、聞き覚えの無い女性の声が響き渡ってきました。


「そのまま、真っ直ぐ進んで」

「はい?」


 突然の出来事につい困惑しちゃいました。ですが私の問い掛けには一切答えず、謎の声は怪しい道案内を落ち着いた声で復唱しました。ーーそれも言う事を聞かない運転手に、何度も同じ道順を示すカーナビみたいに。


「そのまま、真っ直ぐ進んで」


 その高音で囁いているような声質は、何処か聞き取り辛さを感じさせないものでした。

 自分の力でどうにかすると思っていたこの事態に、一体誰がこのような事をーー。そう思いながらも、ちゃっかり私はこの声を信用してみる事にしました。

 他人を信用していい思い出が無いのはあれですけど、正直ここで頼れるのは彼女の声だけです。ーーごめんなさい、私また他人に頼っちゃいます。


 彼女の声に導かれ、再び私は前へと歩き出しました。

 するとどうでしょう。確かに炎は私を襲おうと覆い被さり、私の茶色い髪の毛がだんだんと縮こまってきてはいます。しかし、そこで炎は満足したように引いていくではありませんか。

 どうして彼女は炎の勢いがわかるのだろう。そんな事を考えながらも、私は少女を救うべく前に進みます。右、右、声に任せて体を動かし、何度も間一髪のところで炎を避けていきました。


 女の子の家は私達の家の間取りの同じでしたから、迷う事は無かったです。そして声が止んだ途端、私は女の子が何処に居るかを理解しました。

 炎がある程度避けられる場所、風呂場です。しかし風呂場の扉はぴっちりと閉ざされており、ここから絶対に出ないぞと言う雰囲気が醸し出されていました。


「お姉ちゃん! ここに居るの!?」

「だ……誰?」


 言葉に詰まりました。何気に私って、人間の方とお話しするのは初めてなんですよ。妖怪ではない、普通の女の子との会話。私にとってそれは、ハイレベル過ぎる難題でした。

 取り敢えず、誰と言われてしまっては語らなければ、向こうも顔を出してはくれません。私は声を張り上げました。


「私、あなたを助けに来たの! ここ、開けてくれるかな!?」


 一応私としては精一杯の受け答えはしたつもりです。助けに来た、それも強ち間違いではないですし。ですが私の身長は四十センチ程ですので、当然ドアノブなんて手が届きません。なので彼女をとある場所まで誘導ようにも、扉を開けてもらう必要がありました。

 とは言え彼女も、そんな提案を無視して大声を上げます。「嫌だ!」


「ここを開けちゃうと……また火が入ってくるもん」


 女の子の声は、若干震えていました。それに緊張している事もあってか、涙声まで含ませています。

 なるほど、彼女もまだ幼い子供です。外がこんなに危険だと、その場に立ち尽くしていても意味が無い事に気が付かないのでしょう。しかし私達にも、あまり時間は残されていません。何故なら炎の勢いは、私達の事情なんて御構い無しに広がり続けているのですから。


「私を信用して! 私はあなたを助ける術を知っている。だから、ここまで来たの!」


 助ける術ーー。それは大鳥になった加胡川さんの上で聞いた話でした。


『君は彼女を見つけた後、急いで表のベランダへ向かってくれ。僕は地上で君を助ける準備をしておくから』


 おいおい、妖怪には人間は助けられないんじゃなかったのか、なんてその時は言っちゃいそうになりました。でも彼なりの考えもあったようで、それを言った後、すぐに彼はこう付け足しました。


『僕は何も妖怪としての力を使って、君達を助けるわけじゃない。だって人間には人間の、助ける力があるからね』


 人間には人間の助ける力ーー。私にはその言葉の意図は掴めませんでしたが、彼の言葉に偽りが無い事ぐらいは理解出来ました。何と言うか、初めて出会った時みたいな胡散臭さが、まるで無かったんです。

 あの時は人を騙すのが好きだったのに、人ってあんなにも成長するものなんですね。と言うか彼は妖怪、元から人じゃなかったです。


 すると、風呂場の扉がガチャリと開きました。そして中から出てきた女の子は、泣き過ぎからか真っ赤に腫らしたその目を、私に向けて口を開けました。


「に、日本人形……?」


 ですが彼女の目に映っていたのは、恐ろしいものを見たと言う恐怖心ではありませんでした。寧ろこんな些細な恐怖心なんて、極限状況である今では彼女も感じていなかったのかも知れません。おそらく彼女の私への第一印象は、「本当にお前で大丈夫なのか」でしょう。

 そんな目で見つめられては、正直自信無くしちゃいますよぉ……。


「任せて、あなたは私が必ず助けてあげるよ」せめて彼女を安心させる為、私は満面の笑みで答えました。

 不安そうに眉を困らせながらも、女の子がゆっくりと頷きます。一応信頼はしてくれたのかなーー。私は少し安堵しました。


 後はこの子を連れて、ベランダへと行くだけです。けれど「だけ」と言うと簡単そうには聞こえますが、さっきまでの道のりと今回とでは訳が違います。何せ、今回は私だけではなく、この子も一緒に行動します。細心の注意を払うのは当然と言える事ですから。


「左へ進んで」


 先進もうとした途端、例の声は再び道を示し始めました。

 このままこの声に従っていけば、きっと目的ポイントまで辿り着けるーー。そう思った次の瞬間でした。


 ドンーー。謎の爆発音と共に建物全体が大きく揺れました。おそらく加胡川さんの言っていたブレーカーと言う物に、火が引火して爆発を引き起こしたんたと思います。とは言え私はこの事態を予測は出来ていたので、ある程度冷静でいられました。

 でも何も知らないこの子は別でした。彼女の中で寝息を立てていた恐怖心は、雄叫びを上げて目を覚ましてしまったのです。


「嫌アァァァァッ!」


 発狂し、その場に蹲る女の子。このまま彼女が一歩も動かないとなれば、いくら謎の声が正しいルートを案内してくれても意味がありません。私は必死に宥めようとしました。けれど人間の女の子を宥めた事なんて、私には経験した事も無いものです。故に私は、あたふたとしてしまいました。

 そしてその心の迷いが、私の注意力を鈍らせてしまった。


「オニンギョォォサァァン!」


 泣き喚きながら、女の子は私を指差しました。

 どうしたんだろうーー。私は自分の体に何が起きているのかを確認します。そして理解しました。ーーなんと私に着物には、火が燃え移っていたんです。

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