唯一の存在

「無理だな」冷たく轆轤首さんは言い放ちました。


「アタシらではどうにもならん」


 そんな事はーー。そう言いかけた時、私はそれを喉の奥へと引っ込めました。

 私達は妖怪です。妖怪には天狐さんや加胡川さん、ぬらりひょんさんみたいに人知を超えた力を持つ者も、決して少なくはありません。ですが今の私達は果たしてそう言った存在なのか。答えたくはないですけど、返答は否です。


 言っちゃあ悪いですが轆轤首さんの力なんて、せいぜい首を伸ばす事が関の山です。その華奢な肉体では、到底火事で逃げ遅れた人のロープ代わりにもなりはしません。ーーそれに私なんて、論外に等しいですし。

 アタシらではどうにもならんーー。轆轤首さんの言葉は、まるでそれを言い表しているかのように思えました。


 でも私は、どうしてもあの女の子の事が気が気でありませんでした。

 話した事もない、それどころか一度しか見た事も無い彼女を、どうしてここまで私が心配しているのか。それはおそらく、火事から逃げ遅れてしまった過去の自分と、無意識の内に重ねてしまっていたからだと思います。


『人助けはオラの趣味だからな』


 心紡ぎの宿で出会った彼の言葉が、今になって頭の中で再生されました。

 エンコさんは困っている方を助ける事が好きだと言っていました。彼なら多分、今の状況でも女の子を助けに行くだろうな。ーー例え彼自身に、火災をどうにか出来る力が無くとも。


 だとすれば今私が彼女に会いに行く事は、エンコさんにとっての恩返しになるのではないでしょうか。いいえ、それだけではありません。見ず知らずの私を拾ってくれた轆轤首さん、友達と言って私のそばに寄り添ってくれた天狐さん、無理を言っても色んな場所に連れて行ってくれた加胡川さん、地縛霊だった私を救ってくれたぬらりひょんさん、そして、私が死んだ後もお花を添えてくれたお婆ちゃんーー。私を支えて下さった皆さんへの、恩返しになるのではないでしょうか。

 大変勝手で、それでいて傲慢な意見である事は十分に承知しています。


『君がその人の為を思うように考え、それを実行する。それもある種の恩返しの形だと、僕は思うよ』


 それでも加胡川さんの言葉は、まるで勇気づけてくるが如く、何度も私の偽善心を突き動かしました。


 偽善でも構わない、何も出来なくて構わない、だけど訪れる可能性のある彼女の死を、こうして黙って見過ごすのは絶対に嫌だーー。ようやく私は決心しました。ーー私、あの子の所へ行きます。

 多分轆轤首さんの事でしょうから、私が上の階に行く事は反対するでしょう。ここでどう彼女を説得するか、それが今の私の課題とも言える局面でした。


 轆轤首さんは、再び燃える世界が待つ玄関の前へと立っていました。見た限りではドアを開ける為に、手には濡れた手袋が装着されています。

 言うのなら今しか無いーー。そう思った次の瞬間でした。


 私の視界は、瞬きと同時に知らない場所へと移り変わりました。真っ暗な空の下、目の前にはメラメラと燃える炎が、顔を見せたり引っ込めたりを繰り返してます。そして何処からか、それ程遠くはない距離でサイレンの音が聴こえてきました。地域の消防車が、火災の連絡を受けて駆けつけて来たのでしょうか。

 そして私が今いるこの場所が、さっきまで中に居た建物の屋上であった事だと気が付くのは、そう遅くはありませんでした。


「建物のあちこちで、ガソリンをばら撒いた後や束になった薪が置いてあった。何処までも用意周到な犯人さ。今日と言う日の為に、ヤツは何日も前からその準備をしていたようだ」


 聞き覚えのある声に振り返ると、加胡川さんは耳を隠さず、更には金色の七本の尻尾さえも丸出しで、星すら見えない空の闇を眺めていました。

 都会であれば曇りでなくても星は見えません。周りの灯りが強過ぎて星の光が掠れてしまうからです。しかし今日の日に限っては、それがこの炎のせいなのではないかと錯覚してしまいそうになりました。


「電気系統のブレーカーにも、既に炎は引火し始めている。おそらく消防士が来ても、その炎や爆発によって人々の救出は難航するだろうね。そして極め付けに、このままでは君が気に掛けている女の子は助けられない」


 何処であなたは、私があの女の子を心配しているって知ったんですか? 私にはそんな疑問が頭の中に浮かびました。ですがよく良く考えてみると、天狐さんにも心を読む力がありましたので不思議じゃないのかも知れません。

 と言うかさっきから天狐さんの姿、全く見当たりませんね。


 彼の話を聞いている限りでは、全く救いようが無い話です。しかしそれもまた事実である事は、私もさっきの炎の強さを見て実感していました。


「ツクモノ」加胡川さんは視線を私の方に向けて言いました。「君に一つ言っておかなきゃいけない事がある」


「何ですか?」

「僕達妖怪に、人間を助ける事は出来ない」


 まるで虚を衝かれたような感覚に襲われました。今と言う今まで、出会ったその時から、もしかすれば加胡川さんに助けてもらえるのではと期待をしていました。ですがそんなよこしまな考えも、彼の拒絶によってガラガラと崩れ落ちてしまったのです。

 私は淡い願望を抱いて、彼に問い掛けます。「どうしてですか?」


「現代、僕達妖怪は人間との接触を極力禁じられている。それは今の人間達に妖怪の存在が知れ渡ってしまえば、後々妖怪達が更に暮らし辛くなる可能性があったからなんだ」


「勿論山城町みたいな例外はあるけれどね」加胡川さんは薄ら笑いを浮かべました。


「あそこは妖怪と人間が密接に関わっている場所。だからある程度は許されるんだよ」


 山城町でとは言え、よくもまぁそんな事があなたの口から出てきたなぁ。私は不貞腐れた表情で、彼の顔を見ました。


「勿論轆轤首もそれは承知の上さ。そして君が考えていたエンコも、同じ事を言うだろう」


 私は彼の言葉によって、酷く落ち込みを見せました。あの人助けが好きだったエンコさんも同じ事を言うのーー。その言葉は女の子を助けようと燃え上がっていた私の心に、冷たい水を注ぎました。

 であれば私もその対象にーー。そう思いかけた次の瞬間、彼は同時に希望の光もチラつかせました。


「でも最近妖怪となった君は、そんな掟を知らない」

「え?」

「このルールを知らなかった君なら、あの女の子の元へ駆けつける事が出来るんだ」


 掟を知らなかった。だからこそ、今の私はあの子を救う事の出来る唯一の妖怪なんだーー。実際に救う程の力なんて、私にはこれっぽっちもありませんけどね。

 唯一。この言葉に少しだけ、これまでに感じた事の無い優越感に浸る事が出来ました。だって何の取り柄も無かった私に、初めて出来た取り柄みたいなものでしたから。


「行かせて下さい」


 答えは加胡川さんが問わずとも決まっていました。一瞬彼が私を手助けする事が出来ないのを知った時、若干戸惑いはしましたけど、改めて彼の言葉に助けられちゃいましたね。

 私の決心は完全に固まりました。もう私は迷いはしません。


「そうか」すると何か吹っ切れたような顔をして、加胡川さんは声を上げて笑い始めました。


「やっぱり師匠の言う通りだったね」

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