けれど結果は
「は?」
声を上げたのは他でもない天狐さん。急に自分の話題を掘り下げられたので無理もないでしょう。
「何……かぁ」
どうやら加胡川さんは、真面目に私への返答を考えているとみたいです。その事で急に恥ずかしくなったのか、天狐さんは両手を加胡川さんの方へ向けて首を振りました。
「お主も真面目に考えるでない! ワシはお主の師匠、それで良いではないか!」
するとその拍子に、天狐さんの方に置いてあったコップが彼女の腹部に当たって倒れました。中にまだお茶が入っていた為に、机の上からポタポタと雫が滴り落ち始めています。それもなんと、私の方へと進んで来るではありませんか。これでは私のパーカーに茶色いシミが出来ちゃいますよ。
「ああ! 天狐さん、早く拭いて拭いてぇ」
「す、すまぬツクモノ!」
ふと見えた加胡川さんは、少し安堵したような顔で何かを呟いているのが見えました。しかしその声は私の思っていた以上に小さく、すぐさま天狐さんの同様の言葉によって消え去ってしまいました。
「ええっとええっと、フキンは何処じゃ、何処にあるんじゃ……」
タイミングが良いのか悪いのか。こう言った経緯で加胡川さんの「天狐さんが自分にとって何なのか」と言う答えは、結局聞けずじまいのままになっちゃいました。ーーにしても早く、天狐さんはフキンを探して机を拭いてください。
*
「天狐さん……。幽体離脱、出来ませんよ?」
騒がしい朝食を終えた私は、早速寝室で幽体離脱を試みていました。天狐さんは「感覚で言うと魂を体から脱皮させるみたいな感じらしいぞ」とおっしゃってたんですが、そもそもの説明が大雑把過ぎてわかりにくいんですよ。魂を体から脱皮させる感じって何ですか、意味わからなさ過ぎるでしょ!
まぁ彼女は付喪神ではないので、幽体離脱の説明が大雑把になるのは仕方もないです。何せ天狐さんは妖狐、私は付喪神なんですから。
「うーん……」
腕を組んで唸る天狐さん。やはりいきなりで幽体離脱を成功させようと言う考え自体が浅はかだったんでしょうか。魂と体の分離なんて、しようと思って出来るものでもないと思いますし。
これには取り憑かれる予定だった加胡川さんも、あまりの暇さに足を組んで寝転がっちゃっていました。もう、あなたは人の家で寛ぎ過ぎです。
「お主は市松人形でいる時間が長かったからのう、もしや体と魂がかなり馴染んでしまっておるのかも知れん」
それって不定形である魂が、市松人形の体の形にすっぽりと収まってしまっていると言う事ですかね。もうちょっとわかりやすいように説明して貰いたいものです。
理解力が足りなかった私は、率直に天狐さんへと問い掛けました。
「つまり……どう言う事ですか?」
すると天狐さんは、私の方へ視線を戻して一瞬カッと目を見開くと、すぐに苦笑いのようなものを浮かべて言いました。それは私にとっては残酷で、恐ろしい回答でした。
「幽体離脱はある程度魂が体に馴染んでしまっては、もはや肉体を消滅させなければ行う事は出来ないんじゃよ。言うなればお主が幽体離脱をするなら、その市松人形の体を捨てなければならないと言う事を意味しておる」
「本気で言ってますか、それ」
もう耳を疑っちゃいましたよ。だってお婆ちゃんとの大切な思い出が詰まったこの体を、彼女は平然と放棄する事を提案してきたんですからね。あなたは鬼か、とか言っちゃいそうになりましたもん。
もはや「信じられない発言」と言う単純な言葉では済まされない程に、彼女の発言は私の常識から大きく外れていました。
「どうしてもこの体は残せないんですか?」
他に幽体離脱が出来る方法は無いのか、そう言った一心で訊ねてみます。ですが察しの通り、そんな方法は何処にも無く、更にはそれを彼女は推奨させるが如く、吹っ切れた事を言い放ちました。
「破壊ごときで魂の定着は解けん。一層の事、燃やして消滅させるぐらいの勢いじゃないとのう」
も、燃やすですってーー。一周回って彼女の言葉は吹っ切れ過ぎてて正攻法か、なんて思えてきちゃいました。
確かに私には、この雛形区と言う街を自分の足で歩いてみたいと言う願望はあります。けれどお婆ちゃんとの大切な思い出が詰まったこの体を、犠牲にしてまで幽体離脱、もとい映画なんて観に行きたくはありません。「まだお前は過去に縛られて生きているのか」とか言われても、これだけは譲る事の出来ない事なんです。
せっかくの提案ですが、それは私には大き過ぎる願いでした。天狐さんには悪いですが、ここは正直に自分の意思を伝えた方がいいですね。
「なら私、映画館に行くのやめときます」
するといつの間にか起き上がっていた加胡川さん、ここでホッと胸を撫で下ろしました。まぁ彼からすれば私に憑依されなくなったので、安堵した表情を見せるのも当然でしょう。何せ自分の体が他人の手によって、好き勝手される事が無くなったんですからね。
これで今日もやる事はネットサーフィンかーー。結果としては日常と何ら変わりはないんですけど、やっぱりもう一つの可能性をチラつかせられては、結構来るものがあります。
映画館に行けなくなった事からしゅんと萎びれていると、天狐さんは思わぬ言葉を投げかけました。
「何を言うとるツクモノ。例え憑依出来んかったとしても、映画館には行くぞ」
「はい?」
「ワシが轆轤首の使っておったリュックを背負えばよいだけじゃろうて」
えっ天狐さん、そこまでして私を映画館に連れて行ってくれるんですか。もはや彼女の意思は鋼の如し、ですよ。でも確かに、私の入ったリュックサックを天狐さんが運んでもらうと言う案は思いついていました。ですが昨日の旅行で私を背負っていた轆轤首さんが、「結構重いなお前」とかおっしゃってましたので、その案は提案しなかったんです。だって考えても見て下さい、重いとか言われちゃったら誰だってショックでしょ。
なのでそのショックをもう体験したくなかった私は、極力リュックサックに入れて連れて行ってくれとは言わないようにしてました。そりゃあもう、重いとか絶対に言われたくないんですもの。
「でも私……重いですよ」
しかしそれとそれ、これはこれです。ここまでしてくれようとしている彼女に、あらかじめ言っとかないとダメですからね。何せ言われるとわかっているのなら、最初から切り出しといた方が気も楽ですから。しかも今朝はお味噌汁だけとは言え、食事をしていたので尚更です。
「しんどくなれば地狐に代わるから大丈夫じゃ。気にするでない」
「結局僕も映画館に行くんですね」
天狐さん、あなたは最高の友達ですーー。彼女の言葉を聞いて、私は決心しました。ーー私、もう言いたいことは隠しません。
「ありがとうございます」
そうと決まれば映画館へ行く為の支度です。移動手段はどうするのか、もし電車で行くのであればインターネットで目的地の経路を調べておかなければなりませんし。ーー無論道の駅大歩危で経験したミスは、二度としませんよ。あれって私の中で結構トラウマなんです。
「天狐さん、因みに映画館まではどうやって行くつもりですか?」
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