第四章 花子と恩返し
彼らはその後も
「んじゃあ、行ってくるなー」
「行ってらっしゃいませ」
そう言うとやたら背丈の高い靴を履いて、轆轤首さんはドアを開けました。当然今日も、遅刻寸前なので朝ごはんは食べていません。まぁ妖怪だから食べなくても大丈夫と言う節もありますが、一番の要因としては今日の明け方ぐらいに、山城町から帰ってきたばかりだからでしょうか。
人間社会に溶け込む妖怪と言うのも、仕事をしなければならないと言う点を含めて大変そうです。しかしそれらを進んで行うとは、やっぱり轆轤首さんは変わってますよ。
ドアが閉まると同時に彼女の足音が、すぐさま階段を降りてゆく音へと切り替わりました。このカツカツと聴こえる特徴的な足音も、もはや聴き慣れたと言っても過言ではないです。旅行に行っても変わる事はない日常。常に世界の時間は動いているのに、私の時間はいつも同じ事を繰り返していました。
「それじゃあ僕らも朝ごはんにしましょうか、もう準備の方は出来ていますから」
「やっとか。昨日は誰かさんのせいで食べ損ねておるからのう、待ちくたびれたわい」
「はいはい、あれは僕が悪うござんした」
この二人が居る事を除いてはーー。
「まるであなた達はこの家の主人みたいに堂々としてますね」
私は口では半分笑みを浮かべながら言いました。勘違いしないで下さい、これはいわゆる苦笑いと言うやつです。
この家に住んでいるわけでもないのに、この人達はどうしてこんなにも堂々としていられるのだろうーー。私にはさっぱり彼らの心境が理解出来ませんでした。もしかすれば妖怪だから、と言うよりかは寧ろ根本的に何かが欠如しているのかも知れません。それも常識、みたいな何かがね。
「何を言っておる。ワシらはお主の友であり客人じゃろうて」
こう言う時だけ客人面するの、やめてもらっていいですかーー。とは言えないのがまた腹が立ちます。
実際私が住み始めてから、この家に客人がやって来るのは二度目なんですけど、あの時のお爺さんに関して言えばまだ、私もここに来て間も無い頃だったからかこんな感情を抱いてませんでした。ひょっとして私の前世って人見知りだったりしたのかも知れません。
そろそろ彼らが何故、この轆轤首さんの家に居るのかと疑問に思い始めた頃合いではないでしょうか。なので簡単ではございますが、事の発端をお話ししますね。
今日の明け方、私達は山城町への旅行から加胡川さんの車で帰宅しました。ここで解散、と言う事になっていればこんな事にはならなかったんでしょうが、残念ながらそうもいかなかったんです。
それは加胡川さんのとある一言がきっかけでした。
「ああ、眠くなって来ちゃったよ。このまま事故っちゃったら大変だなぁ」
辺りは夜明けで人は見える限りでは見当たりません。ですが彼の言葉に、私と轆轤首さんが逃げる道は残されていませんでした。
元はと言えば加胡川さんの、私達にした悪戯による詫びにと天狐さんが切り出してくれた送迎の話。とは言え私達をこんな遠い場所まで送り届けてくれたのにも関わらず、非情にも突き返すのは良心に欠けますよね。
それに妖怪と言えども、睡魔がある事ぐらいは知ってます。何せ付喪神になってからと言うもの、私も睡魔を体験済みだったんですから。
「さぁ、どうぞ召し上がって下さい」
「おお、やっぱりお主は味噌汁を作る天才じゃ」
そして現在に至ると言うわけです。正直な事を言うと、二人がここに残ってもらえるのは嬉しいですよ。いい暇潰しが出来たと言った感じでね。やっぱり一人で家にいるよりかは、大勢で食卓を囲む方がいいです。
「うむ、美味いのう」
「あ、ほんとだ。加胡川さん、このお味噌汁すっごく美味しいです」
何だかいい感じに丸め込まれちゃってる気もしますが、私と天狐さんは加胡川さんの作ったお味噌汁を賞賛しました。心紡ぎの宿でいただいたお味噌汁よりは少し濃いめの味ですが、これもこれでお味噌の味が活きてくる感じがしていいです。具もニンジンと竹輪にダイコンと、彩的にも綺麗です。流石、わざわざ帰り際にお味噌汁の材料を買っただけはありますね。
でも今思えば、あの時材料を買っていた時点でここに泊まる意思があったのかも知れません。ーーあれも計画の内だったか、妖狐め。
ふと加胡川さんの方を見てみると、ドヤ顔でこっちを見ていました。よっぽど褒められて嬉しかったんでしょうか、やっぱり彼はかまってちゃんですね。
食に慣れ始めてからと言うもの、次第に私も美味しいと言った感覚が掴めてきていました。昨日のお夜にコンビニで買ったおにぎりは、その日の朝に食べた物よりも幸福感があまり感じられなかったのが良い例です。食べた後の幸福感がより強い物が、俗に言う美味しいって食べ物なんだと思います。
「ツクモノよ、今日はどんな予定なんじゃ?」
天狐さんはお椀に入っていたお味噌汁を飲み終えると、こちらを見て首を傾げてきました。
言いますけどね。昨日と一昨日はあくまでも特別な日だったから外出したわけであって、何処かへ行かないのかと言う意味合いの質問でしたら、正直返答に困っちゃいます。
しかしこれが普段の生活の事を訊ねられているのであれば、この家でも簡単に出来るあれしかないでしょう。
「ネットサーフィン、ですかね」
「ぶっ、すっごい現代っ子な妖怪だなぁ」
加胡川さんからすれば余程ツボにハマったのか、味噌汁を吹き出しそうになってました。私からすればあなただって、車に乗ってる時点で十分現代っ子な妖怪なんですよ。あなたが笑うのはおかしいです。
しかし天狐さんにとっては私の回答は的外れなものだったらしく、少し不機嫌そうな声を上げていました。
「ねっとさーふぃん……じゃと? お主はもっと外に出て何処かへ行くなんて事はせんのか」
「言っときますけど私、市松人形ですよ? こんな姿で外に出たら、みんな不気味がって近づきませんよ」
私だって外に出たいとは思ってます。だけどこの姿で外に出る事自体が、どれ程危険な事なのかも十分に理解していました。
見ての通り私は市松人形です。故に人間に姿を見られたが最後、見世物小屋で一生を終えるのは目に見えていました。
でもやっぱり自分が暮らしているこの街の姿ぐらいは、じっくりと見てみたい思いもあります。だから私は暇があれば、グーグルアースで雛形区の姿を見ていました。無論、暇なんて私からすれば、誰かに譲りたいぐらいいっぱいあったんですけど。
その点で言えば、彼らがこの家に居てくれて感謝しなければなりません。何故ならネットにも載っていない私の知らない事を、こうして教えてくれる辞典のような方々なんですから。
「師匠はそう言うデリカシーが無いのが玉に
「やかましいぞ! この馬鹿狐!」
「あなたも狐でしょうに!」
このやり取りは何回見ても面白いです。まるで夫婦漫才でも見ているかみたいな、そんな感覚がしました。それはしばらく続きましたが、ある程度収まりが着いたところで天狐さんは話を切り出しました。ーー何故か私に。
「ならツクモノ、今日一緒にエイガカンへ行かんか?」
「エイガカン……ですか?」
エイガカンーー。聞いた事が無い言葉でした。映画、と言う単語は聞いた事があるのですが、それだと「カン」が一体何なのか、イマイチよくわかりません。何かしらの関連性はあるんでしょうが、どうなんですかね。
「なんじゃお主、ねっとさーふぃんをしておるのにそんな事も知らんのか?」
「ネットサーフィンをしてても知らない事ぐらいありますよ!」
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