他人を助ける心
でも見ず知らずの人に私を運ぶなんて事、本当にさせちゃっていいのでしょうか。大した礼も出来ない上に申し訳ない気もしてきましたので、再度私は訊ねました。
「本当にいいんですか」
「おうさ。人助けはオラの趣味なんでな」
が、真偽を問い質してもエンコさんは意思を変えません。どうやら私を上まで運んでくれるって話は本当みたいです。
それにしても人助けが趣味だなんて、余計にこの方が人畜の尻子玉を抜き取る妖怪とは思えなくなりました。それも、もしかして人間は彼を他の妖怪と間違えちゃってるんじゃないかって思うくらいです。やっぱり妖怪は見かけにやらない方が多いんですかね。
「ありがとうございます!」
足腰の限界なんてとうの昔に来ていましたから、もう嬉しさのあまり元気過ぎる声を出してしまいました。他人に運んでもらえる味を知ってしまったら、それに甘えてしまうのは必然とも言える心理ですし。
それはそうと身長差がある為に彼を見上げてばかりいたので、そろそろ首の方も痛くなってきました。関節痛と言いますか、妖怪なのに痛いと言う感覚があるってのは不思議で堪りません。
そんな私を察したのか、エンコさんは首に手を添えていた私を抱き上げたかと思うと、そそくさ階段を登り始めました。いきなり私の体が離陸した時は、つい何事かと思っちゃいましたよ。
少し生臭い匂いがした事は、黙っておいた方がいいでしょうね。人の親切心ってものは無駄にしてはいけませんから。ーー無論彼は人ではなく妖怪ですけど。
階段を登りきって右へと曲がった所には、俗に言う談話室と呼べる程の小さな空間がありました。道中を早歩きで進んでいたエンコさんでしたが、その空間を通り過ぎる直前でそれは起こったんです。
「やあエンコ、今日はお人形なんか持って何処行くんだい?」
真っ黒でとぐろを巻いた大きな蛇が、エンコさんを嘲笑うかのような言い草で話し掛けてきました。そう、誰も居ないだろうなと勝手に錯覚していた空間には、ちゃんと他に寝泊まりしている客が座っていたのです。更に感じの悪い蛇の隣にもまた、背丈の低いお爺さんが紅色のソファに腰掛けていました。ついでに言うとこのお爺さん、何処かで見た事がある気がします。ーー誰だったっけなぁ。
考えてもみれば、自分の部屋までに他の妖怪とは出会わなかったからと言って、心紡ぎの宿に客が居ないと思う事自体が間違いでした。第一轆轤首さんと私の部屋が分けられなかったのも、宿がほぼ満室であるからだとお初さんは言っていましたしね。私ったら何を考えているのやら、また馬鹿を晒しちゃってる気分です。
「コイツぁ立派な付喪神だ! その辺の人形と一緒にすんでねぇ」
すると立ち止まって振り返るや否や、何故かエンコさんは怒りを露わにして二人へと怒鳴り返しました。下から見る彼の顔の怖さと言ったらもう、恐ろしさのあまり空いた口が塞がらない程です。もし人間がこの顔を見て彼の生態を想像していたのなら、私も同じ考えてしまったかも知れません。
ですがさっきのエンコさんの発言には嬉しいところももありました。それは私が不確かな存在であるにも関わらず、彼は私の事を「立派な付喪神」と言ってくれた事です。まだ私は自分が何者なのかわかってない為、自身が付喪神だとは誰にも言ってはいません。ですが改めてそのような事を言われると、少し嬉しい気持ちがありました。まるで自分の存在を認めてくれているような、そんな気がしました。
「ハッハ、何をムキになっておるんじゃエンコ。何もそこまで怒る事ないじゃろうて」
そんな彼の怒りを物ともせず、背丈の低いお爺さんは更なる煽りを加えてきます。エンコさんのあの顔を見て尚馬鹿にしようとするなんて、お爺さんも中々に肝の座った方ですね。
「そりゃあエンコが市松人形抱いて歩いてる姿なんて見れば、誰でも笑っちまうに決まっているだろうさ」
お爺さんに続ける形で、黒い大蛇も再び大きな声で笑い出しました。このままエンコさんがここに居る限りは、彼らの煽りも止む事はないでしょう。
「はぁ」
とうとうエンコさんは呆れて物も言えなくなってしまったのか、終わりの見えない彼らの馬鹿話を無視して足を進めました。目を瞑ったまま後ろを向いた時の彼の顔は、吐いてもいないのに溜息を吐いているようにも見えました。大蛇達のエンコさんへの対応を見る限り初対面ではないようですが、見ての通り彼らの相手をするのは疲れるみたいです。
言われてみれば河童が市松人形を抱いて歩く姿も、側から見るとかなり滑稽なものなのかも知れません。それ故に私の中の彼に対する罪悪感は、これまでにないぐらい込み上げていました。
だって考えてみてください。もし私を抱いて歩いているのが小さな女の子であれば、あんな事誰も言いませんよね。ーーいや、そもそも私が生まれた時代が遅過ぎた節もあるから、そんな事はないか。
「ごめんなさいエンコさん。私のせいで嫌な思いさせちゃって……」
「気にすんでねぇ。アイツらいつもああだからよ」
とは言いつつも、やはりエンコさんの声は疲れていました。私の為に怒っていただいて、本当にありがとうございました。ーーそして、ごめんなさい。
未だ後ろの方から私達を指す笑い声が聞こえてくる中、ふと疑問に思った事を問い掛けてみました。山城町の妖怪の事は割と調べていたつもりでいたんですが、いざ自分の目で見るとなると、意外にわからないものなんですよ。
「あ、あのお二人ってどんな妖怪なんですか?」
「
「えっ! 児啼爺って実在してたんですか!?」
一瞬エンコさんの顔に、明らかなクエスチョンマークが浮かび上がりました。おそらく彼ら山城町の妖怪からすれば、児啼爺の存在なんてものは当たり前なんでしょうから当然です。ですが私は違います。だってインターネットで調べた限りでは、児啼爺の伝説は無いに等しいと書かれてましたからね。
児啼爺はオギャナキと間違えられて生まれた妖怪ーー。そう言った予備知識が、私の頭に更なる混乱を招き入れていました。
気が付くとエンコさんは、その場で立ち止まったまま何か考え事をしているようでした。おそらく私の質問が悪過ぎて、意図を理解出来ていないんですね。
ちゃんと意味合いを付け足した方がいいのかなーー。そんな事を考えていると、エンコさんは何か答えを導き出したのか口を開きました。彼の頭の回転は、私の思っていたよりもずっと早かったようです。
「ああ、そう言う事か。人は妖怪の存在がどうこう言ってっけどな、妖怪ってのは案外元から居たりするもんなんだ」
「えっ、そうなんですか?」
つまりは妖怪の存在は人間の私事に左右されないって事なのでしょうか。よくはわかりませんが浅いようで深い、そんな妖怪の片鱗を垣間見たような気がしました。
「着いたぞ、ここが天狐さんの部屋だ」
ようやくとも言えましょうか。私達はやっとの思いで当初の目的地であった、天狐さんの部屋に到着しました。距離としてはあまり長くもない距離でしたけど、やっぱりあのお二人がうるさかった事もあってか、かなり遠く感じていましたね。
「ありがとうございました。おかげさまで助かりました」
「気にすんなって。オラだってオメェの役に立てて嬉しいぞ」
この方は発言からして聖人だなーー。私は彼の手から降ろされる途中で深く感銘しました。そしてエンコさんの事は、また轆轤首さんにもしっかりと言っておかなきゃなぁとも思います。とても紳士で優しい方だったってね。
「じゃあな、小さな付喪神」
そう言って彼は来た道を走って戻っていきました。ペタペタペタ、少し湿った水掻きの音が聴こえなくなるまで、私は彼の背中を見ていました。ああやって自分の損得を考えず、ただ他人の力になれる妖怪を目指したいなーー。そんな事を思った私が何処かにいました。
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