チラつく七本の尾

 轆轤首さんは妖怪とは言え女性。男性である加胡川さんの押し出しに対抗する力も無く、彼女は足場を地から空へと移しました。つまりは崖から落下したと言う事になっちゃいますね。

 私から見える下の景色は渓流があるので青一色、おそらくこれは轆轤首さんも同じ光景を見ているのでしょう。何せ私達がピンチである事には変わりありませんよ。


「なっ!?」


 全てが止まって見えました。いえ、正確には周りの物全てがスローモーションで動いていると言った方が正しいです。人間は事故などで死ぬ時、周りがゆっくりと動いて見えると言う話を聞いた事がありますが、もしかすればこれがそうだったのかも知れません。


「私死ぬのかな」


 そもそも妖怪が死ぬなんて話、聞いた事がありませんし真実はわからないです。ですがいくらこの状況を見ても、それ以外に考えられる未来なんてありませんでした。

 死んだら痛みとかはどうなのかな。今この瞬間でその答えを見つけようとも思いましたが、私なんて初めから生きているのかどうかすら怪しい存在です。ーーなんとも言えないなぁ。


 そんな中でも私の入ったリュックサックは落下させまいと思ったのか、なんと轆轤首さんはリュックサックを肩から外して、崖の上へと放り投げました。


「せめてお前だけでも、な」

「え、何やってるんですか轆轤首さん……?」


 空高く舞い上がるリュックサック。次第に轆轤首さんとの距離が遠のいていくのは、小さく空いた穴からもはっきりと見て取れました。


 なんで私を一人にするんですかーー。彼女が居たから私は生を受ける事が出来た、彼女が居たから私は自分の正体を知ろうと思った。彼女がいたから、私はこうしてこの場に居るんです。それをこうも易々と切り離してしまうなんて、例え相手を守る為でも私には出来ません。


 ドサッと言う音を立ててリュックサックは、運良く加胡川さんの背後へと辿り着きました。非力な彼女にしてはだいぶ飛んだ方なので、おそらくは火事場の馬鹿力みたいなものが発揮されたのでしょう。

 何も私だけを助けようなんて思わなくても良かったのにーー。どうせあなたも死んでしまうのであれば、私も一緒に死んだ方がマシだったんです。ーーなんで私を置いて一人で落ちようなんて考えたんですか、轆轤首さん。


「轆轤首さん! 無事ですか!?」


 涙声を混じらせたその声も、僅かに空いた穴から抜け出る事無くリュックサックの中で寂しくこもりました。

 心配の言葉すらも掛けられないなんて、私はどれ程無力なんだろうーー。しかもリュックサックの穴の方向は不運にも、崖とは反対側の方向を向いていたので今どう言う状況なのか把握出来ません。その為今さっき何か打つかる音がしたのも気になりますが、今私が最も知りたいのは轆轤首さんの安否、ただそれだけでした。


「おやおや、思ったより貴方もしぶとい方だなぁ。てっきりこのまま落ちてくのかと思ってたのに」


 緊迫した空気の中で聞こえた彼女の無事を知らせる加胡川さんの声、それを聞いて私は心の底から安堵しました。

 もはや加胡川さんを許す事が出来ないのは当たり前ですが、まず第一に轆轤首さんがまだ生きておられる事が最優先です。私はもうお婆ちゃんの時みたいに、大切な人は失いたくはないんですからね。


 ふと、私はリュックサックのチャックが緩んでいる事に気が付きました。しめた、これなら内側からファスナーを開けられるので、穴を介さずとも外の状況が見られますよ。

 すぐさま私は今の状況を把握すべく、ファスナーの口を両手でこじ開けてリュックサックの外へと目を向けました。そして目の前の光景に私は、自分の目が正常がどうかと疑いました。


「ーーまさかアンタも妖怪だったとはね」


 私の目の前には、崖の根元辺りで佇んでいた一本の木に巻き付く轆轤首さんの長い首があったのです。そしてその首の先には険しそうな彼女の表情が、見たくもないのにも関わらず私の目に映り込んでいました。


 あれ程人前で自身の正体を悟られてはならないとおっしゃっていた轆轤首さんが、今こうして危機を流れる為に妖怪としての一面を人間に晒してしまっているんです。ショックの一言では私の心情は言い表せませんでした。

 逆に言えばそれだけ、轆轤首さんのピンチが大きいものである事も忘れてはなりません。首の皮一枚繋がったと言う言葉がこれ程似合う状況も無いでしょうし。早くなんとかしてあげないとーー。このままでは彼女が落ちてしまうのも時間の問題です。


「アタシも少しお前の事を信用し過ぎてた。道理であんなに易々と話し掛けて来たわけだ、それも全部……今と言う状況を作り出す為の芝居なんだろう?」


 首を必死な表情で木に巻き付けて、轆轤首さんは今にもかすれそうな声で問い掛けました。もう喋らないで轆轤首さん、あなたが力尽いたらその瞬間にあなたの体は崖の下へと落ちて行ってしまうのにーー。見ているだけとは言え私にも、轆轤首さんの気持ちが痛い程伝わってきました。ーー信頼した者の裏切り、それは想像するだけでも息苦しいものだから。


 そんな事を考えても状況は無情にも変わらず、ただただ巻き付いた首の緩みが目に見えるスピードで進行していっていました。それはあたかも徐々に解けていくロープのようでした。


「ご明察! 僕は人間が困っている状況を見るのが好きなんでね……」


 人が崖から落ちそうで困っているのにも関わらず、加胡川さんは大きな声を張り上げて言いました。なんて最低な方なんでしょうか、一時でもこの人を良い人だなんです思ってしまった自分が恥ずかしいです。

 尚も彼は轆轤首さんを助ける仕草を見せず、己の主張を続けました。


「ーーそれが『同じ』妖怪であれば尚更だよ……ッ!」


 すると次の瞬間、斜めから存在を悟られないよう加胡川さんを見ていた私は彼の正体を目の当たりにする事となります。轆轤首さんの方へ歩みながら徐々に変化していく加胡川さんの姿、これが彼の真の姿だったなんて今でも信じられませんよ。だってこの人、人間じゃなかったんですもん。


 お尻辺りから生えた金色こんじきに輝く七本の尻尾、更には人間の姿の時は見えていた耳も見えなくなり、代わりに頭の上で何かのとんがった獣の耳がひょっこりと現れたその姿は、まさしく妖怪としか言いようがありませんでした。


「お前……さてはヨウコだな……?」

「ご名答! 君みたいな妖怪に覚えてもらっていて光栄だよ、轆轤首」


 ヨウコーー。初めて聞く名前ですが、見た目からしておそらく狐の妖怪みたいですかね。であれば感じを当てはまるとすれば妖怪の「妖」に「狐」で妖狐ようこってところかな。何はともあれ嫌な妖怪である事に変わりはないです。


「そろそろ僕もこの状況が飽きてきたんでね、進展させようかと思ってるんだ」

「何を……する気だ」

「アンタの大切にしていたリュックの中身を、この崖から落とす」

「ッ!?」


 一瞬私の背筋がゾクっと凍りつきましたよ。この人、本気でそれを言っているのかってね。けれど何の躊躇いも無く轆轤首さんを崖から落とした様子を見ると、満更でもない事がわかります。もはや正常じゃない神経をしているのは一目瞭然でした。


「中には何が入ってるんだろうなぁ」


 轆轤首さんが動けないのをいい事に、加胡川さんは徐々に私の方へと足を進めていきます。迫る彼の足音、逃げようにも逃げられない恐怖心の中で私はある事に気が付きました。それは私が外の景色をより鮮明に知る為に行った、軽率な行為のツケでした。

 そう、リュックサックのチャックが開きっぱなしだったんです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る