頬を伝う水滴
「他の付喪神の方も食事は取られるんですか?」
私は一応、他の付喪神の方が食事を取られるかどうかを訊ねてみました。仮にもし、下手に食事を取って私の体に異常を来しては元も子もありませんからね。
でも彼女から帰って来た回答は、私が期待していたものとは随分と違うものでした。
「知らねぇよ。だってアタシさ、四百年ぐらい生きてるけど付喪神どころかお前以外の妖怪とは数回程しか会った事ねぇんだから」
「なッ!?」
もうびっくりしました。私よりも何百倍と生きている轆轤首さんですら、自分以外の妖怪とは数えられるぐらいしか会った事が無いと仰ってるんですよ。となると私が他の妖怪の方と出会うのも、もしかすればまだまだ遠い未来の事なのかも知れません。
妖怪って案外人見知りの方が多いのかな。とにかく謎は深まるばかりです。
「まぁもしもん時の為に水ぐらいは飲んどけよ。きっと損はさせねぇから」
「はぁ……」
そう言って轆轤首さんは、床に置いたままの妖怪図鑑に足を
しかし何故、彼女がここまで水分の摂取を勧めてくるのかはわかりません。
もしかしたら遠回しに妖怪にも脱水症状みたいなものがあるんだと教えてくれているのかも。だとすれば、永久の寿命を持つ妖怪と言えどもまた、生き物の一つって感じがします。
「ほらよ。まぁ飲めや」
コップを差し出してきた彼女の手の片割れには、何やら艶消しが施された銀色の缶が握られていました。
それもよく見るとその缶にはかなりの水滴が付着しています。あれは一体何なのでしょうか。
今日は雨が降っていたので野晒しにしていたのかとも思いましたが、どう考えてもここは室内です。わざわざコップに水を入れるついでに濡らしたとしたら、やっぱり変わってますよこの人。
「アタシにゃコイツがあるからよ」
すると轆轤首さん、何を思ったのかその水滴を滴らせた缶を私の顔目掛けてくっつけてきました。これにはせっかく私の顔に描き込まれたお化粧も、缶の水滴のせいで落ちちゃうかも知れません。
ですが次の瞬間、私の頬っぺたにまたしても、これまで感じた事の無い感覚が呼び覚まされました。
「ひゃっ!」
それは何だか触れた箇所がなんかこう、ヒュッとした感じでした。痛くはない、けど思わず顔を
しかも濡れた缶が頬っぺたに当たったせいで私の顔に水滴が付いちゃいましたしね。全く轆轤首さんったら何してくれてるんですか。
「もしかしたらって思ったけど、やっぱりお前にも感覚はあるんだな。ツクモノ、今の感覚はレイカクってやつだよ」
「レイ……カク?」
顔に付いた水滴を仕方なく自分の着物の袖で拭っていると、轆轤首さんは得意げな表情を浮かべながらそんな事を言ってきました。
何かを伝えたかったのなら普通に教えてくれればよかったのに。何でいきなり実行なんてするんでしょうか。
一先ず冷静になって彼女の話をまとめてみる事にしましょう。「れい」って言葉で考えられるのは冷たいって意味の冷、「かく」はおそらく感覚とかの事って所でしょうか。
と言う事はつまり、
「……今のが俗に言う『冷たい』って感覚ですか!?」
「お、察しがいいなツクモノ。その通りだ」
なるほど彼女が伝えたかったのはこう言う事でしたか。にしてもこれが冷覚。私は今、また一つ生を得た事を実感したような気がします。
一方で今手渡されたコップは、さっき感じた冷たさは感じませんでした。つまりはこのコップに入った水があまり冷たくないって事なのかもそれません。
まぁ私としてはあの感覚がまだ慣れていないるので、これぐらいの温度が丁度いいと思います。それにこの水もせっかく手渡されたので、口に飲んでみる事にしましょう。
「あっ」
水を喉に通すや否や、体全体に水が、地中深くに張る根の如く駆け巡っていく感覚がしました。これまた目を見開いちゃうぐらいに、びっくりする感覚ですね。
おそらくこれも私が水分どころか湿気すらも無縁の生活を送っていた為、体が水にびっくりしちゃったからだと思います。ちなみに味に関しては透明さが物語っている通り、すっきりとしていてとても飲みやすかったです。
正直今の所はそれ以外に特筆すべき感想はありません。強いて言うなら水漏れしないか心配なぐらいです。
それにしても今日と言う日は初体験が連続する一日でした。お婆ちゃんの死を知り轆轤首さんとの出会った、もうこれだけでも私からすればいっぱいいっぱいですのに。
だからきっと、今日と言う一日はこれからもずっと忘れる事が無いでしょう。
急に轆轤首さんの話し方が変になっちゃったのは、私が水を飲み終わってからしばらくした後の事でした。
彼女が手に持っていた銀色の缶は既に中身を失っているみたいで、傾いた角度からは中の液体が流れてくる事はありませんでしたが、頬を赤らめて胴体から離れた頭をカクンカクンさせながら彼女は言いました。
「けどよぉ……なんかなぁ……あれだよ」
「どうしたんですか? 轆轤首さん」
わけのわからない物言いに加えて私の問い掛けにも反応しない辺り、轆轤首さんの意識は朦朧としているみたいです。
伸びた首も不規則に唸っており、このままではこんがらがっちゃいそうで私も不安ですよ。一体彼女はどうしちゃったんでしょうか。
そうこうしている内に轆轤首さんは、遂に白い机に立て掛けた肘を倒してうつ伏せになってしまいました。
持っていた缶も中身が入っていなかったとは言え床に落ちてしまい、伸びていた首も同様に力尽きたのか、ドサッと音を立てて机に向かって落ちてきました。
目を瞑って笑みを浮かべた横顔を見るに彼女、どうやら眠ってしまったようですね。こんな所で寝ちゃったら風邪引いちゃいますよ。
しかしながら布団があれば掛けさせてあげたいのですが、辺りを見回してもそのようなものは全然見当たりません。まぁあった所で私の非力な力ではそれを持ってくる事も困難でしょうけど。
悩んだ挙句、私は自分が身に付けていた赤い着物を、彼女の肩に掛けてあげる事にしました。
私の着物なんて轆轤首さんから見れば明らかに小さいですが、
早速帯を解いて上に纏っていた着物を脱ぐと、私は彼女の肩に自身の着物を乗せてあげました。サイズ的には轆轤首さんが華奢な事もあり、思っていたよりもピッタリでした。
これでとにかく一安心……って言うか
「なぁ……ツクモノ」
ふふふ。この人、寝言言っちゃってますね。出来るだけ轆轤首さんの睡眠を妨げないように、私はお婆ちゃんを見ていた時と同様にじっと彼女を見つめてみました。
それにしても幸せそうな寝顔です。私もこんな顔が出来るようになるのかな。そう思っていた矢先、ふと轆轤首さんの口からは予想外の発言がこぼれ落ちました。
「……会えて嬉しかったぜ」
やだ、何言ってるんですか轆轤首さん。それを言うのは寧ろ私の方ですよ。あなたが私を拾ってくれなきゃ私は今頃何処に居たのかすら見当もつきませんし。
だから先にそんな事言われては私、私……。
「あっ」
ふと視界が歪みました。そして頬に伝わる熱い水滴が流れてくるのもわかりました。
これってもしかして。考える間も無く私は理解します。それが密かに待ち望んでいた涙と言うものである事を。
「だからあの時……水を飲めって言ってたんですか」
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