第三話 パソコン室の怪人

1 ヘンななフシギ、次々増える?

1-1

 夕方というには早い時間、四階の隅に生徒が四人集まっていた。みんな五年の男子だ。

『本当に、そんなことあるのか?』

『俺、転校してくる前の学校でそういう噂を聞いたんだ』

 答えた方は、ポケットに入るくらいの鏡を二枚持っている。女子なら身だしなみを気にして携帯することもあるけど、男子はあんまりそういうものを持ち歩かないはずなのに。

『四時四十四分に学校で合わせ鏡をすると、悪魔が出てきて鏡の中に引っ張り込まれるとか。閉じ込められて出てこられなくなったやつが見えるとか』

『そういうのって、夜中っつうか朝早くの四時四十四分じゃねえの?』

『そんな時間に学校行くなんて、眠くて嫌だろ』

『バカらしい。昼だろうと夜だろうと、どうせ何も出ねえのに』

『そんなこといって、本当に出たら怖いとか思ってんだろ』

『なわけねえだろ!』

『そろそろ時間だぞ。十、九、八……』

 スマホを持っている男子がカウントダウンする。スマホを校内で出すのは禁止ですよー。鏡を持っている男子は二枚を向かい合わせてスタンバイ。

『……三、二、一、ゼロ』

 カウントダウン終了。何も起きない――違う。片方の鏡から盛り上がってくるものがあった。鏡を持っていた男子が、驚いて手を放す。

『何か出てくる?』

『つか、それ本当に何だよ』

 彼らが話していた噂話によれば、出てくるのは悪魔。普通のイメージだと、悪魔って黒くて虫歯菌の絵をシリアス調にした感じだろうか。

 出てきつつあるものは、あわいピンク色。見るからに、ぷにゅぷにゅしている。

 きゅっぽん!

 間の抜けた音と共に飛び出して、床に転がった。ボール? いや、丸くなっていただけ。

 大きさは猫くらい。足は地面に着ける部分が平たい。お鼻が長くて、きっと母さんも長い。

『ぞ、ゾウ?』

 こんなに小さいゾウなんているんだろうか。ピンク色のゾウなんているんだろうか。四人が話しているなか、ゾウさんは起き上がって辺りをきょろきょろ見る。

『ここ、どこ?』

『しゃべった?』

 みんな驚いて、ゾウさんから離れた。ゾウさんの方は、瞳をうるませる。

『ぼく、かえりたいよ……』

 涙がぽろぽろ。あまりに弱々しい雰囲気だったからか、合わせ鏡で呼んだ方もかわいそうになったみたい。一人が鏡を二枚とも拾って差し出す。

『ほらよ。これでいいのか?』

『ありがと……』

 ゾウさんは鏡に前足を当てた。水面をくぐるように鏡の向こうへ――行ったりしなかった。

 いくら触っても、ツメがカチカチいうだけ。頭から押し込んでみても変わらない。そもそもゾウさんは小さいといっても鏡より大きい。どうやって出てきたのか不思議に感じてしまう。

『かえれないよー!』

 ゾウさんが大声で泣き始めた。男子の一人は、じわじわと後ろに下がる。

『俺、知らねえ!』

 駆け出して、他の男子が一人続いた。

『俺を置いてくなよ!』

『えーん、まってよー!』

 結局、みんなゾウさんをその場に残して廊下を走った。

『何だったんだよ、今の』

『おい、何か聞こえないか?』

 四人の耳に届いたのは、ピアノの音だった。曲を奏でてているんじゃなく、音程をたしかめるように一つ一つ鳴る。男子たちは音楽室の前に来ていた。

『そういや、こんな話も聞いたことがある』

『お前、またかよ』

『音楽室で、ベートーベンの絵が目を光らせるとか。ピアノが勝手に鳴るとか』

『まだ早い時間だし、誰かが中にいるんだろ……なあ?』

 授業に使われていないときの音楽室はカギをかけられている。放課後の今もそのはずなのに、ドアが少し開いていた。

『見て……みるか?』

『生徒か先生がいるだけだって』

『何だよ、お前怖いのか?』

『そんなこといってねえだろ』

 結局、合わせ鏡のときと同じように全員で音楽室の中を見ることになった。どうして男子ってかっこつけたがるの? 偉そうにしていないと死んじゃう体質とかなんだろうか。

 のぞく寸前で、みんな踏み留まった。急に曲が始まったからだ。オーケストラでやりそうな曲じゃない。カエルの歌だった。

 ゆっくりと、ド、レ、ミ、ファ、ミ、レ、ド。そこから先がおかしい。ミファソラソファミが一つずつずれて、ファ、ソ、ラ、シ、ラ、ソ、ファ。

 進むうちにどんどんずれる。最後なんてドド、ミミ、ソソ、シシ、ファ、ド、ソと無茶苦茶。二つの音を一度に出しちゃうこともあったし、リズムも変。もうカエルの歌かどうかすら怪しい。

『すごい下手くそだな』

『いくら何でもひどいだろ』

 男子たちは音楽室の中を見て、目を丸くした。ピアノのイスに座っていたのは生徒でも先生でもない。知らない人でもなくて、この部屋で見たことがある。会ったことがある、じゃなくてだ。

 もじゃもじゃ頭のおじさんで、鋭いまなざし。ベートーベンだ。ただ、しくしく泣いている。

『ワガハイ、どうしてベートーベンなのにオンチなのか……!』

 目が光る。懐中電灯を二つ並べて持っているみたいに、丸い光が二つ音楽室の中で動く。

『違う! ピアノがワガハイに合っていないだけだ! ワガハイはベートーベンなのだから、やればできるはず!』

 音楽家のベートーベンはピアノの曲を作っていた、ということはここにいるベートーベンにとって関係ないらしい。

 ベートーベンが奥から持ってきたものは大きくて、茶色いタルみたい。白い革が張ってある。

『この大ダイコならどうだ!』

 いつの間にか着ているものが学生服に変わっていた。ハチマキもしめて、応援団そのもの。

『フレー、フレー、ワ・ガ・ハイ! がんばれがんばれワ・ガ・ハイ!』

 ドーンドーン! とバチで打ち鳴らす。エールとタイコのテンポが合っていない。やっぱりオンチだけど、ベートーベンは構わずに続ける。

『わははは! 調子が出てきたではないか! フレー、フレー……』

『……行こうか』

『ああ』

 見ていた男子たちは、変な汗を垂らしながらその場を離れた。

 タイコの音はかなり大きかったけど、音楽室のことを誰に話しても『そんなの聞こえなかった』と答える。彼らがそれに気づいて首をかしげるのは、もう少し後のこと。

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