2 校長の貝沢先生
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どこの学校でもそうだと思うけど、授業が終わるとみんなすぐに帰る。
中にはゆっくりの子もいる。グラウンドで遊んで帰るつもりとか、友だちと話し込んでいてたまたま遅くなったとか、理由はいろいろ。
今、三階のトイレ前にそんな生徒が何人か集まっていた。
『何これ?』
『誰かのいたずら?』
三階を使っている三、四年生ばっかり。もっと年下の子もいる。みんな男子トイレと女子トイレの間にある壁を見ていて、そこにはり紙が一枚。
〈ひっこします はなこ〉
私たちは、ざわついているみんなをしっぽ玉越しに見ていた。
「女子トイレの中にいるから女子しか見られないんだよ。トイレの花子さんだからトイレの中にしかいないなんて、決めつけはダメだしね!」
「それはもうトイレの花子さんじゃないけどな」
アミちゃんが半笑いになっているなか、ツキちゃんがしっぽ玉の景色をのぞき込んだ。
「始まるみたいですね」
女子トイレの中から物音がしていた。
奥から二番目の個室。その扉がゆっくり……じゃなくてバーン! と勢いよく開けられた。中にいた人影が、すたすたと廊下へ出てくる。
『あんたたち、あたしに用でもあるのかい?』
トイレ前のみんなはギョッとしていた。現れたのは女の子で、赤いスカートと白いワイシャツにおかっぱ頭。フォーマルな花子さんスタイル。
『花子さん? でも……』
一人がつぶやいた。花子さんは、強気そうな視線を返す。
『だったらどうだっていうんだい』
口調もはっきりしていて、態度は小柄だってことを感じさせないくらい堂々としていた。
『まあいい。あたしもヒマだから、ちょっとゲームでもしようじゃないか』
ゲームという言葉に、何人かが興味津々の目をした。
『あたしは今から新しい住みかに行く。見つけられたら、学校の秘密を一つ教えてやるよ!』
花子さんはいいきって、近くの教室に入った。みんなが帰った後の教室はカギをかけられるけど、そこはいつの間にか錠を引っかけただけになっていた。
『本当に花子さん?』
『あんまり花子さんっぽくなかったっていうか。見た目はともかく』
トイレ前のみんなは不思議そうに話し合った。そのうちの一人が教室の中をのぞいて、『あっ』と声を上げる。全員で入ったとき、そこに花子さんはいなかった。
『少しくらいヒントをやるよ』
さっきの声。教室と反対側の窓――つまり廊下の窓から。外に木が生えていて、花子さんは太い枝の上に立っていた。
『校舎以外で、グラウンドから見えるものの中。どうだい?』
枝に縄が結びつけてあって、花子さんはそれを使って身軽に下まで降りた。飛んでいるヘリコプターからレスキュー隊が降りるときみたい。駆け去っていく足も速い。
残された生徒たちは、窓の外を見ながらざわついた。
『どうする?』
『本物? 偽物?』
『秘密って何?』
『ちょっとだけ探してみようか』
どうでもいいや、とかいわれなかったことに私はホッとしていた。アミちゃんは、わくわくした様子でソファーから腰を上げる。
「学校全体を使ったかくれんぼなんて面白そうだな! あたしも行ってみる!」
「私も行く! 隠れた場所も、どんな秘密かも、私たちにだってわからないし!」
秘密の内容は、花子さん自ら調べたもの。スパイみたいな身軽さで探る、と私はイメージした。花子さんのヘンななフシギ作りをしたのはついさっきだけど、短い時間でどんな秘密をつかんだんだろう。
「では、わたくしもご一緒させていただきます」
「うん! ゆーま君は、またいじめられるといけないよね。ここからしっぽ玉で見てて!」
「そ、そうするっシュ」
ゆーま君がありありとさせていたためらいは、一人だけ留守番ってことのせいじゃないと思う。
私たちがグラウンドに出たとき、もうさっきの子たちが花子さん探しを始めていた。私たち三人も加勢して探し回った。
「体育館の中は?」
「まだ見てない」
「広いからあたしが念入りに探してみるか。お前らは登り棒の向こうにある植え込みの中だ」
最後のはアミちゃん。すっかり溶け込んでいる。
「あんたたち、何やってんだい」
軽い声に振り返ると、花子さんが腕組みしていた。
「体育館なんて、あんたたちがドタバタやるところに住めるわけないじゃないかい」
それだけいって、駆けていく。
「こうなったら、捕まえて力ずくで新しい住みかを吐かせる!」
アミちゃんは花子さんを追いかけた。私たちも続く。でも花子さんは足が速いし、角を曲がるともういなかったりもする。今だって、私たちは走ったあげくに花子さんを見失ってしまった。
花子さんはこんな調子で出てきたりいなくなったりを繰り返す。探す方も見つからないとやる気が下がるから、適度に刺激する。何度も繰り返されると、さすがにじれてくるけど。
「もう遅くなるな」
「帰るか?」
「あたしはもう少し探したいけどな」
「もっと、頭を……使って、みましょう……」
ツキちゃんが息を切らせながら追いついてきた。体力勝負になると不利だ。体育が苦手だし、遠足だとまっ先にへばる。
「さっきから、花子さんのいなくなり方に、決まりがあります。よく思い出してみましょう」
呼吸を整えて、ポケットからメモ帳を取り出した。マスコットつきペンで大きな丸を描く。
「走っていった方向は、体育館裏から裏門側、プール横からブランコのある方……」
矢印をいくつも付けていく。丸はグラウンドをざっと描いたって意味だったみたい。
「どの矢印も同じところに向いています。そこにあるものでまだ探していないのは、一ヶ所だけです」
みんな顔を動かした。そこには、グラウンドわきの倉庫。
「じゃあ、最後にその中を調べてみようか」
「君たち、何をしているんだね」
また動こうとした私たちに、声がかけられた。
歩いてきたのは、この学校では年が上の方の先生。太っていて、頭はすずしげ。校長先生だ。名前は
「そろそろ下校時間になる。早く帰りなさい」
「はい。もう少ししたら帰りますんで」
私は丁寧に答えたつもりだった。でも、校長先生はムッとした顔だった。
「今どきの子どもは……私が子どもだったころは、口答えせずにいうことを聞いたものだ」
口答えってほどじゃなかったと思うけど? 私はそういいたくなったのをギリギリで我慢した。
「すいません。じゃあ、これで」
私たちはそそくさと校長先生から離れた。
何か返せばもっとたくさんの言葉が戻ってきて、話が長くなる。朝礼で長く話すことが多いし、PTAの会議でも延々話すから『しゃべりすぎの貝沢』なんてあだ名を付けられているらしい。そんなのと一緒にいたら、花子さん探しの時間がなくなる。
私たちはぞろぞろと歩いて、倉庫に着いた。いつも入り口にはカギがかかっている――はず。
今は開いている。最初も花子さんはカギをかけられた教室に入っていった。秘密を探るときの役に立てばと思って、私はカギを外す能力があるとイメージしていた。
「こんちはー……花子さん、いる?」
私はドアを開けた。中は暗い。閉めきっていたせいで空気のにおいが外と違った。
「はなこさーん」
一緒に花子さんを探していた子が、名前を呼びながら中に入っていった。一行の中では学年が一番下で、二年生。二つ上のお姉ちゃんと帰ろうと思って上の学年の階に来たらもういなくて、つまんないなと思っていると花子さんのはり紙を見つけて……ということだったそうだ。
二年の子は倉庫の中を見渡す。運動会や体育の授業で使われるものが雑にしまわれていて、隠れられそうなすき間はいくらでもある。
ごそっと音がして、私たちは視線を集めた。倉庫の隅、ソフトボールのホームベースが重ねられている辺りから聞こえた。
ホームベースの向こうに何かいる。二年の子はすぐに駆け寄った。
でも、少しだけ見えた影が花子さんにしては小さすぎだった。案の定、それは花子さんじゃなくてしっぽの短い猫だった。二年の子とすれ違って倉庫の外へ飛び出していく。
「野良猫がたまたま入って出られなくなってたんだよ……あ」
私は目を見開いた。二年の子は倉庫の奥まで行っていて、そのそばにある荷物がグラグラしている。細長い棒が何本も立てられていたり、段ボールが重ねられていたり。
(下敷きにされたらケガしちゃう!)
二年の子、押しつぶされそうだって気づいていないよ! 私は「こっち来て!」って叫びながら手招きしたけど、ちっとも動こうとしない。
「仕方ないな……!」
駆け出したのはアミちゃん。でも、荷物はもうくずれる寸前!
(その子のそばまで行けても、逃げてこられないよ?)
私は血の気を引かせた。アミちゃんだって、同じことに気づいていたみたい。
「こうだ!」
アミちゃんは二年の子を通り過ぎて、壁にジャンプ! 壁を蹴って、走る勢いを逆に向ける。二年の子を抱えて、こっち側へ転がる。
その直後、荷物が音を立ててくずれた。ほこりが舞うなか、助けられた二年の子はきょとんとする。アミちゃんはせきをしながら起き上がった。
「ふう、危なかった」
「アミちゃん……ナイス!」
私は心臓をバクバクいわせながら思い出した。
ツキちゃんは運動が苦手だけど頭がいい。アミちゃんは逆で、勉強は苦手だけどすっごく身軽。私は……どっちもほどほどっていうか。勉強はほどほどレベルでもないっていうか。
「あんたたち、ケガはないかい?」
どこからともなく現われたのは、私たちが探していた花子さん。アミちゃんはため息をつく。
「新しい住みかを探すのはいいが、もっと安全なところにしろよ」
それと、もう少し簡単な場所がいいかも。見つけてもらえないかくれんぼってさびしいよ?
「そうするよ。あたしのせいでケガ人が出た、なんてことになったら寝覚めが悪いしね」
花子さんは肩をすくめた。
「第一、この場所はあんたたちから見つけられちまった。ここへの引っ越しはやめて、いっぺんトイレに戻るとするよ」
それは、私が考えていたセリフ。花子さんが自分を見つけた人に告げる言葉だ。
「さあ、これが約束の秘密さ」
ポケットから取り出したものは、二つ折りにした紙切れ。私に手渡す。
「片づけはあたしに任せて、ここを離れな。先生に見つかったら、あんたたちが散らかしたって思われるかもしれないだろ」
「花子さん、一人で片づけるつもりなの?」
「危ない目にあわせたワビさ。ほら、行きな」
私たちはせかされるようにして倉庫から出た。校舎の近くに来たところで紙切れを開いてみる。
「秘密って何だろ。えっと、校長の貝沢先生は……本当?」
「君たち、まだいたのかね」
振り返って、ギクッとした。近づいてきたのは、紙切れに書いてある校長先生。
「帰って宿題でもしなさい。まったく、私が子どもだったころは怒られる前に勉強したものだ」
ムッとした顔はさっきと同じ。私たちだっていい気分なんかしない。わざわざ自分と比べてみせなくてもいいじゃない? しゃべりすぎの貝沢とか呼ばれるのは百歩ゆずっていいとしても、こっちを楽しませる言葉でしゃべりすぎにしてほしい。
私はいらつく一方でひらめいていた。秘密を試すチャンスかも。
「ありがとうございます、カイザー先生」
「え……あ、ああ」
校長先生は様子がおかしく見えるくらい驚いていた。一応隠しているつもりかもしれない。
「わかってくれたのなら、いいんだよ」
態度が変わった! これは効いている!
「カイザー先生の話って面白いですけど、朝礼のときは困るときもあるんですよね。貧血で倒れそうになる子は、カイザー先生の話を聞くどころじゃなくなってかわいそう。ねえ、カイザー先生」
私は「カイザー先生」と呼ぶ回数を増やしてみた。校長先生はうれしそうな顔になっていく。
「それはいけない……もっと短くまとめてみようかな」
そういって、校舎の中に消えていった。アミちゃんも他のみんなも吹き出す。
「花子さんが調べたとおりだな。〈校長の貝沢先生は子どものころのあだ名がカイザーだったことをなつかしく思っているから、それを出されると機嫌がよくなる〉って」
「カイザー……皇帝という意味で、マンガに出そうな言葉でもあります。便利なのは『カイザワが偶然カイザーに聞こえた』と思わせながら使えることですね」
ツキちゃんがいったように、機嫌をさりげなく調節できて実用的!
(またヘンななフシギが一つ増えた。ゆーま君はななフシギっぽくないっていうだろうけど)
私はそう確信した。帰りがけに体育館裏へ寄ってみると、やっぱりゆーま君は微妙そうな顔。でも、ササには〈トイレにいるとは限らない花子さん〉という短冊ができていた。
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