第2話 イントロダクション①

 蓋止ふたどめ先輩は,二浪二留のベテラン学生だ.現在,俺と同じく3回生で同じ文芸サークルに入り同じ講義を受講しているわけだが,蓋止先輩は25歳となる.(女性だから面と向かってそのことをイジったりはしないが事実である.)よって,蓋止先輩はベテラン学生なのだが,だからと言って,いやだからこそ蓋止先輩はお金に厳しい.服もユニクロのコラボTシャツとGUのジーンズ.スニーカーはコンバースのキャンパス.一般的には廉価な服かもしれないが,蓋止先輩にとっては,主力の私服なはずで,大学の食堂でカレーうどんを食べている時に着ていい服なのかと他人事ながら心配になる.蓋止先輩はうどんをすすりながら,もごもごと話す.

たてくんさあ,それ自炊してんの? 毎日弁当じゃない? めんどくない?」

「ゆうて,昨日の残り物を詰めただけなので.楽ですよ−−っ!?」

 俺は昨日の夕食(チンジャオロース)の余りを,弁当箱から自分の口に運−−べずに,自分の服に落としてしまった.履いてるチノパンはセーフだったが,ドレスシャツにはわずかにシミができる.お気に入りだったが,これは洗濯では取れないかもしれない.蓋止先輩のTシャツではなく,自分の服を心配すべきだったが,これがこの世界の選択なのだろう(洗濯だけに).

「おっ,盾くん.ちょっとワタシに任せときな.えっっと,......言語ランゲージは『英語』.現象フェノメノンは『洗濯』.んで,呼句コールフレーズは『wash』っと」

 次の瞬間,俺のシャツにできたシミは消えていた.最近発見されたコモンAPIの『洗濯』−−であってるだろうか?

「ん.そだよ.抽選でβテスターに選ばれたんだよなあ,この前」

「まじすか.へー.......これ,便利だけど,洗剤とか取り扱う企業は絶対やばいですよね.今年の就活生,すごい減りそう」

 コモンAPI−−WAPIの中でも,もっともランクが低いものの,庶民の日常生活を確実に豊かにするものであり,企業にとってはコモンAPIの発見と独占が,その企業の株価を左右する.俺は弁当箱の横に放置していた,笹川から返された(要再提出と赤字で書かれた)レポートの1節に目を落とす.

『World API (WAPI)とは,たとえるならば,世界の資源へアクセスするための窓口である.APIとはアプリケーション・プログラム・インターフェースの略で,IT用語の一種である.かつて,グーグルという企業がグーグルマップという地図・位置情報サービスの提供を開始し,様々な企業のサービスがグーグルマップとの連携を始めた.有名な例としては,食べログのような飲食店口コミ評価サイトがグーグルマップを呼び出せるようにAPI連携している.つまり,食べログのサイトで飲食店について調べたときに,グーグルマップのサービスをAPI呼び出しすることで,食べログのサイト上で飲食店の地図を表示できるのだ.雑な説明ではあるが,このようにあるサービス,ある資源を簡単に別のサービスなどから呼び出すことをAPIコールやAPI呼び出しなどと呼ぶ』

『このAPIはIT業界での用語・概念だったが,AzonicWorld API.つまり,何もない空間に炎を発生させるのは,世界に対し,炎という資源を要求するAPIコールなのだ.あるいは,雨乞いのようなある種の儀式も,世界に対し,雨という資源を要求するAPIコールなのだと,大統一魔法理論では述べられている.』

『大統一魔法理論の発表前では,人類の多くが魔法は物語の中だけの存在だと考えていた.この時点で世界に実在したわずかばかりの本物の魔術師たちも,魔法というものは自分たちのような限られた才ある人間にしか,使えないのだと考えていた.しかし,Azonicらの考えは違った.Azonicらの大統一魔法理論の論文中では,『World APIWorld API』と述べられている』

『Azonicらの大統一魔法理論が当時,学術界で相手にされなかった理由がここにある.仮にAzonicらの言う通りに,正しい言語・正しい文言を,正しい発音で詠唱すれば誰でもWorld API,すなわち魔法が使えるのであれば,Azonicらが実際に実演できなくては筋が通らない.再現性を持って,同じ条件であれば誰でも魔法を使えなければ,Azonicらの主張は何ら意味をなさなくなる』

『だが,Azonicらは論文発表当初,実演することができなかった.彼らは,大統一魔法理論を本物の魔術師であるDonald Zainneとの共同実験における実験データから導き出すという,最高のサイエンティスト集団ではあったが,理論をもとに実践,すなわち魔法を行使することができなかった.一部の正しい言語と正しい文言の組み合わせまでは,共同研究者であるZainneの手によって発見されていたが,正しい発音で詠唱することができなかった.ほんの少し音程や音量が異なるだけで,魔法は成功しないため,Zainneであっても確実に魔法を発動できるわけではなかった.このことが学術界のみならず,世間の注目を浴び,AzonicらとZainneは一時期,ペテン師扱いされることになる.』

 ......我ながらダメなレポートだと思う.しかし,倫理Iの講義は教養科目で,別に単位さえ取れればいいし,研究室配属と就活を目前に備えた俺と蓋止先輩にとってはレポートの質など,シャツのシミよりもどうでもよい事柄なのだ.

「あー就活ねぇ.やっぱさあワタシ思うんだけどさ,プラットフォームを手がける企業が最強なのよ.アマゾンとかグーグルとか.んで,何よりも

 蓋止先輩に限らず,就活生は上から目線で企業を語ることが多い.自分の身の程にあっていなくても,とりあえず大企業の名前を出して謎にヒョーロンしてしまう.それが就活生だ.俺も就活生として,夏のインターンを控えているわけだけれど,蓋止先輩の口からディープ・アリア社の名前が出たことで,少し口が滑ってしまった.

「俺,ディープ・アリア社のインターン,受かりましたよ.長期のやつ」

 どうしても自慢げな口調になってしまうし,実際誰かに自慢したかったのだ.インターン採用通知が来たのは昨日で,倫理Iのレポート提出締切も昨日だったので,今まで他の人に自慢する機会がなかった.蓋止先輩は目を見開いて,うどんを喉に詰まらせながら聞き返してくる.

「えっ,すごくないそれ!? あれ,月200マンとか出してくれる有償のやつでしょ?なになに,盾くん隠されたコネとか才能とかあったわけ? 機械学習とかできる系? 無敵のディープラーニングであれこれできちゃう系? いいぃぃぃなあああ,ワタシのβテスターとさ,盾くんのインターン,交換しない? 同じディープ・アリア社のβテストだから大丈夫だよきっと!」

「いやダメでしょ.......なんかふつーに採用されましたよ.俺,どっちかというまでもなくダメよりの学生のはずなんだけど」

 俺は,倫理Iのレポートに再び目を落とす.

『......世間の注目を浴び,AzonicらとZainneは一時期,ペテン師扱いされることになる.だが,その数年後,学術界と世間の評価は一変する.新興IT企業である,ディープ・アリア社が発表した詠唱補助デバイスReinforcing Aria Device (RAD) の存在が,大統一魔法理論が真に正しい理論であると実証してみせたのだ』

『RADは,大統一魔法理論の実践,すなわち魔法の実現にあたりボトルネックとなっていた,正しい発音を補助する装置である.RADには,Magical-GANと呼ばれる機械学習における学習済みモデルが搭載されている.以前から,たとえば画像データの画風を変換するGANや音声合成を行うGANというものは,機械学習の分野では提案されていた.Magical-GANの特徴は,World APIAPIという点にある.前述の通り,World APIのAPIコールにあたっては,わずかばかりの音程や音量のずれさえも許されない.しかし,RADは大量のデータから学習した詠唱補助をタスクとするMagical-GANによって,ユーザごとにブレのある発音・発声を伴う詠唱を,最適な発音・発声へと音声合成を行い,補正することで魔法の発動をサポートする.これによって,World API,つまり魔法は人類誰もが扱うことができるようになり,大統一魔法理論は世に受け入れられた.AzonicらとZainneは,汚名を返上し,学術的な名声を手に入れた』

『さて,本レポートでは,RADと,RADを開発し今もなお販売しているディープ・アリア社に特に注目し,技術者倫理について論じたいと思う』

『論じるにあたり,まず2節で事例として2087年のディープ・アリア社リコール隠し事件を取り扱う.次に3節で持論を述べる.最後に,......』

 ......レポートでディープ・アリア社を扱っているのも,レポートとインターンのES,両方を書きやすくするためだ.あと面接対策.ディープ・アリア社は日系企業にありがちな謎面接なんてしてこないはずだが,念には念を,だ.レポート作成がてらに企業の沿革を調べておくに越したことはない.レポートでも書いたように,リコール隠し事件などあったものの,ディープ・アリア社は今なお成長を続ける超が5つは頭につくレベルの大企業だ.世界の企業株価ランキングでも堂々3年連続1位である.俺のようなダメ学生でも叶うのであれば,インターンに採用されたい.インターンで高評価を獲得して,就活を楽にしたい.

「俺って,小説好きじゃないですか.だから,前から文章とかに関連する機械学習に興味あって.そういうの活かしたプロダクトは面接で見せましたけどね一応.それが採用の決め手......とか?」

「プロダクトって言い方がもう意識高いよね.あーー,盾くんはそうやって,こっそり就活とか頑張るやつだったんだ.ワタシには一言も,なぁんにも声をかけず.『プロダクト(キリッ』とか一人で作って,情報科学科っぽいことして,いい企業に入るつもりなんだろーーなーーー「プロダクトって具体的にはどんなものですか?」ーあーーー......って,おお,霧子きりこちゃんだ!」

 お久しぶりです,真理まりさん,と近藤こんどう先輩が蓋止先輩に朗らかに挨拶する.近藤先輩は4回生だ.別に蓋止先輩と違って,ストレートで進級している.というか,学年でも優秀層らしい.すでにT大の大学院への内部進学を余裕で決め,研究室配属後,わずか3ヶ月で国際学会に論文を投稿し,acceptされたと聞いている.カナダの学会に行くと聞いていたが−−

「近藤先輩,もう学会って行ったんでしたっけ? インターンとか期末とかレポートとか,もう混み混みで.俺,サークルも顔出してなかったんで,すごい久々な気が」

「うん,行ってきたよーカナダ.もう英語がしんどすぎ.あと,......はい,お土産のメープルシロップ.真里さんの分もありますよ」

「おーー,ありがとおおおおおお霧子ちゃん......! きれーなだけでなく,ほんまええ子や......」

 謎の関西弁と涙を拭うジェスチャを取りながら,神からの贈り物を受け取るようにメープルシロップを受け取る蓋止先輩.蓋止先輩の言葉は正しい.近藤先輩は,背が高く顔がいいため,男性人気も高い.剣道部と文芸サークルの2つを掛け持ちして文武両道であり,まさに完璧超人である.本当,なぜ根暗の巣窟ともいえる文芸サークルに近藤先輩が入ってきたのか,永遠の謎である.近藤先輩はおしゃれもすごいのだ.夏にふさわしい涼やかなベアトップロングワンピースにさらにタンクトップを重ねて,ロングスカート風に見せている.高身長だから,あんな風に着こなせるのだろう.ヒールも履いているのでさらに高い.ハイビスカスとか夏を主張する感じの花柄トートバッグも,良く似合っている.蓋止先輩と俺の私服の全てを合わせても,近藤先輩のタンクトップ一枚の値段に釣り合わない気がする.

 そう,釣り合わない.釣り合わないのだ.期末が終わり,キャンパス内に人は少ないものの,今はお昼時で,ここは食堂.それになりに人がいる.近藤先輩は食堂内の視線を集めていた.完璧美人なので,ある種,仕方ないのかもしれない.かたや陰気で地味な格好の俺と,素材こそ良いものの全身ファストファッションの蓋止先輩では,不釣り合いだった.なんか地味グループに,カースト上位の人間が加わっているみたいな.......近藤先輩は気にしていないんだろうけど.

「それで,盾くんのプロダクトってどんなものなの?」

「ああ,文章を,うーんなんていうか,生成してくれるってやつです.機械学習の」

「自動で小説を作ってくれる感じ......とか?」

「いや,ちょっと説明が難しいんですけど,文自体の意味はできるだけ変えずに,一部の単語を異なるものに置き換えるんですよ.英語のwhichをthatに変えたりとかして.それで誤認識を発生させるんです.こうやって機械学習におけるモデルを騙すような攻撃を,」

「あーーあーー,そういう難しい話はわかんないでーす.うどん食べまーす」

 蓋止先輩は露骨にカレーうどん摂取モードに切り替わった.近藤先輩も,へぇ,といって笑顔を作ってくれてはいるが,理解できてないし,あまり興味がないということもわかる.こういう時,文芸サークルの人が相手でも辛くなる.小説とかを読むタイプの人と,エンジニアとかギークっぽい人と,似てるようで違うので寂しさを覚えてしまう.

「でも意外だね.てっきり盾くんは出版社とか志望なんだと思ってた.どうしてデイープ・アリア社なの? 夢は小説家じゃなかったっけ?」

「うんうん,霧子ちゃんの言う通り.小説家はどぉうした? どーーせ,金に目が眩んで,無敵のディープラーニングで儲けようってんだろ,この文芸サークルの裏切り者ぉ」

「いや別にディープラーニングは無敵じゃないし,別に裏切ってないですし」

 近藤先輩は不思議そうに,蓋止先輩はニヤニヤしながら聞いてくる.俺は弁当に箸をつけ,白米を食べる.

「小説家にはいずれなりますけど,まず社会人経験を積んだ方がいいと思うんですよね俺.だって作品に厚みが出ないし.それに,なんていうか自分の全てを活かしたい,全てを使って勝負したいんですよ.読書で培ったものも,情報科学科でてきとーにゲットした知識も全部」

 T大学の情報科学科の講義がそれほど役に立った記憶はないが,それでも最低限得るものはあった.一応,『プロダクト(キリッ』も作れたわけだし.そういったすべてを使って作品を作りたい.......ポエミーと馬鹿にされそうだが,自分の人生という作品も,そうありたい.

「要は何事も全力を尽くしたいってことですよ.ディープ・アリア社のインターンなんて,いかにもネタになりそうじゃないですか.就活にも創作活動にも.だから,全力で行ってみようかなって」

「それで実際にインターン採用されるんだから,羨ましいなぁーーーーう゛ら゛や゛ま゛じい゛ーーーー」

「インターンではどういうことをするの?」

俺は箸を置き,近藤先輩の方を向く.そう,問題はインターンの内容や部署なのだ.昨日インターンの採用メールがきたと同時に,その部署を調べた.倫理Iのレポートを深夜にやっていたせいで眠くてたまらなかったが,目をこすりながら調べた.どういうことをやっている部署なのかあらかじめ調べておくことで,意欲がアピールでき,インターン中の評価も上がるかもしれないからだ.送り主の名前は拳藤薫けんどうかおる.しかし,そこに記載のあった部署をネットで調べたところ,

「それが分からないんですよね.−−機唱課きしょうかって部署で働くっぽいんですけど」

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