理想の郷

カニ太郎

第1話理想の郷

《理想の郷》


私は車を走らせている。


青い空、澄んだ空気、ここは木曽の山奥だ。

私は渓流釣りに行っている。


私は大学を出るとすぐ銀行に就職し、以後20年間ずーと真面目にやってきた。

人付き合いが苦手な私は、接待のためにゴルフを習い、接待のために酒を覚え、接待のためにサーフィンすらやった。


接待のために浦和レッズのサポーターになもなり、

接待のためオタクに混じってモモノフにもなった。

そう接待のためだけに生きてきたのだ。


毎日が楽しくなかった、だからペットを飼ってみた、最初は柴犬だった。

しかし、私には毎日の散歩が億劫だった、毎日会う近所の人たちに挨拶して、愛想よく振る舞う、やってられないと思った。


それで次にガーデニングをやった。

近所の小さな協同農園を一区画借り野菜作りを始めた。

しかし住宅地の真ん中で、やはりご近所に挨拶しながらガーデニングしなければならなかった、これも自分にはストレス以外の何物でもなかった。

私はガーデニングをやめ、今度は渓流釣りを始めることにした。


さっそく車をパジェロに買い替えて、上州屋で道具を揃え、好日山荘で山岳ウエアを買った。


昨日仕事でミスがあった。

といっても私のミスではない、なのに私は理不尽にも何度も取引先に謝った。

私はストレスを感じた、だからこの週末、初の渓流釣りを決行することにした。


朝から車を走らせ、人里離れた渓流を目指し、清々しい気分だ。

私は思った、都会の人間はせせこましいと。

昨日の仕事のミスも、最終的に私のミスということにして納めたが、実際は私のミスではない、部下のミスでもない、上司のミスだ。


人と人がぶつかり合ったらどちらかが引かねばならない、そうでないと、どちらかが壊れてしまう、なのに私の周りの人は自分の権利だけを主張し、だれも一歩も譲ろうとしない、これは間違ってる。


この素晴らしい自然を見ろ

お互いに譲り合って生きている鳥や昆虫をみろ。

私はそんな自然の中で渓流釣りを楽しむんだ。

車を山奥を走り、やがて道も消えた。


私は道具をもって渓流沿いを源泉へと向かって歩いた。

聞こえるものは、鳥のさえずりと渓流のせせらぎの音だけ、私は自然と一体になれたのを感じた。


やがて大きな岩場を見つけた、私はそこでルアーの準備に取りかかった。

最初は柔らかいウルトラライトの竿をと思ったが、

考え直しライトのバスロッドを使うことにした。


渓流では遠くに投げることが少ないのと、トゥイッチをするので、硬めの竿のほうが使いやすい、はじめての渓流釣りだが専門書はみっちり読み込んである。


1000番のアブガルシアのリールにオイルをさし、ラインを太いのに替えた。

ナイロンラインに特段こだわりがあるわけじゃないが、フロロはリールに馴染みにくくてトラブルが多いしらしい。


私はフロロがどんなものか知らなかったが、本にはそう書いてあった。


ルアーはシンキングミノーにした、投げやすいし魚から美味しそうに見えてるらしい、本にそう書いてあった。


フローティングミノーは軽くて、すぐに浮き上がってしまうので、浮かべたまんまでどこまでも下流まで流し、倒木とかブッシュの下に流れに乗せて、ポイント周辺でネチネチやるのがいいらしい、本にそう書いてあった。


アメマスとかオショロコマを釣るならフローティングもやはり、スピアヘッドがいいらしい、本にそう書いてあった


ゆっくり誘う時のスプーンは抵抗が少ないから気持よく飛んで行くらしい、本にそう書いてあった。


もはやなんの事やら、私にはさっぱりわからなかったが、取り敢えず道具はすべて揃っている、天候も最高だ、私は思った

「最高だ、釣るぞ~!」


と、そのとき、突然、呼び掛けられた。

二人組の老人だった。

地元の漁協の人らしい、何でここがわかったのだろう?

GPSで見られてるのか?

こんな山奥でも?

もう日本にはプライバシーはないのか?


「カンサツは?」

そう、日本の田舎なんてこんなものだ、都会人が納めた税金で野山を管理しているくせに、都会人の遊べる場所なんてないんだ、みんな補助金頼みのくせに田舎人は自分の権利ばかり主張する、こっちがどんなに疲れてるかなんてお構い無しだ、私は大声でこう言いたかった

「ここはあんたの川か?」

「ここの魚は全部あんたが放流したのか?」

「いつもこうして見張ってるのか?」


いい加減にしろ!暇人め、どうせ補助金で食ってんだろ、その税金を誰が納めてると思ってんだ・・・


私は爆発しそうになる怒りを抑え、ゆっくり振り向いて言った。

「スイマセーン、知りませんでした、入漁料おいくらですか?」

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