早食い競争

 そして、遂にやって来た、紫の月21日。

 いつも通り5の刻に目が覚めた僕は、部屋のカーテンを開けながら目をこすった。


「……」


 いい天気だ。よく晴れていて、太陽が燦々と照っている。空に雲はいくらかかかっているが、曇天というほどではない。

 寝間着を脱いで、シャツとズボンに着替えて部屋の扉を開けると、ちょうどアグネスカが通りがかるところだった。


「おはようございます、エリク」

「おはよう、アグネスカ」


 短く挨拶を交わす僕達。挨拶こそいつも通りだが、僕も彼女も、表情は硬かった。

 ついに、この日が来たのだ。僕の十三年の人生の中でも、きっと一番長くなるだろう日が。


「……いよいよですね」

「うん……」


 廊下の真ん中で立ち尽くしたまま、まっすぐ僕を見ながら口を開くアグネスカに、こくりと頷く僕だ。

 頷いて、返事を返して。ゆっくりと廊下を歩きだすと、アグネスカも後をついてくる。食堂に行くまでは、二人とも無言で。張り詰めた空気が流れる中で食堂につくと、リュシールがこれまたいつも以上に真剣な表情で僕達を迎えた。


「おはようございます、エリク様、アグネスカ様」

「おはよう、リュシール」

「今日はよろしくお願いいたします」


 リュシールの表情に、自然と僕達の背筋も伸びる。すっと身体をまっすぐにして挨拶を返す僕とアグネスカに、リュシールは大きく頷いて腕を組んだ。


「こちらこそよろしくお願いいたします。いよいよ三日目、早食い競争の日です。年男を決めて、解呪を行う大一番、必ずや成し遂げましょう」


 その言葉に、僕は揃って気持ちが引き締まるのを感じた。きっと隣のアグネスカも、同様に気を引き締めていたことだろう。

 早食い競争は勿論だが、その後。死告竜ドゥームドラゴンから渇望の呪いストラストノイェ・ジェラーニエを引き剥がし、早食い競争で勝利した者に移し替える仕事。僕達にとってみれば、そちらの方がむしろ本番だ。

 ぐっと手を握る僕の背中を、リュシールが解いた手でそっと押して。そのまま僕とアグネスカは食卓に促された。既に朝食の支度を済ませていたフェルナンが、にっこり笑いながら言う。


「さ、朝食の準備が整っておりますよ。大きな仕事をする前は、ちゃんと食べて行ってくださいね」

「ありがとうございます。さぁ、祈りを捧げますよ」


 フェルナンに礼を述べながら、リュシールがその場に座る全員に目を向けた。それを受けて、皆が一斉に両手を組む。

 僕も両手を組み、その手に額を付けるようにしながら、きゅっと目を閉じた。

 心なしかいつもより、握る手に力がこもっているような気がした。




 今年の早食い競争のルールは、謝肉祭カルナバール開始前から事前に告知がされている。

 炭火で焼いたヴァーシュの肉を1キログラム1ガルム

 スープで煮込んだムトンの肉を500グラム500ガル

 そして油で炒めたプレの肉を500グラム500ガル

 計2キログラム2ガルム。これを如何に早く平らげるかが、早食い競争の趣旨だ。

 2キログラムの肉、という字面だけ見れば、大の大人なら何となく食べられそうな気もする量だが、ここはルピアクロワ。いくら普段の料理が美味しいとはいえ、もし僕みたいに地球からやって来た者がいて、地球基準で考えていたら、えらい目に遭うだろう。

 まず、肉が硬い。謝肉祭カルナバールのためにいい肉が出てきているとはいえ、早食い競争で使われるのは育ち切った親鶏や毛刈り後の親羊が中心。牛も何だかんだ、仕事で使われた後だったりするので肉が締まっている。地球の家畜のようにはいかないのだ。

 そして、味付けの幅の狭さ。基本的に塩胡椒だけで、日本みたいに醤油があったりワサビがあったりしないから、どうしたって量が多いと飽きてくるのだ。

 そんなものだから、この早食い競争の参加者は結構な覚悟を持ってやってきている。観客も苦戦する参加者の姿で盛り上がる、というわけだ。

 そんなこんなで昼前、7の刻。参加者の腹の虫がぐるぐる鳴る頃合いに、ステージに立ったアルセンが声を張り上げた。


「えー、んんっ。それではただいまより、早食い競争を開始いたします! 皆さん、準備はいいですか!?」

「「おぉぉーーーーっ!!」」


 市長自らの号令に、参加者総勢三十七人の声が応えた。

 ヴァンド市内でも有名な大喰らいに、王都でその名を轟かせるAクラス冒険者、わざわざ早食い競争に参加するためにメッテルニヒ王国からやってきた参加者、などなど。錚々たる顔ぶれである。勿論マドレーヌがアルドワン王国から連れてきた、器候補の三人も参加している。

 それらの猛者を前にして、アルセンがこほんと咳払いをする。そこから視線が向くのは、彼と並んでステージ上に立っている、僕だ。


「今回も例年のように、三大神の加護を受け取る今年の年男を決める催しでありますが……今年は一つ、特別な要件が定められております。エリク様、どうぞ」


 アルセンが拡声器の前を退くと、そこに出来たスペースに僕が踏み込む。拡声器の高さを調節してもらってから、僕は声を張った。


「はい、説明させていただきます。ヴァンドにお住まいの方は、ご存知だと思いますが、紫の月6日に、ヴァンド東の森に死告竜ドゥームドラゴンの幼体が墜落いたしました。現在は聖域の中で静養させ、治療を行っています」


 僕の発言に、参加者だけでなく、観客からもどよめきが起こった。

 聖域に死告竜ドゥームドラゴンが墜落したあの件は、ヴァンドの市内では即日大ニュースになっていた。

 幼体とはいえそれなりに大きいから、目立ってしまうせいで人目につく。教会経由で国内にもニュースとして伝わっているから、ヴァンド領内ではしばらく結構な騒ぎになっていたと、リュシールから聞いている。

 だが、この後の話を聞いたらこのざわめきは、きっともっと大きくなるだろう。そう思いながら、僕は言葉を続けた。


「本来であれば治療を済ませたら元いた場所に帰すんですけど、その死告竜ドゥームドラゴンは、厄呪に侵されていました。

 解呪も簡単にはいかないため、僕達は三神教会と協議の上、死告竜ドゥームドラゴンから厄呪を剥ぎ取り、器となる人間種ユーマン使徒に定めて・・・・・・封じ込めることにいたしました」


 封じ込める、その言葉に、おぉっという声がそこかしこから起こった。

 厄呪ほどの大きな、強力な呪いを人間種ユーマンの中に封じ込める。その言葉の意味を分からないほど、不信心な者はこの場にはいないだろう。なにせ宗教的な行事なのだから。

 決意を以て、僕はその決定事項・・・・を告げた。


「はい、皆さんも思っていると思います。これが特別な要件です。

 今年の年男の方は、三大神の加護をいっぱいに受け取って、使徒になっていただきます。カーン様にもインゲ様にも、今年はいつも以上に加護を降ろしていただくよう、お願いしています」

「「うぉぉぉーーーーっ!!」」


 僕の言葉に、参加者たちから大歓声が巻き起こった。

 そのもの凄い声量、音圧に圧倒されて、びくりと身を強張らせる僕の肩に、アルセンの手がそっと置かれる。そちらを見れば、にこやかに笑うアルセンの顔があった。

 そうだ、これで僕の話すべきことは全てだ。拡声器の前を退いて、アルセンの立つ場所を作る。拡声器を再び持ち上げると、アルセンが大声を張り上げた。


「エリク様、ご説明ありがとうございます。今お話のあった通り、今年の年男になるということは、すなわち三大神の使徒になることです。このようなことは百年、いや二百年に一度あるかないかと言えるほどの稀な機会です。

 皆さん、いつも以上に真剣に、本気で、肉を喰らっていただきますように!!」


 念には念を入れての真剣な声に、拳を突き上げ声を上げる参加者三十七名。

 ステージから降りて、観覧席に移動しながら、僕はアグネスカにちらと視線を向けて口を開いた。


「なんか……皆、凄く気合入ったね、僕の説明で」

「ラコルデール王国から離れることと、その身で厄呪を抱え込まなくてはならないことがあるにしても、使徒という立場は何にも勝る大きなものですからね。エリクも実際、使徒になってからあらゆる恩恵を受けられているでしょう」

「うん、まあ……」


 彼女の言葉に、頷くほかはない僕だ。

 実際、衣食住は完備、使用人や執事もついて、転移陣を設置した場所ならどこでもいつでも行き来自由。使徒としての職務や責務はついて回るが、こんな至れり尽くせりの立場、就けるものなら誰だって就きたいだろう。

 そうこうするうちに会場にずらりと並べられたテーブルに、参加者がずらりと着席して。首にナプキンを付けた彼ら彼女らに、アルセンがステージ上から声をかけた。


「さて、皆さん着席しましたね? それではルールを説明いたします。

 提供される肉、合計2キログラム2ガルムを、一番早く平らげ、飲み込んだ者が勝者です。途中の吐き戻し、食べ終わってから3分3ジグ以内の吐き戻しがあった場合は失格です。

 限界だ、となったらリタイアして構いませんので、無理して具合を悪くすることの無いよう、ご注意ください」


 アルセンの言葉に、参加者が一斉にナイフとフォークを取る。

 まず最初、炒められたプレのもも肉とむね肉が一緒になって山と盛られた皿が、参加者の前に運ばれてきた。

 ごくりと、誰かがつばを飲み込む音が聞こえる。

 そして、会場に設置された大きな時計の針が動き出す。


「いいですね? それでは……はじめっ!!」

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