仁義なき戦い

 早食い競争は、開始直後からもの凄く白熱していた。

 参加者三十七名の前に運ばれた、プレの油炒めは文字通り山のようだったのが、それが砂糖が水をかけられて溶けていくように無くなっていく。

 行く先は勿論、それぞれの腹の中である。


「これは凄いっ、これは早いっ!! 例年の早食い競争でも、ここまで驚異的なスピードで食べられることがあったでしょうか!!

 あぁっと、13番、ジョアキム選手の手がいち早く上がった! 皿の上は肉の一欠けらもありません!! 続いて4番、ルイ選手の手も上がる!!」


 実況を務めるアルセンの声にも熱が入っている。毎年市長が自ら早食い競争の実況を行うのだが、今年は特に声に力がこもっていた。

 

「すごい……」

「予想以上ですね、普段よりも格段に大きい名誉が待っているから、当然ではありますが」


 そして僕は、アグネスカとアリーチェと一緒に使徒関係者用の観覧席に座って、競争の行く末を眺めていた。

 アグネスカの隣にはマドレーヌとギーが、アリーチェの隣にはダニエルとラシェルも座っている。ダニエルの向こうにももう一組着席している男女がいるが、もしかしてシューラ神の使徒だろうか。

 三大神の使徒が揃い踏みという、なかなかもの凄い状況に、肘をつきながら見ていたアリーチェが笑みをこぼしつつ口を開く。


「まぁそうですねー、後天的に使徒に選ばれるケースも、そうそうありませんから。本当に異例中の異例ですもん、今日のやつは」


 異例、という言葉を強調しながら、アリーチェがうっすらと目を細める。

 確かに異例だ。会場の雰囲気も、この先起こりうる神の奇跡も。普通では考えられない話である。


「そうだよな……今年はいつものと違うなって、皆分かってると思うし」

「そうですよー。エリクさんがあれだけの説明をしたんですから」


 前を見据えたまま口を開く僕を、アリーチェが不意に撫でてきた。この神獣はなんとも気さくで気楽なことである。

 前方、会場では時計の針が着々と進み、半数以上の参加者がプレの油炒めを食べ終わって手を上げていた。次々にムトンのスープ煮込みを満たした大皿……ではない、大きなどんぶりが運ばれてきては参加者の前に置かれている。

 スープも肉もアツアツ、どんぶりからはもうもうと湯気が立っていた。参加者の何人かが目を剥いているのも見える。

 しかしそれも一瞬のこと。すぐにスプーンを手に取って肉をすくい、スープをすくい始める。アルセンの実況もますますヒートアップだ。


「さぁ半数以上の方がプレを食べ終わり、ムトンの煮込みに取り掛かっています!! 野菜で味を取ったスープで煮込んだムトンはアツアツトロトロ! この難関をいち早く突破するのは誰だぁぁ!!」


 吠えるように発せられた声に、観客からも大きな歓声が巻き起こる。

 ムトンの煮込みはスープもすべて飲み切るのがルールだ。液体で腹がたぷたぷになるので、満腹感でこの後がさらにきつくなる。

 熱狂の渦にどんどん巻き込まれる観客と、必死になって熱々の羊肉に食らいつく参加者を見ながら、僕は思わず隣に座るアグネスカに声をかけていた。


「ねぇ、アグネスカ……」

「はい、エリク」


 歓声渦巻く会場の中でも変わらず平静なアグネスカの声。彼女の服の袖を掴みながら、僕は不安な目をして前方を見た。


「さすがに、今回、早すぎない・・・・・?」


 そう、明らかに参加者の食べるペースが、例年より早いのだ。

 この早食い競争は出てくる料理がどれも作りたてで熱々だ。だから早食いと言ってもそこまでがっつくことにはならず、冷ましつつ食べるのが例年の食べ方である。

 しかし今年は冷まして食べる人が一人もいない。口の中を火傷するのもいとわずに、かっこんで、食らいついて、流し込んでいる。

 既にどんぶりを持ち上げてスープを飲みにかかっている者までいる。ルピアクロワでは器を持ち上げて口を付けるのは下品だ、と言われているのに、お構いなしだ。


「早いっ、早いぞぉぉっ!! 時計はただいま1と半分を指している、すなわちまだ15分1.5ジガー!!

 そうありながら既に皿のムトンがなくなりつつある参加者もいる様子!! 今年の年男、いや、新しい使徒の座に輝くのは、一体、誰だぁぁぁ!!」


 アルセンが話す通りだ。今は開始から15分1.5ジガーしか経っていない・・・・・・・・

 これまで白熱した、ハイペースの戦いになると、誰が予想しただろうか。

 ふと視線を他の席に巡らせれば、マドレーヌもギーも目を見張っていた。おそらく彼女たちも、こんな展開は予期していなかったに違いない。アルフォンソとクレスは健闘しているものの、マルツィオは既にトップ争いから脱落して、げっそりした顔で煮込みのスープをすくっていた。

 アグネスカも僕の手に自分の手を添えながら、不安そうに前方を見ている。


「……そうですね。例年はムトンを食べ終わるのが20分2ジガーをしばらく過ぎた頃ですから。例年よりペースが皆さん、速いと思います」

「大丈夫かな……この後ヴァーシュの炭火焼きが……」


 そう、ここからがむしろ本番なのだ。運ばれてくるのはこんもりと盛られた、3センチ1メテ幅にカットされて炭火で焼かれたヴァーシュの肉。

 先程までとは比べ物にならない量の肉が、大皿に盛られて次々運ばれてくる。そのもの凄い量に、参加者からもどよめきの声が上がった。


「さぁトップを走るのは4番のルイ選手、13番のジョアキム選手! その後からはるばるアルドワンのアレ市からやって来た、31番アルフォンソ選手と32番クレス選手が追い上げる!!

 ここからは歯ごたえも抜群のヴァンド牛の炭火焼き、果たして――」

「うっ……!!」


 アルセンの実況の声が響く中、一人の参加者が顔を青ざめて椅子を蹴った。そのままステージ裏に向かって駆け出していく。

 観客席からどよめきと悲鳴が上がった。なにしろ、一番最初に脱落したのは、先程名前を読み上げられたトップを走る一人だったのだから。


「おーっとぉ、トップを走っていたジョアキム選手が立ち上がった! そのまま席を立って駆け出していく、リタイアだぁぁ!!」


 そこからはもう、雪崩が起こるように、参加者が次々脱落していった。トップ争いに食い込んでいたクレスも、牛肉を200グラム200ガル食べ終えた頃から目に見えて食べるスピードが落ちている。

 何人もの参加者が席を立ってステージから降り、何人もの参加者が食べる手を止めていた。そのたびにアルセンの悲痛な声が上がる。


「3番エドゥアール選手、12番リュシアン選手、28番トニー選手、続けざまにリタイアーッ!! やはりヴァンド自慢のヴァンド牛が、挑戦者の前に立ちはだかるー!!」


 またも三人が脱落して、三十七人いた参加者はもう二十人ほどまで減っていた。その二十人もほとんどが早食いを諦めて、今も猛然と食べ続けているのは四、五人と言ったところである。

 ある意味で、予想通りの状況になって、ため息をつく僕達三人だ。


「あー……」

「やっぱりですねー、ヴァンド牛、味が濃くて美味しいですけど、お肉ちょっと硬めですから……たくさん食べるの疲れるんですよね……」

「毎年、ここで脱落されたり、ペースが落ちる方は多いです。ある意味で伝統ですね」


 アリーチェとアグネスカの言葉に、隣に座るマドレーヌがため息をつくのが聞こえた。

 ヴァンド領で育てられているヴァンド牛は肉の味が濃く、美味しいことで有名だが、肉質が硬いのが難点と言える。シチューなど、煮込み料理にすると非常に美味しいのだが、焼くと硬さが際立って食べにくいのだ。

 それを分かっていながら1キログラム1ガルムも食べさせるこの催し、なかなかに意地悪であるが、昔からの伝統だというから仕方ないのだろう。

 ラストスパートをかける参加者も、勝負を捨てて少しでも食べようと奮闘している中、時計は30分3ジガーを回った。勝負はいよいよクライマックスである。


「さぁ、30分3ジガーを回って、現在先頭を行くのは4番のルイ選手! その後ろにぴったりとついて、31番のアルフォンソ選手が食らいつく! その後ろには……おーっとぉ!? ここにきて18番のブリュノ選手が追い上げてきたぞー!?」

「あ……ブリュノさん……!」


 見知った顔が奮闘している姿に、僕は思わず目を見開いた。

 昨日の屋台巡りで顔を合わせた、レノー村の羊飼い、ブリュノ・ルセである。

 彼は3センチ1メテ幅にカットされたヴァーシュの肉をまとめて皿に取り、それをさらにナイフで細かくカットしてから口に運んでいた。切っては食べ、切っては食べ。ほとんど肉を咀嚼していない。

 観客からどよめきが起こった。ブリュノは今までトップ集団の後ろにつける位置を維持こそしていたが、トップ集団に食い込む速度で食べていたわけではなかったからである。

 アルセンもその食べ方と落ちない速度に、驚きを隠せない。


「なんとぉっ! ブリュノ選手、ナイフを巧みに使って炭火焼を細かく刻み、小さくしてから口に放り込んでいく!! 戦略的な食べ方でぐんぐん量を減らしていくぞー!!」


 その斬新な食べ方に、観客からも驚きの声が上がった。次いで、大歓声。

 ここに来ていよいよ決着の行方が分からなくなった。


「さすがは、食肉のプロなだけありますね」

「小さく切れば噛む回数も少なくて、あごも疲れないもんね……これ、ひょっとして」


 アグネスカと僕も、顔を見合わせてこくりと頷く。

 これはひょっとして、ひょっとすることもあるかもしれない。

 そうこうするうちにトップに立つルイ、僅差で追うアルフォンソ、二人を猛追するブリュノの三人が、横一線で並んだ。いずれも皿の上の肉は、あとひとかたまりだ。


「さぁブリュノ選手も残り100グラム100ガルを切って、前を行く二人に並んだぁ!! ルイ選手が逃げ切るのか、アルフォンソ選手が先を行くのか、ブリュノ選手が二人をかわして一番で飛び込むのか!? どうだー!!」


 ここまで来たら小細工も策も何もない。ただただ、食べて、飲み込んで、腹に収めるだけだ。

 三人のフォークがそれぞれの肉に突き刺さり、一気に大きく開いた口に入っていく。

 口がばくんと閉じられて、咀嚼されて、フォークが置かれるカランと言う音が、三つ同時に鳴り響く。


「んっ!!」

「ぬっ!!」

「んぐっ!!」


 そして、三人の右手が同時に挙げられた。

 大歓声が会場を包む中、アルセンも大きな声を張り上げる。


「上がったー!! 三人ともほぼ同時、ほぼ同時です!! 皆さん食べる手を止めてください!!

 しかしここから3分3ジグの間に飲み込めなくては失格です、吐き戻しても同様に失格です! また、並行して皿のチェックも入ります、さぁ、どうなる!?」


 そう、これで終わりではない。ここから3分3ジグ、戻さないように堪えなくてはならない。口の中に肉が残っていても失格だ。

 まずブリュノが、次いでアルフォンソが、口の中に入っていた肉をぐっと飲みこんで息を吐いた。ルイも焦って飲み込もうとするが、急に顔が真っ赤になる。


「ぐんっ……!!」

「っは……!!」

「うっ、ぐ、う……!!」


 顔を真っ赤にしたルイが、急いで椅子を蹴ってステージ裏に飛び込む。どうやら肉が、どこかにつっかえたらしい。


「あーっと、ルイ選手立ち上がった、そのままステージ裏に飛び込んでいく! 失格です!! アルフォンソ選手とブリュノ選手は飲み込んだ! さぁどうだ!?」


 まず一人脱落。アルフォンソとブリュノの一騎打ちとなった。

 観客がしんとなって二人の様子と、二人の食べ終わった皿をチェックする係員を注視する。

 と。


「あっ!!」

「チェック係、どうしましたか!?」

「これ……」


 声を上げたのはアルフォンソの皿をチェックしていた係員だ。アルセンが声を上げると、呼びかけられた係員が指さすのは、アルフォンソの大皿の影、彼からは見えない前方の影だ。


「んんー? ……な、なんと!! アルフォンソ選手の大皿の影に、牛肉が一切れ!!」


 そちらに駆け寄り、皿の下を覗き込むアルセン。と、その指が皿の下から、一切れの牛肉を取り出す。

 食べ損ねたのだ。アルフォンソが目を見開いて愕然とする。


「あっ……!!」


 それを見て、マドレーヌががっくりと肩を落として頭を振った。その向こうでギーも驚きに目を見開いている。

 こんな形で決着がつくとは。なんとも、呆気ないものである。


「あらー。お皿からこぼれて影に入ったか、意図的に隠したか……どっちにしろ、完食にはならないですねぇ」

「……ってことは……」


 アリーチェの言葉に声を返しながら、僕は前をまっすぐ見ていた。

 残る一人。しっかり肉を食べきり、誰よりも肉を早く食べたのは、すなわち。


「判定により、アルフォンソ選手は失格! よって、此度の早食い競争、栄えある勝者は、18番!! レノー村からお越しの、ブリュノ・ルセ選手です!!」


 アルセンの声に、ブリュノが立ち上がって拳を高々と突き上げる。

 万雷の拍手が鳴り響く中、今年の年男に――すなわち、新たな使徒となることが決まったブリュノに、僕は言い知れぬ感情がこみ上げるのを、抑えられずにいるのだった。

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