謝肉祭の準備
そう、
僕も去年までヴァンドの市民として
森に棲む
そして今年からは、僕とアグネスカが使徒と巫女として聖域に加わったことで、カーン神の使徒や巫女としての仕事も、僕達に任されることとなる。
去年まではラコルデール王国の南にあるバタイユ共和国から使徒と巫女を派遣してもらっていたらしいが、今年からは僕とアグネスカがその役割を担うことになる。
バタイユ共和国の首都アンリオと、ラコルデール王国の王都ウジェは、教会同士が転移陣で繋がっているから、使徒と巫女ならウジェまで来るのは容易い。が、ウジェからヴァンドまで馬車で
それに
それら諸々の派遣費用を、ヴァンド近隣にあるこの聖域から僕達を派遣できれば、まるっと浮かせることが出来るのだ。さらに言えば使徒と巫女用に確保するスイートルームを空けられる。その分だけヴァンド領外から宿泊客を呼び込める。
運営母体となる三神教会としても、実際に運営を行うヴァンド市としても、これを使わない手はあり得ない。
そんなわけで僕達は
僕は今、リュシールの部屋に連れてこられて衣装合わせの最中。仮装行列の先導を行う際に身に付ける衣装を確認しているのだ。
先導役は聖域の有する獣や魔物に騎乗して、街中を練り歩く子供たちの先頭を往く。去年までの
「エリク様にはイヴァノエがいますからね、彼と併せる形で、
「僕もそれがいいと思うけれど……でもそれだと、この衣装、動きにくくならないか?」
僕は丈の長いチュニックのような、神官が身に付けるダルマティと呼ばれる衣服の袖口を摘まみ上げながら、リュシールの顔を心配そうに見上げた。
この服は屋敷の中で祭事用に持っている服の、子供用。簡単に言えばエクトルや、彼の前までに下働きに来ていた子供たちの
袖をつまむ手を放し、服を着たままで
胴が長くなるため腰の位置が下がり、足が短くなってぽてぽてとしか歩けなくなるし、腕も同じように短くなってしまうのだ。尻尾の出る位置も低くなるため、ダルマティの裾が大きく持ち上げられることが無いのは救いだけれど。
変身した僕の姿を見たリュシールが、二度三度目を瞬かせる。そうして取り出したのは数本の細い針だ。地球で言う、待ち針のような使い方をするものらしい。
「ご心配なく、エリク様の体格に合わせて、丈をお詰めいたします……あとは尻尾を出すための切込みも入れましょうね」
「うん……あの、何だったら僕、自分でやろうか? リュシール、教会とのやり取りで忙しいだろ、毎日」
裾をまくり上げられ、適切な長さに織り込んでから針で留めていくリュシールの顔を見ながら、僕はおずおずと問いかけた。
ルドウィグも、エクトルも、それぞれ
ルドウィグ、パトリスは
アリーチェ、エクトルは聖域として出店する屋台の準備に追われており。
フェルナンとアンセルムはルドウィグ達が狩ってきた獣の解体やら、屋台で使う小麦粉の製粉やらであれこれ忙しい。
実際、エクトルが中心になって
ともあれ、あれもこれもと忙しいリュシールを気遣っての言葉だったのだが、リュシールはゆるりと首を振った。
「大丈夫ですよ、お気持ちだけ有り難く頂戴いたします。
書類仕事の合間に針仕事をしますと、いい具合に気が紛れるのですよ。たまの休憩と同じようなものです」
「そうか……なら、いいんだけど」
そう告げて屈みこんで裾に針を打つリュシールが、手早く作業を済ませていく。そうして僕の周りをぐるりと一周して、ピッと布地を引いて張りを作ると、ゆっくりとリュシールは立ち上がった。
「さ、後は私の方でやっておきますから、エリク様は一度こちらをお脱ぎになってください。
それほどの心配は致しておりませんが、
「本番に備えて練習するのは、アグネスカだけでいいと思っていたのになぁ……」
口を尖らせる僕に、リュシールは苦笑しながら、
アグネスカは巫女としての役割の手順を習うため、一昨日からヴァンド市内にある聖ドミニク三神教会にて手順の教示を受けている。
使徒である僕は
僕が巫女で、アグネスカが使徒だったら、と思わないこともこれまでないわけではなかったが、こうして
ともあれ、ダルマティを脱ぐために袖から腕を抜き、襟首の部分から頭を抜いたところで、リュシールが「あら?」と言葉を漏らした。
「リュシール?」
「エリク様、失礼いたします……やっぱり。何故先程お着替えいただいた時には気づかなかったのでしょう」
訝し気に声を漏らす僕をよそに、リュシールはゆっくりと、しかし手早く僕の身体からダルマティを脱がせた。麻のズボンに綿の丸首シャツ、というシンプル極まりない姿になった僕の胸元。
細かな獣毛が生え揃った僕の胸元に刻まれた痣、カーン神の聖印がぼんやりと光を放っている。
僕は思わず目を見張った。聖印が輝くことはこれまでにも何度かあったけれど、聖域の中で輝いたことは、これまであっただろうか。
ウジェ大聖堂のオスニエル大司教様は「カーン神の存在に反応して光っている」と話をしていたが、それならこの屋敷にいる間中、僕の胸元は光りっぱなしのはずだ。
僕の胸元、光る星型に手を触れたリュシールが、信じ難いと言いたげに重々しく口を開く。
「……信じられません。このところはお仕事も無く、ヴァンドからお出になることも無かったというのに。神力が消耗しておられます」
「消耗? なんで?」
「分かりません。
エリク様の他、カーン神に仕える者に刻まれる聖印は、神力の取り込み口。大地から神力を吸収する際に漏れ出した神力が、こうして発光いたします。
使徒であるエリク様は自らで神力を生み出すこともなされるお方、使徒になりたての青の月ならともかく、今の時分に聖印が発光するまで神力を消耗するはずが……」
「守護者様!!」
混乱した様子を隠せないままに、脱いで畳んでいた麻のシャツを僕に差し出すリュシールが、話をする中。
バンと大きな音を立てて扉が開け放たれた。中に飛び込んできたのはパトリスだ。
上半身が下着姿だった僕がとっさに手に持ったシャツで胸元を隠す。僕の姿を見て、驚きに目を見張るパトリスだったが、すぐさま頭を低くした。
「お取込み中のところ申し訳ございません、緊急事態です!
聖域で匿っておりました
「何だって!?」
「何ですって!?」
パトリスの報告に、思わず僕は手に持っていたシャツを取り落とした。リュシールも驚きに目を見開いている。
まさか、もう動き出そうとするだなんて。まだ傷も癒えていないというのに。
僕とリュシールはすぐさまにリュシールの部屋から飛び出し、駆け出した。聖域の外に出られたらもう入って来れない。ルスランが止められなくなる前に、何とかしなくては。
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