罪人は笑う

 畑づくりを開始したその日の夜。

 僕はウサギラパン獣人アニムスに変身したままで、内心そわそわしながらベッドに入った。

 ラファエレが食事中にそうなったように、眠気が襲ってくるかと思ったが、そういうことは無く。

 浴場で身体を洗っている時にアダンが入ってきた時も、特に襲い掛かられることも無く。

 今夜は至極平穏に事が運んで、僕は床に就いたわけである。


「……」


 もしかして寝ている間に襲ってくるだろうか、それともこのまま何も起こらないだろうか。

 そう思案を巡らせながら、僕はゆっくりと目を閉じた。




 朝まで何も起こらず、いつも通りに目が覚めて起き上がった翌日、畝づくりの続き。

 この日も朝から晩まで獣人アニムスの姿のまま、畑での作業に終始した僕だ。

 ラファエレもようやくお腹の具合が良くなったようで、一心不乱に鍬を振るって畝を作っていた。

 僕がアグネスカやアリーチェと協力して、作物の生育を促進する神術の「母なる恵みボージャ・ブラゴダー」を行使している間も、畑の土を盛り上げている間も、アダンはニコニコとした笑顔のままで僕を見ていた。

 食事の後にアダンとジスランに部屋に誘われた時は「ついに来るか?」と思ったが、普通に菓子をつまみながら畑作業の進捗について話をするだけで、予想していたことは無く。

 この日も平穏無事に事が運んで、僕は自室のベットの中だ。


「……」


 目をゆっくりと閉じながら、僕は微睡みの中で思案する。

 今日も、何もなかった。




 その翌日は農場予定地の柵を作る仕事だった。

 昨日に施した神術の影響か、既に何ヶ所かで雑草が伸びていたので、それを取り除く仕事もこなした。

 柵を作るのに力が要るため、今日はループ獣人アニムス姿で作業をしている僕を、雑草を取り除きながらにこやかにアダンは見ていた。

 その隣で黙々と作業するジスランが、チラチラとアダンに視線を送っているのも見える。

 なんとも不気味だ、アダンのあの笑顔が。

 同じことを思っていたのか、大きな木槌を手に持ったアリーチェが僕へと口元を近づけてくる。


「何でしょうね、アダンさんのあのニヤニヤした笑顔……」

「不気味だよね……」


 ここ数日、アダンは行動らしい行動を起こしていない。

 使用人の誰に手を付けるでもなく、僕に手を出すわけでもなく、村長の仕事をこなしつつ、農園づくりの作業を手伝いつつ、生活しているだけだ。

 それに加えて、あの笑顔。

 何かを企んでいるような気がしてならない。


「ぜーったいエリクさんを見て笑っているんですけどねー。狙っているのは分かるんですが」

「ラファエレと使用人の皆さんに『我は見たりヤ・スモリュ・ナ・テビャー』をかけさせてもらったけれど、ここ数日何の反応もないしね……」

「そうなんですよねぇ……それまでは毎日のようにヤってて、それをこちらも認識しているのに、ここ数日何もしていないというのは、ちょっと」


 アダンの様子をいぶかしむ、僕とアリーチェ。その後ろから、至極真面目に柵の支柱にするための杭を打っていたアグネスカが声をかけてきた。


「エリク、アリーチェ、手が止まっていますよ。杭打ちはまだ半分も終わってないんですし、続けましょう」

「はーい」

「分かってまーす。ほんと、アグネスカさんってば真面目なんですから……」


 アグネスカに促され、僕は再び杉材の杭を手に取った。再び作業を始める僕達三人を見つめながら、アダンは雑草を抜く手を止めずにいる。

 その口元は変わらず、緩やかな弧を描いていた。


「ふふ……」

「……」


 小さく笑い声を零すアダンの方を、再びちらと見やったジスランが、短くため息をついた。




 その日の夕食後。

 結局アダンは何のアクションも起こさないままで仕事を終え、僕はループ獣人アニムスの姿のままで夕食を終えた。

 部屋に戻ろうかと三人連れ立って食堂を出たところで、僕達の背中に声がかかった。


「エリク殿、アグネスカ殿、アリーチェ殿。農園の小麦の種撒きの時期について、ご相談したいことがあるのですが、お時間よろしいですかな」

「えっ?」


 声の主は予想通りというか、アダンである。

 いつもの通り、でっぷりしたお腹を揺らして、にこにこと愛想のいい笑顔を浮かべてこちらを見ている。

 しかし、何故僕達にそんな相談を。言葉に詰まっていると、アリーチェがすぐさまに口を開いた。


「分かりました、場所はどちらで?」

「私の私室でお話ししたく思います。ご案内いたしましょう」

「ありがとうございます、よろしくお願いしますね」


 手早く対応し、笑顔で返してアリーチェはアダンの後をさっさと着いていった。対して僕とアグネスカは呆気に取られたままで一言も返せないまま。

 しかしその場でアリーチェを問い質すわけにもいかず、僕もアグネスカもアリーチェの後を追った。

 よしんば何かあったとして、三人一緒ならば対応することもできるだろう。きっと。

 そうしてそのまま何も言わず、僕達はアダンの自室でソファに座ることとなった。三人掛けのソファに、僕を真ん中にしてアリーチェとアグネスカが両端を固める並びになる。

 案内してきたアダンが「お茶を用意してまいります」と言って席を外したのを見計らって、僕は左隣のアリーチェに小声で噛みついた。


「どういうつもりだよ?」

「いい加減あちらも我慢ならなくなったようだから、望み通りにしてあげただけですよ?」

「貴女、自分から罠に飛び込みに行ったとでも?」

「大丈夫ですよ、二人とも私の手を握ってください」


 きつい口調で告げる僕に、あっけらかんと答えるアリーチェ。その様子にアグネスカも苦々しい表情を向けてくる。

 しかし意に介さない様子のアリーチェは、僕とアグネスカにそれぞれ手を差し出してきた。その手のひらには幽かに、神術の光が点っている。

 言われるがままに僕もアグネスカも、差し出されたアリーチェの手を握った。そのまましばし、手を握ったままでいると、アリーチェが微笑みながら口を開いた。


「いいですか、勝負はここからです。徹底的に追い詰めますので――大丈夫、私が何とかします」

「アリーチェ、どう……」

「お三方、お待たせいたしました」


 どういうつもり、と問いかけようとした矢先に、お茶を満たしたティーポット、ティーカップが3脚、シュガーポットと、皿に乗った焼き菓子を乗せたお盆を持って、アダンが部屋へと戻ってきた。

 すぐさまにパッと手を放して姿勢を正すアリーチェ。釣られて僕もアグネスカも居住まいを正した。


「いえ、お構いなく」

「いやいや、わざわざ夕食後にご足労いただいたわけですから」


 スムーズな動きで焼き菓子の皿を僕達の前に置き、ティーポットからお茶を注ぐアダン。その所作には淀みも迷いもない。

 早速アリーチェの手が、出された茶菓子に伸びる。目配せをされて、僕とアグネスカも焼き菓子を手に取った。

 街で売られている何の変哲もないクッキーだ。チボーにも移動販売の馬車が来るほどには有名な菓子屋の品、さして怪しい点もない。

 口に含むと、小麦と砂糖の甘さが優しく広がった。

 僕達がクッキーを食べ始めたのを見て、ほんのりと微笑を浮かべたアダンが、紅茶で満たされたカップを一つ手に取った。


「それでエリク殿、小麦の――」

「アダンさん」


 紅茶を片手に話を始めようとするアダンの言葉にかぶせるように、クッキーを飲み込んだアリーチェの凛とした声が部屋に響いた。


「ここにはアダンさんと、エリクさんと、アグネスカさんと、私しかいませんでしょう?

 変に取り繕う必要はないんですよ」

「アリーチェ殿、何を――」

ラファエレを・・・・・・食いましたね?・・・・・・・


 容赦なく突き付けられるアリーチェの宣告に、アダンの表情が途端に強張った。手が揺れ、持ったままのティーカップで赤い液体がぐらりと揺れる。

 アリーチェの追及は止まらない。それでいて茶会を楽しむように、また一つクッキーへと手を伸ばしていく。


「あとはガンドルフォさんもそう、アロルドさんもそう、ブルーノさんもそう、ヴィットーレさんもそう。

 いやぁ、より取り見取りですねぇアダンさん。幸せでしたか? オスケモにまみれた夜を過ごせて」

「アリーチェ殿……私は何も……」


 さくり、とクッキーを食みながらにっこりと、満面の笑みを作るアリーチェを前にして、アダンは小さく震えだした。

 笑みを浮かべたままで、アリーチェの顔がこちらに向く。そのどこまでもいつも通りの、屈託のない笑みに、僕の身体は思わず硬直した。


「ほらほら、エリクさんもアグネスカさんも、折角淹れてくれたのに、冷めちゃったら勿体ないですよ?」

「あっ、うん……」

「……」


 促された僕の手が、湯気が仄かに立つティーカップへと伸ばされた。そのままそうっと、未だ温もりを持つ紅茶に口を付ける。温かく、シャープな苦味が美味しい。いいお茶だ。

 素直に飲む僕と異なり、僕の隣に座るアグネスカは、口をキュッと結んだままで動かない。

 そしてアダンは。


「何故……」


 目の端に涙を浮かべながら、震える手でティーカップをソーサーに置きつつ、絞り出すように言葉を発した。

 ソーサーとぶつかったカップから、紅茶が僅かに零れ落ちる。

 そしてアリーチェは、至極自然な所作で紅茶に口を付け、いっそ潔いまでに一息で紅茶を飲み干して、その瞳をきらりと輝かせて言った。


「その『何故』は、『何故知っている?・・・・・・・・』ですか?

 それとも『何故ここで話した?・・・・・・・・・』ですか?

 はたまた『何故エリクさんに・・・・・・・・茶を飲むよう促した?・・・・・・・・・・』ですかねぇ?」

「それは……」


 畳みかけるアリーチェに、アダンは最早追い詰められた鼠のようだった。

 しかし、確かにそうだ。何故わざわざアリーチェは、僕やアグネスカに紅茶を飲むことを勧めたのだろうか。

 冷めたら勿体ないという言葉はその通りなのだが、わざわざ飲むように促す必要はないはずだ。

 そう思いながらアリーチェの方へと視線を向けた僕は、ふと自分の身体がぽかぽかと温かいことに気が付いた。


「(あれ? なんだこれ……)」


 妙に、身体が熱を帯びている。温かい紅茶を飲んだにしては不自然だ。

 見れば、アリーチェの表情もどことなく変だ。白銀の毛並みの奥、肌が随分紅潮しているように見える。瞳もどことなくうつろだ。


「まぁ、『何故知っているか』に関してはあれです。ラファエレにも屋敷の使用人の方にも、この数日監視神術をかけつつお話を聞いていたんですよ。

 色々とお話してくれましたよー。毎日使用人の誰かしらが薬を盛られていることも、アダンさんはするのもされるのも好きだということも、最近は特にラファエレがお気に召していることも」

「うぅっ……」


 熱に浮かされたような表情で、アリーチェは話し続けた。ぼんやりした意識の中で、エコーがかかったようなアリーチェの声が脳内にこだまする。

 アダンが言い返せないところを見るに、話していることはどうやら真実らしいが、それにしたって話に集中できない。


「『何故話したか』は……早い話が最後通牒なんですね、これ。

 アダンさん、私達が村に乗り込んできた時点で九割方詰み・・だったんですよ。

 私達が帰るまで、欲望を抑え込んでずーっと大人しくしているならまだよかったですけれど、ラファエレに手を付けちゃいましたからね。しかも常態化していることが知られたら、神罰案件にできなくても王国法違反です。

 私達が帰るまで我慢して、神罰をよしんば逃れたとしても、この話を私達が王都に持ち帰って、オスニエル大司教に話したらどうなりますかねぇ……?」


 身を乗り出していたアリーチェがどさりと倒れ込むようにソファの背もたれにもたれかかった。その拍子に僕の身体にもふもふの手がぶつかる。

 途端に、びりっと痺れるような刺激が身体に走った。痛みを感じたわけではない。まるでそれは、冷たいものを肌に押し当てられたかのようで。

 気付けば右隣、アグネスカがソファのひじ掛けにもたれて寝息を立てていた。まさかアダンが、僕達三人にまとめて・・・・何か薬を盛ったとでも言うのだろうか。

 そしてアリーチェの肩が僕の方に触れ、アリーチェの頭が僕の頭に触れる。

 刹那。


「で、『何故茶を……促したか』……これは……挑戦……なもの……」

「(あ、あれ、なんか急にアリーチェの声が遠く……頭が……)」


 途端に、僕の意識はまるで穴に落ち込むようにして、急速に闇の中に沈んでいった。

 まるでカメラのシャッターが下りるかのように、落とされていく僕の両の瞼。

 僕が意識を完全に手放す刹那、耳元で随分とクリアに、アリーチェの声が聞こえたような、そんな気がする。


「……エリクさんとアグネスカさんは、そろそろ限界みたいですね……あふ、私も眠くなってきました……

 さぁアダンさん、我慢大会の始まりですよ。勝てば生存、負けたら神罰……結果の程や、如何に?」


 そして、僕の記憶はそこで途切れた。



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