西の王と東の王

 いつの間にやら意識を手放していた僕がゆっくり目を開けると、そこは洞窟の中だった。

 外はまだ雨降りのようで、雨音が遠くに聞こえる。

 そして背中にもふもふしたものが当たっているのが分かった。小さく身じろぎすると、僕の頭上から、ぬっと黒い頭が僕を覗き込んでくる。


『あ、エリクさん。目を覚ましたっすか?』

「わっ!? ……アリーチオ」


 パッと目を見開いた僕を見て、その真紅の双眸を細めるアリーチオ。ここで僕はようやく、アリーチオに抱かれるようにして眠っていたことに気が付いた。

 視線を落とすと、僕の身体の上にオースの毛皮がかかっている。毛布代わりにアリーチオがかけてくれたのだろうか。

 そしてその毛皮に乗っかるようにして、ピーノとボーナがすぅすぅと寝息を立てていた。カストはと言うと、アリーチオの膝の上で同じく寝息を立てている。

 二匹を起こさないように、オースの毛皮をそっとめくった僕は目を丸くした。服の一切が脱がされて丸裸になっている。道理でもふもふ具合が肌に直接触れるわけだ。


 僕はとっさにループの獣人に姿を変えると、背後のアリーチオを見上げる。服を身に付けていなくてもそれでいい気がしてくるから獣人族アニムスの姿や魔物の姿は便利だが、今はそこが問題ではない。

 尻尾が急に目の前に伸びてきて驚愕するアリーチオに、僕は掴みかかるような勢いで言葉をぶつけていく。


「あの、いつの間に僕は裸にされたの!? 服は!?」

『服? あぁ、そこの岩の上で乾かしているっすよ。

 さすがに濡れたのそのまま着せているわけにはいかないっすもん。寝ている間に脱がさせてもらったっす』


 僕の尻尾を眼前からどけたアリーチオの腕が、岩壁の傍に転がる大岩の方へと伸びる。岩に貼り付くようにして、僕の着ていたジャケットにシャツ、ズボンに下着が広げられていた。

 魔物で、服など扱ったことも無いだろうに、濡れた身体から服を脱がせるのは大変だっただろう。僕は小さく頭を下げた。


「ありがとう」

『いいっすよー、エリクさんに風邪を引かれたら大変っすから』


 素直にお礼を言う僕の頭を、優しく撫でるアリーチオ。何だか、年の離れた兄にそうされているような感じがして、僕の心はほっこりした。

 僕が大人しく頭を撫でられていると、洞窟の入り口で水が跳ねる音がした。そちらに首を回すと、イヴァノエが外から洞窟の中へと戻ってきたところだった。


『おかえりなさい、アニキ』

『おう。使徒サマもようやっとお目覚めか……身体の具合はどうだ、畜生め』


 洞窟の入り口すぐのところで、ぶるっと身体を振るって水滴を飛ばしたイヴァノエが、ゆっくりと僕の傍にやってくる。

 僕はこくりと頷くと、イヴァノエの頭にそっと手を乗せた。


「うん、多分大丈夫。ありがとう」

『お、おう。大丈夫だってんなら、まぁ、いいさ』


 イヴァノエの頭が、小さく下げられる。照れているのだろうか。それとも恥ずかしがっているのだろうか。

 僕の手にされるがままになっているイヴァノエの姿に笑みをこぼしながら、アリーチオが声をかけた。


『ヴィルジールのところの連中、痕跡とかはありましたか』

『いや、正直成果はゼロだな。この雨でにおいは消えちまっているし、奴らさーっと来てさーっと退いていきやがったらしい。

 狙いは恐らくウサギコリーニョどもだろうな。畜生め、俺のモンに手を出して挑発しようってハラだろうよ』

「ヴィルジール?」


 アリーチオとイヴァノエの会話の中で出て来た、聞き慣れない名前に、僕が首を傾げる。

 撫でる手がいつの間にか止まっていたアリーチオの手が、再び僕の髪をそっと撫でた。


『アルフォンソが言っていた『王』の名前っすよ。すごく被毛の長い狼人ウルフマンで、この山の東側一帯を支配下に置いているっす。『東の王』とも呼ばれるっす』

『この山に住むルーポ狼人ウルフマンは、全員があいつの配下だ。アリーチオを除いてな・・・・・・・・・・


 低い位置から突き刺すようにアリーチオに投げられた、イヴァノエの視線。僕の頭を撫でるアリーチオの手が、再び止まった。

 視線を上に向けると、僕の頭に手を置いたままのアリーチオは、随分悲しそうな顔をしている。


「アリーチオ……?」

『……うん、そうっすよね。エリクさんはあの時、俺と一緒にいて、アルフォンソの話を聞いていたっすもんね』


 瞳に悲しみを浮かべたままで、アリーチオは力なく微笑みを浮かべた。

 そのまま、僕に昔の思い出を語り始める。


『俺も元々は、山の東側に住んでいて、ヴィルジールの下について暮らしていたんっす。高いところに登ったり、物を運んだりするのは、俺達狼人ウルフマンの仕事でした。

 で、山の西側に住むアニキ達大イタチギガントウィーゼルイタチドンノラとの縄張り争いもやってたんっすけど、俺はそれがどうしても怖くて。

 奥に引っ込んで自分の仕事に専念したくても、仕事は戦いの場にこそ転がってるもんだから、絶対連れていかれる訳っす。

 だからある時、戦いの混乱に乗じて群れを飛び出して逃げたんっすよね』


 遠い昔の日を思い出すかのように、アリーチオは宙を見上げた。彼の視線の先で、岩壁の隙間から雨の雫がぽたりと零れ落ちる。


『ほんとは、山を出て草原とか、人里近くとかに行ければよかったんっすけど、俺は途中で道を間違って、山の西側の方に行っちゃったんっす。

 だからあいつらも、俺が裏切る・・・と思ったんでしょうね。一斉に攻撃を仕掛けてきたんっす。

 魔法で斬られたり撃たれたりもして、傷だらけになりながらも何とか逃げ切って、もう駄目だ、動けないってなった時に、アニキに出会ったんっす』

『俺も最初は不審に思ったさ、俺達のシマで狼人ウルフマンが倒れてるなんざ日常茶飯事だが、こいつが倒れていたのは西側の山裾近くだったし、俺達に狩られたにしては受けている傷がデカすぎたからな。

 だから俺はこいつを、親父のところに連れていったんだ』

「そうだったんだ……って、ん?」


 二人の話を聞いていた僕は、イヴァノエの発言にふと首を傾げた。

 イヴァノエは確かに親父と言った。何故そこで、イヴァノエの父親の話が出てくるんだろう。僕が抱いたその疑問は程なく氷解することとなる。


『親父のところにこいつを連れて行った時は、そりゃーもう周りのジジイ共がうるさくってな。殺せ殺せの大合唱よ、畜生め。

 俺も下手なことをする素振りを見せたら即首を刎ねるつもりでいたんだが、こいつ大声で泣き出しやがんの』

『だってそうじゃないっすか。目が覚めたら『西の王・・・』が自分の前にいて、周りのイタチドンノラが口々に俺を殺せって言ってくるんっすよ。

 俺だって死にたくなかったっすもん。泣いて泣いて必死で王様に命乞いしたっすよ』

「そ、そうだよね……で、あの、イヴァノエ。今話に出た『西の王』って、つまり……」

『おう、俺の親父、トランクィロのことだ』


 あまりにあっけらかんと言ってのけるイヴァノエに、僕は顎が外れるかと思った。

 最初にイヴァノエと会った時に、「山の西側を縄張りにしている」と話してはいたが、部族を取りまとめる『王』の息子とあれば、その影響力はどれほどのものか。

 イヴァノエのマーキングに対する自信の強さも、これなら頷ける。


 そしてイヴァノエがすっくと立ちあがった。その拍子に頭の上に乗せていた僕の手が、するりと落ちる。


『雨が上がったら、親父に会いに行くぞ、使徒サマ。

 あいつらが本気で俺達の縄張りを獲りに来ているってことを、親父に伝えないとならねぇ』

『アニキだけが王様に会いに行ったら、今日の二の舞っすもんね。

 ピーノ達を残していくわけにもいかないっすし、皆で行くことにしましょう』

「え、僕も一緒に行くの?」


 イヴァノエの頭から離れた手を、自分の上で眠るボーナの背にやりながら、僕は疑問を抱いた。

 イヴァノエとアリーチオは群れの一員だから自然な流れとして、どうして僕も一緒に行くことで話が進んでいるのだろうか。

 僕に目線を向けたイヴァノエが、くいと顎を持ち上げてみせる。


『紹介だよ、紹介。使徒サマは俺とアリーチオの友達ダチだろ?』

『もう友達っすもんねー、俺たち。アニキは嬉しいんっすよ、自分と対等の関係で話せる相手が出来たことが』

『うっっ、うっせーぞアリーチオ! 余計なこと言ってんじゃねぇ、畜生め!!』


 ニコニコしながら話すアリーチオの足に、イヴァノエがぶつける尻尾がびしびしと当たっている。時たま僕の足にも当たって、ちょっと痛い。

 一頻りイヴァノエが八つ当たりをしたところで、アリーチオの腕が僕の身体を抱いた。まるでぬいぐるみや人形を抱く少女のように、優しく抱きすくめる。

 アリーチオの腕の体温と、胴体の体温が、僕に安らぎと穏やかさを与えてくれる。


『とりあえずエリクさん、今はゆっくり休んでほしいっす。泣いたし、雨に濡れて体力も削られているでしょうから……

 俺がついててあげるから、安心しておやすみなさいっす』

「うん……ありがとう、アリーチオ……」


 アリーチオの優しい言葉に誘われるようにして、少しずつ少しずつ、僕はまどろみの中に落ちていった。



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