使徒と巫女

 ティーグル

 森に住む猛獣の中でも最大級の、容易に人を害することも出来る巨大な獣。

 森の近くに住む住人は皆、虎を恐れ、出会うことのないように気を付けている。

 その強大な存在が今。僕とアグネスカをねめつけていた。


 虎はこちらを見つめたまま動かない。僕は逃げようとするも身体が強張って動けない。

 そんな中、最初に動き出したのはアグネスカだった。

 虎の前に立ち、スッと片膝を地面につけて、頭を垂れてみせる。まるで主君に傅くように、彼女はそうした。


「お久しぶりです、ルドウィグ様」

「久方ぶりだのう。かれこれ1年ほど、巫女殿と顔を合わせなんだか」


 しゃべった。

 虎が人の言葉を喋って、アグネスカと会話をしている。

 そして聞き慣れない呼称が出て来た。巫女殿?


「して、巫女殿。そちらの少年が、使徒殿かね」

「はい、ルドウィグ様。これなるは自然神カーン様の使徒、エリクでございます」


 虎の視線とアグネスカの視線が、揃って僕の方を向いた。気圧されて思わず、足がざっと落ち葉を踏む。

 明らかに困惑し、恐怖している僕を見て、アグネスカはそっと目を細めた。


「エリク」

「ああいい巫女殿。何の説明もなしに私と相対したら、大概の子供は恐れよう。咎めるでない」


 アグネスカをそっと押し止め、虎――ルドウィグと呼ばれるその虎はそっと落ち葉の上に腰を下ろした。

 その長い尻尾をふわりと揺らし、前脚を綺麗に揃え、僕をじっと見つめて口を開く。


「驚かせたようですまなんだな、使徒殿。

 お初にお目にかかる、私はカーン様よりこの森の守護者の任を仰せつかっている、ルドウィグと申す。

 巫女殿から話には聞いていたが、健勝に育ったようで、実によいことだ」


 ルドウィグはそう言って、その灰色の目を優し気に細めた。その様はまるで、久しぶりに顔を合わせる遠い親戚のようだ。

 対して僕の方はというと、事態の飲み込みにだいぶ時間がかかっていた。目を白黒させ、俯き、何度か唸り、ようやく状況を把握できたところで、ルドウィグの方へと向き直った。


「使徒殿というのは、僕のことですか」

「そうとも。

 自然神カーン様の庇護を最大限に受けし者。生まれ落ちたその時から、自然に愛され、獣に愛された者。

 それ即ち、カーン様の使徒ということだ」


 ルドウィグのその言葉に、僕は再び俯いて考えを巡らせた。

 「自然神カーンの加護を得ている」ことは、能力判定の際に知らされていたから間違いない。それはいい。問題はその加護の程度だ。

 ルドウィグは「最大限に受けし者」と言った。つまり僕の受けている加護は、通常の加護とは異なる程度で備わっているということか。

 確かに転生する際、カーン様本人から加護を授ける旨、話をされている。しかし使徒扱いされるほどまでとは、さすがに想定していない。


「カーン様の使徒は、大地、海、山、森、それら自然の全てと通じ、そこに生きる獣や鳥、魚と通じるほどに、自然と強く繋がっているのだよ。

 お主は生まれ落ちたその時から、この森と通じ、大地と通じ、そこに生きる獣たちと通じていたのだ」


 僕の困惑する様子に構うことなく、ルドウィグは話し続ける。

 そこでようやく僕は、ルドウィグに向かって片手を突き出してその言葉を制した。勿論、もう片方の手は額に当たっている。

 いよいよ頭が痛くなって来た頃合いだったのだ。おやと目を見開き、口を閉じたルドウィグに僕は告げる。


「うん、分かった、僕がそういう、強い加護を得ていることは分かった。

 とりあえず聞かせてほしい、ルドウィグはなんで人の言葉を喋れる?」


 僕の問いかけに、ルドウィグはその灰色の瞳を一層大きく見開き、そしてその口を大きく開いて笑い出した。

 突然笑い出した彼の様子に、僕は頭痛も忘れて呆気にとられた。だらしなく口を開いて、おかしそうに笑うルドウィグをじっと見つめる。

 やがて前脚を持ち上げて口元を押さえるようにしながら、くつくつと喉を鳴らしつつルドウィグは話し始めた。


「いや、すまん。人の言葉で話すのは、私としてもあまりに自然なことだったのでな、今まで大して意識しておらなんだ。

 有り体に言えば、これもカーン様の加護の一つ。私もこの森の守護を担う以上、森に生きる獣たち、森に立ち入る人間たちと繋がりを持っている。

 故に私は、森に生きるものの言葉を代弁するものとして、森の意志を伝えるものとして、人の言葉を操るに至る、というわけだ」


 ルドウィグのその言葉に、僕はなるほどと頷いた。

 森に立ち入って焚き木を得たり、キノコや果物などの食物を得たり、人間も森の恵みを享受して生きている。

 その人間たちとも繋がりを持つというのなら、守護者であるルドウィグが人間の言葉を話しても不思議ではない。

 その点の疑問は片付いた。ならばと僕の視線は、ルドウィグの傍らでじっと立つアグネスカに向かう。


「アグネスカが、巫女殿っていうのは?」

「彼女はカーン様の意志の代弁者とでも言うべき存在でな、お主や私とは別の意味合いで、カーン様と強く繋がっている。

 勿論、巫女は彼女だけにあらず、世界中に何十人といるものだがな?謂わば、使徒であるお主の身を案じてカーン様が遣わした、目付け役というところだろうの」


 カーン様の巫女。僕の身を案じてカーン様が遣わした、目付け役。

 そういえば父さんが言っていた。アグネスカは僕が生まれてすぐの頃合いに、牧場の入り口に一人佇んでいたと。まだ幼く、身寄りもない様子だった彼女を憐れみ、家に招き入れたと。

 僕の視線を受けて、アグネスカは今一度深く頭を下げた。


「その通りです、エリク。私はカーン様より貴方を見守る任を受け、貴方と共に育ち、世話をしてきました。

 全ては、貴方がカーン様の使徒としてしっかりと育つのを見守り、導くため。それはこれからも変わらない、私の使命です」


 下げた頭を真正面に戻し、アグネスカはその金色の瞳で僕を見た。感情の読み取りにくい、無表情な瞳のその中に、僕への愛情と慈しみが、確かに感じられる。

 僕の足は自然と前へ、ルドウィグとアグネスカのいる方へと動いていった。ルドウィグの柱のように太いその前脚を、その傍らに立つ僕と背丈が変わらないくらいのアグネスカの顔を、しっかと視界に収めながら。

 そしてルドウィグの足元まで歩き、アグネスカの顔を目の前まで捉えると、僕は急に気恥ずかしくなって視線を逸らした。そして言うことには。


「使徒とか、巫女とか、まだ実感がよく分からないけど……カーン様のお力が、僕に強く働いているのは分かったよ。

 それでこれから何をすればいいかは、きっとこれから分かるんだろう?」

「そういうことです、エリク。貴方に与えられた加護を以って何を成すかは、これから分かります」


 そう告げたアグネスカの顔にチラと視線を戻すと、いつもと変わらない無表情の中に、微かに笑みが見えたような気がした。

 そこにぬっと、ルドウィグが身を伏せて顔を近づけてくる。


「さて、使徒殿が話を飲み込めたところでだ。そろそろ、案内といくかのう」

「案内って、どこへ?」


 問いかけた僕に、ルドウィグは口角を持ち上げてにこりと笑ってみせた。


「この森の中心部に、じゃよ」



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