死なず 

第30話 貫く

 今日もいつも通りの朝。


 瞼に朝日の暖かさを感じる。


 朝日を見れたのは16の頃まで。


 峡谷の戦いで両の目と片脚を喪った。


 そこから、数十年何とか生業を続けられた。


 これ程の欠損で剣匠を続けられた、僥倖だった。


「まぁ、何とか成った……」朝日を顔面に浴びて、ライドは呟く。


 ゆるゆると剣を抜く。


 レークライ……レイが来るまで未だ暫く時間が有る。

いつも通り、自宅の庭で朝練を開始する。


 剣を身体に纏わせる様に振る。

 攻撃と防御が一体に成ったかの様な動き。


 舌打ちを行いながら、土の地面に乱雑に置かれた拳ほどの石を避けて進む。


 目が見えている様にしか思えない。


 本日、齢56となっていた。


「ヤーン兄と同じ年に成った……」盲いた目で空を見上げる。


「ヤーン兄……そろそろ……そっちの寝床、わたしの分も、空けておいて下さい……」紅い太陽に言う。


 その紅い太陽を、雲が徐々に隠していく……

 私の皮膚から、陽光の暖かさを奪う……

 失われて行く暖かさに……

 彼の事を思い出す……


 そう、思い出す……

 美しく、悲しい、忘れ得ぬ……


 瞼に映る偉丈夫……

 太陽の様な男だった……

 苛烈な運命の男だった……

 それでも笑顔を絶やさぬ男だった……

 故に、人は誰彼と無く、彼に惹かれた……

 そんな、抗し難い魅力を持った、男だった……


 現代最高峰の剣匠であり、稀有な優しさを持った男だった……


 あの苦難の後でも、その優しさは、如何程も変わらず……揺るぎすらしなかった……


 当の本人は、その自身の優しさに全く頓着していなかったが……


 ヤーン兄らしい……


 あれ程、ユナ様から褒められていたにも関わらず……


 今になって想う……

 ヤーン兄の強さは、そこに在るのではないかと……優しいからこそ……


 数多の人を殺めて……

 数多の人に傷付けられ……

 それでも、優しいままだった……

 荒れず……

 驕らず……

 威張らず……

 増長もせず……

 一人の人間として生きた……


 恐らく弟のゼオは、兄貴の資質を羨んでいただろう……自分がどれ程、努力しようともう手に入らぬ純粋な感情……


 ゼオは、ゼオで得難い資質を持っているのだが……

 しかしゼオはその資質のお陰で様々な苦痛をその身の内に溜め込んだ。

 それは若き頃、彼の人格形成に作用して、兄の様に、青空に太陽が輝く性格にはなり得なかった。


 ゼオが人の裏に観る、もう一つの影。

 幼き頃から、それを観て……観た上で、相手と付き合わねば成らない。

 ニコニコ笑うその相手の後ろに、鬼畜な所業を観たとしても……

 そんな仮面を被りつつ生きてきたゼオは、兄の様な人格には成り得なかった。


 まるで、難しい数学を、わざと間違えて、子供らしさを演出する様に……

 もう既にゼオは答えを知っているのだ……


 しかし仮に、そんな答えを本人の前で露わにしては、自分の安全が、確保される訳も無かろう。


 ウソを付くしか無かった……

 ゼオにとって一番最初の、そして一番重要な処世術。


 ゼオはヤーンが死んだ時も、そうだった。


 ヤーンの訃報を聞いたゼオは、全ての魔法付与を、軽量化一択にした装備で、私を後ろに乗せ、早馬を飛ばした。

 深夜にも関わらず、稲光の如くヤトミ村まで疾走った。

 恐ろしい勢いでヤーンの家の扉を空けて、寝室に入る。私はゼオの後を追う。

 そこにヤーンの匂いが微かに……寝床に横たわっているのだろう。部屋の床全部が血だった……私の鼻を血の匂いが埋める。

 声の位置から、横には床に膝を突いてヤーンを抱きしめるユナが居る。その位置ではユナの衣装は血に染まり、元々、赤色かと見間違う程だろう。

 息子のレークライは、何故か木刀を掴んだまま、寝室の入り口で門番の様に立っていた。

 表情は不明だが、微かに歯を噛み締めている音がする。

 私は彼を知っていたが、子供の頃の彼は覚えていないだろう……


 ゼオはヤーンの寝床まで進む……ブーツが床に落ちる度、「ピチャピチャ……」と音が立つ。

 崩れ落ちるユナの横まで歩き片膝をつく。

 ヤーンの顔が目の前に在るだろう。

 そしてゼオは全く微動だにしなくなった……


 そして……小声で……

「まぁ、予定通りか……その内そっちに行くよ、兄貴……」とだけ言った。


『……泣けば良い……』私はそう思った。


 だが、ゼオは私に振り返り、

「現行の親衛隊隊長として、前任者の葬儀を宜しく頼む……早馬は私は使う、君の馬は、私が戻り次第、手配しておく」と言う。

「……頼むって、まだ、もう……かえっ……」思わず昔の口調で言ってしまう。

「本葬には出れない、ヤツは封印を解いたのだから……」ゼオは毅然として言う。

「……だが、せめて……」私は食い下がる。


『お前の兄貴なんだ……あと少し、ほんの少しだけ、居てあげてくれ……お前の、たった一人の……』口には出ない。


 私は幼い頃から二人を観てきた。

 そこから数十年……私は彼等の弟分だった。

 道端で剣劇を披露して、日銭を稼ぐ二人を観て拍手した。


 『ゼオ、君は本当にヤーン兄が好きだったよね……』


「……判ってる……判ってるよ……良いんだ……」ゼオが私を観て、静かにそう言った。

 ゼオが俺の内を観たんだ……いや、観なくても判る……


「どうして……どう……して……こん……な……」私は言葉に成らない……ヤーン兄の死に言っているのではない、剣匠なら死んで当然……しかし神ハギよ……悼む時間位は弟に与えてあげてくれ……そう想うのだ……


 ゼオは、言葉に成らない私の肩を叩いて言う。

「俺は兄貴の意思を継ぐ……だから戻る……兄貴なら、『ゼオ!馬鹿が!何してる?俺に構わず、とっとと策を練れ!』と言う……だろ……アハハ……」ゼオは大きく口を開けて笑っていた。


 ゼオは笑っているのに……

 目からは溢れんばかりの涙が……

 大笑いしながら、ゼオは泣いていた……


 ゼオの涙が床に落ちる音がする。


 ゼオの涙が、ヤーンの血溜まりに落ち、薄まり、そして直ぐヤーンの血に混ざり合う。私には解る。 

「ペチャ……」

ヤーンの胸からユナが顔を上げる。彼女の美しい顔は血に染まっているだろう。

 衣擦れの音で、ユナがゼオに手を伸ばしたのが判る。

 下を向いたままのゼオが、ユナの横に行き、床に正座する。

 ユナはゼオの肩を抱く。

 ゼオの全身が小さくなった様な「姉さん……」微かな……本当に微かな……声

 ユナが腕で、ゼオ引き寄せ、二人で寝床のヤーンを見ているらしい。

 恐らく血に染まったヤーンを……今も残り少ない血がジワジワと溢れて寝床を濡らす。


 突然、ゼオは、ヤーンの肩を掴み、彼の胸で泣いた。

 今までが嘘の様に、村中に響き渡るほど大声で……子供の様に泣いた……今まで我慢してきた数十年を……今がその時だと……


 ユナはゼオの背中を抱き、ヤーンの髪を、頬を撫で、そして小さく重なる音、血が溢れる唇にユナがキスをした……今も刻一刻と無くなるヤーンの体温を、少しでも感じれる様に……やがて、涙を流したままゼオは立ち上がり、ヤーンの亡骸に一礼し「もう大丈夫だ、ユナ姉」と言い、ユナともう一度抱擁し、レークライの方を向く。

 ゼオの顔面はヤーンの血で赤黒く染まっているだろう……

 そんなゼオを観ても、レークライは相変わらず微動だにしない。

 しかし彼からも水滴の音がする。

 頭部、顎から水滴が床に落ちる音。

 涙??

 いや違う、血だ……

 唇を血が出る程、噛み締めているのだ。

 だがそれでも彼は沈黙を貫いていた。

「すみません……」突然、レークライは沈黙を破り、何故かゼオに頭を下げる。

 ゼオはレークライの肩を抱く。

「どうした、謝ることは無い、レイ」ゼオがレークライの口から流れる血を拭う。

「俺が親父を助けれれば……」レークライは下を向いたまま。

「レイ……お前は……」ヤーンの息子は、父親の命を助けられなかったのは、自分の所為だと。

 血みどろのゼオはレークライを抱いた。

「有難う、そなたの親父は幸せ者だ」

 ゼオは、自分より背の高いレークライの頭をゴシゴシ撫でる。


 私は涙が止まらなかった。

 空になった眼窩に涙が溜まる。

 

 そしてゼオは私を一瞥し頷き、振り返らず出ていった。


 ゼオが通り過ぎる、その一瞬、私は感じた……『鬼だ……』そう、『鬼……』ゼオはその時、紛れもなく鬼だった。

 恐ろしい……明るい兄とは違う、暗く、重い……漆黒の決意……


 直ぐに馬の嘶きが聴こえ、蹄の音が遠くなる。

 ゼオは行ってしまった……迅雷の如く……


残された私はもう一度、室内を観た。

 ユナは今も痛めた膝を庇うこと無く直に床に膝突いて、ヤーンを抱きしめている。

 レークライはもう先程と同じく、扉の横で石像の如く立っている。

 先程の事など無かったかのように……


 私は目が見えなくなった事で、視覚以外の感覚が異常に研ぎ澄まされた。

 エコロケーションもその一種だ。


 感情を表に出さないレークライでも、私から観れば、微かに彼の想いが観える。


 レークライは全てを抑えている。

 一般人が観れば無表情で、ただ突っ立っているだけかも知れない……


 だが私には判る……


 呼吸、震え、心拍、

 抑え込んでも、

 微かに……感じる。

 漏れ出る……


 この青年……

 激怒している。

 恐ろしい程の憤怒。

 眼の前に、伝説の龍が現れても、

 その木刀で打掛からん勢い。

 静かに立つ、その身の内に

 不退転の意思を宿している。


 ……もしかしたら……


 そして私には判る……

 彼は、

 才能も……

 体躯も……

 ヤーンに及ばない。

 技量もまだまだ……


 剣匠の最上位になるには、

 ハギからのギフト(才能)

 そして、

 血の滲む努力による技量

 その両方が必要だ。


 才能は先ず、必須条件と言っても良い。

 努力だけでは何とも成らない。

 それが特級クラスの剣匠だった。


 だが、彼は……

 ヤーンより恵まれていないのに……

 私よりまだ格段に弱いのに……

 それなのに……


 ……


 私の身体が震えている……

 何か判らない……

 違和感……


 この時、私はこの違和感の正体は解らなかった。


 理由の解らぬモノを人は忌避する。


 レークライを観る私は、正にそれだった。

 ヤーンの息子にも関わらず、彼に恐怖を感じた。

 この青年が何者か?それを理解せねば成らない。

 彼が王都に来れば、稽古を付けるのは恐らく私だから……


 私はあの時そう思った。


 結局、レークライとの二度目の出会いは、彼と一切話さないまま終わった。


 ……

 ……


 皮膚に暖かさを取り戻す……

 雲から出た陽光が刀身に反射していたのか……


 辛い思い出から帰還……

 ……

 ……

 少し昔を思い出した。

 まだ思い出に成るには生々しい記憶。


 暖かい陽光が身体を照らす。

 身体に当たる太陽の暖かさで、私は時間が判る。

 レークライがそろそろ来る頃だった。


 身体は温まった。


 あぁ、丘を駆け上がる足音が聴こえる。

 息を荒げること無く疾走している。

 心肺機能が頑強な証拠だった。

 太陽を背に登ってくる。


「よく鍛えてある……」

 私は剣を仕舞う。


 相手を知るには、手合わせが最短。

 私は、彼にとって出会った事の無い相手だろう。

 はてさて、彼はどう対応するのか?


 足音が大きくなる。

 それにつれて、歩調が走りから歩きに変わる。


 歩きながら、

 地形、

 建物、

 遮蔽、

 潜伏、

 周囲を確認し、警戒しているのが判る。

 剣匠としての基本動作が出来ている。


逆光で長く伸びたレークライの影がライドにふれる。


「お世話になります、ヤーンの息子、レークライと言います」そして軽く会釈をする。


「父君とは旧知の仲、私はライドと言う」私は答えた。

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剣匠 殺戮深化 Aurea Mediocritas @serotonin

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