モノローグ
凪澄
古井戸
もう分かったからやめてって。
お前は何もわかってない。
あなたこそどうしてわかってくれないの。
おまえになど分かるものか。
俺達は傍から見ればどう考えても幸福な、何一つ不自由ない暮らしをしている家族だ。郊外の豪邸、大理石にプール、外車に犬に家族5人。大学院まで出て資格も多数持つ一流企業のトップに、スタイル・顔立ち・育ちの良い誰もが羨む良家の嫁。成績お行儀共に良く、社交界パーティに出しても親の面子を潰さない程度によく躾られた坊ちゃん嬢ちゃんと世間体も完璧。欠けたもののない「幸福」の形。俺らが抱えている物など誰にも見えない。
何が羨ましいんだろう、とずっと思ってきた。ここに望んでもいないのに生まれ落ちた俺らの、何が。世間体の為だけに人形のようにあてがわれた、毎日変わるブランド物の服の下に数え切れない火傷や痣を隠し持っている事。毎日聞こえる怒声、金切り声に耳を塞ぎ、飛んでくるものに怯える事。俺らが暖かい家庭の味など知らず、投げ捨ててあるのは温度のない札だけで、実質何も知らず放り出された幼子だという事。立ち話で人んちに興味津々なくせして面倒事は引き受けない、他人事の近所のマダムたちは何も知らないだろう。知っていたとしても何が変わっただろう、せいぜいいつもの俺らを見る目にプラスで哀れみが加わるだけの事だろ。
いやもういい。いいんだって。何でもいい。どうでもいい。あのお家の跡継ぎは3人の中の誰かしら、だなんて悠長に気にしてられたのはあの婆どもくらいだ。ここではそれどころではなかった。気の強い正義感の塊である弟、女だから跡継ぎの、いや家族の頭数にすら数えられない妹、その双子の寂しがり屋の泣き虫。俺らは生きる事に必死だった。
常にすぐ反発しては殴られ、飛ばされている2つ下の次男。正しい事を言っているのはいつもこいつの方だったし俺はそれが誇らしかったが、ここでは正しさでは生き延びられない。まだ俺という盾が必要だった。
全ての矛先はこの娘へ、5つ下の哀れな妹。どうせいようがいまいが、女というだけで世継ぎではない、役に立たない木偶の坊なんだからストレスはこいつにぶつけてやれという認識。必ずと言っていいほど火傷や痣のない日は無かった。
誰かが居ないと落ち着かず、いつも泣くのを堪え噛む指や唇は傷だらけ。姉を守ろうとその前に立ち、こいつが蹴り飛ばされ、それを見た次男が噛み付くのが常。人見知りで俺達から離れられない、だが代わりのように誰よりも優しい末の子。
俺らは俺ら以外を信じない。もうずっと前から助けを求める事なんて頭になかった。
こんなでも、覚えていないほどの昔、いつか手を伸ばした事はあったのだ。上へ。世界へ。救ってほしい、せめてここの事を知って欲しい。綺麗な石で囲われたここは汚物に塗れとても生きてはいけない地獄だと。届いた、声は確かに届いた。上から見下ろす人々はその淵から中を覗くと、その泥々の醜態や臭いに顔を顰め、汚れる事を嫌い、あろうことか蓋をした。
例え少しでも。手を掴んでくれなくて良い、自分で這い上がるための綱でも、この暗闇に懐中電灯でも何でも良いから投げ入れてくれたなら。
そして決着した。世界は汚かった。ここから見上げる世界が美しいのだと、勘違いしていた。助かると。息がしやすくなると。幻想は消えた。とうに夢は終わった。上へ上がったとしても惨憺たるものだと、目が覚めた。教えてくれたのはあんたらだろう?そうやって俺たちは、少なくとも俺は世界の全てを見放した。
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