第50話~ブレンドコーヒー~
~四ツ谷・三丁目~
~Gina's Cafe~
僕は仕事が始まる前の時間を使って、東京メトロ丸の内線の四谷三丁目駅まで来ていた。
目的は勿論、姉ことジーナの経営するカフェだ。
「ここか、姉貴の店って……」
名刺に書かれていた住所を頼りに駅の周辺を歩くことしばし。店そのものはあっさりと見つかった。
しかし問題が一つある。
店のドアにかけられているプレートは「CLOSED」。開いていないのだ。
「確かに名刺には不定休って書いてあったけど……姉貴、平日の昼間は基本開けてるって言ってなかったか?」
独り言ちながら、持ってきた名刺に視線を落とす。
営業時間、10:00~15:00、16:00~20:00。定休日、不定。注釈で「平日の10:00~15:00は基本開けています」と書いてある。
今日は木曜日だから、空いているはずなのだ、本来は。
僕が小さくため息を零していると。
「あれー、マウロ? あんた今日仕事じゃないの?」
近所のスーパーマーケットのビニール袋を手に持ったジーナが、僕を見つけて声をかけてきた。思わぬタイミングでの登場に僕の目が大きく見開かれる。
「仕事は午後からなんだよ。まだ時間があるし、平日は開いてるって聞いたから来てみたんだけど……」
「あぁごめんごめん、買い出し行ってたのよ。牛乳が切れちゃってさ」
そう話しながら、ビニール袋を持ち上げるジーナ。確かに中には、牛乳の2リットル紙パックが入っているのが見える。
ジーナは店頭のドアの鍵を開けると、かけられたプレートをくるりと反転させて「OPEN」に変える。そうしてゆっくり扉を開くと、彼女はくいと顎をしゃくった。
「ほら、せっかく来たんでしょ、入りなさいよ」
「……ん」
小さく頷いて、僕は「Gina's Cafe」の中に足を踏み入れていく。
頭上のドアベルが軽快な音色を立てた。
「Gina's Cafe」の店内は、明るい色調のカジュアルな喫茶店、という感じだった。
木製のカウンター席に椅子が並べられ、2人がけのテーブル席が3つ、4人がけのボックス席が1つ。
天井では大きなファンがくるくると回っている。軽快なBGMと共に有線放送が流されていた。
カウンターに入ってエプロンを締めたジーナは購入してきた牛乳を冷蔵庫にしまうと、カウンターに肘をつきながら笑みを見せた。
「さて、こうしてあたしの店に直接来たからには、なんか話したいこととかあるんでしょう?」
「まぁな……とりあえず、ブレンドコーヒーを一杯、ホットでもらえるか」
「はいはい。砂糖とミルクは?」
「つけてくれ」
カウンター席に座りながら、淡々と注文をしていく僕。ジーナもやり取りを済ませた後は、何を喋るでもない。
かすかに聞こえる、有線放送で流されている流行りのJ-POPのメロディと、お湯が沸かされてぽこぽこと立てる音だけが、喫茶店の中で鳴っている。
やがて、コーヒーのドリップを終えたジーナが、僕の前にコーヒーカップを一つ、ことりと置いた。
「はい、ブレンドコーヒー」
「ありがとう」
一つ礼を述べて、添えられたコーヒーフレッシュとスティックシュガーの封を切る。黒褐色のコーヒーに溶かし込むと、色合いがだいぶん明るみを帯びた。
おもむろにカップを持ち上げて、茶色の液体をすする。ほんのりと苦く、まろやかで、甘みのあるそれは、随分と香りの芳ばしさが際立っているように思う。
しばしカップの中を見つめた僕は、顔と視線を静かに持ち上げた。
「姉貴、コーヒーは地球に来てから覚えたのか?」
「そうよ、なかなかのもんでしょ」
自信ありげに胸を張るジーナ。地球に来てから、彼女の場合は1年と8ヶ月。かなりの努力を重ねてきたのだろう、きっと。
得意満面な様子に、二度三度目を瞬かせた僕は、改めて手に持ったコーヒーカップに視線を落とした。白い陶器に若草色の葉っぱ模様が描かれたカップとソーサーは、シンプルながらほんのりと可愛らしい。
もう一度コーヒーをすすって、僕はカップをそっと置いた。
「……うん、僕はコーヒーのこと、そんなに詳しくないけれど、美味しいと思う」
「よっしゃ!」
「ただ、そうだな……」
素直に褒めた僕に喜びを露にするジーナだが、僕が言い淀みながら口元を手で隠すようにするのを見て、表情を変えた。
小さく首を傾げながら、指先を合わせている。
「……姉貴は、チェルパに……グレケット村に帰りたいと思ったことって、ないのか?」
「んー? そりゃああるに決まってるじゃないの。パパとママが二人ぼっちなのよ、あたしが急にいなくなったもんだから。
一度は顔を見せに帰りたいと思うし、状況の説明もしたいじゃないの。出来るもんなら、だけど」
「うん……いや、実は昨日に転移課行った時に話を聞いたんだけど……」
そこから、僕はコーヒーを飲みながらつらつらと、昨日マルチェッロから聞いた話、転移課で見た話を話し始めた。
内なる
転移課職員は地球と異世界を繋ぐ術を持っていること。
世界の狭間で、アースとチェルパの位相の重なりを見てきたこと。
僕達がチェルパに帰る為には、僕達自身が地球とチェルパを繋げるようになる必要があること。
その為に、僕達5人が転移課のバックアップの下、地球と異世界、世界の狭間を行ったり来たりしていること。
最初は大げさに相槌を打ちながら聞いていたジーナも、いつの間にか真面目な表情になって頷きを返すだけになっている。
「僕達5人のうち、誰か一人でも
姉貴はネットワークパス? の
「ふーん……なるほどね」
カウンターの板材をトントンと指先で叩きながら、ジーナは視線を天井に向けた。
視線の先で、ランプに取り付けられたファンが静かにくるくると回っている。
ファンの動きを目で追うようにしながら、真面目な表情でジーナが口を開く。
「あたしさー、『自分の店を持つ』っての、ずっと夢だったんだよね」
「……うん。小さい頃から言ってたもんな」
「うん。思わぬ形で、思わぬ場所でとはいえ、その夢が叶ったからさー、この店を手放してシュマルに帰るって選択肢は、あたしには無いんだよね」
「……だろうな」
ジーナの言葉に、僕も大きく頷いた。
気持ちは分かる。折角叶った夢、折角手に入れた自分の店なのだ。
形になった夢を手放して故郷に帰るなんて、余程切羽詰まっている状況でなければ取ることはないだろう。この喫茶店が繁盛しているかどうかは僕には分からないが、ジーナがこの店を殊更に大事にしているのはよく分かる。
僕だって、もう
勿論、チェルパと地球の
そのくらい、この世界に、この国に、この地に居場所が出来ているのだ、僕も姉も。
「でも、あたしだってパパとママの顔は見たいし。こっちで元気でやってるよってことくらいは伝えたいし。
チェルパ、なんかやばそうな感じなんでしょ? その解決のために
あたしもあとで区役所行くわ。マルチェッロさんに話せばいいんでしょ?」
「あぁ……頼む」
冷え始めたコーヒーカップを両手で包むようにしながら、僕は再び頭を下げた。
これでもう少しは、チェルパに繋がる
話がまとまったところで、ジーナが目をぱっちりと見開いた。
「でさー」
「うん?」
「あたし思うんだけど、パパとママも地球に呼び寄せられればいいんじゃないかなー? って」
「……父さんが首を縦に振ると思うか?」
疑念を浮かべる僕に、しかしジーナはあっけらかんと答えてみせる。
「パパだっていつまでも石工を続けられるわけじゃないだろうしね。
仕事を引退して、やることなくなったらこっちで過ごす、なんて余生もいいんじゃない?」
「まぁ……どっちにしろ父さんと母さんの意向を聞いてみないことにはな」
「うん。だからマウロさ、あたしも頑張るから。
絶対里帰り出来るようにしよう。ね?」
そう言って、カウンターから身を乗り出したジーナが、僕の両手をぎゅっと包み込むように握る。
ジーナの鼻先が僕の鼻先に触れんばかりに近づく。
驚きに目を見開いたのは一瞬だった。すぐに潤み始めた僕の瞳。
こくりと頷いた僕の視線の先で、残り僅かなコーヒーがカップの中でたぷんと揺れていた。
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