本編~1ヶ月目~
第1話~シュマル風ポテトサラダ~
~新宿・歌舞伎町~
~居酒屋「
あの日の夜から、おおよそ一ヶ月。
行政への入植申請、会社への入社手続き、この世界についてのレクチャーを受けた僕達は、居酒屋店員としての一歩を踏み出した。
新しくオープンする店は政親の会社が所有するビルの、3階に位置する。
内装は木材と石材がふんだんに使われ、どことなく街の酒場風だ。異世界らしさを出そうと、僕達の意見も取り入れて改装してくれたらしい。
建物の入口に掲げられた店の名前は、「
開店前、僕は真新しいシャツとエプロンに袖を通し、厨房で料理の仕込みをしていた。
僕から少し離れたところで、ビールサーバーにビールのタンクを繋いでいる、角と尻尾を生やした女性が立ち上がる。
「サーバーの準備、終わったよ。仕込みが済んだら注ぎ方の練習をしとこうか」
「了解です、店長」
店長――
澄乃は陽羽南をオープンさせるにあたり、リンクス本社から派遣されてきた女性だ。
角と尻尾からも察しはつくだろうが、彼女も異世界からの来訪者だ。その容姿から
また、僕達が入居している社員寮の、寮母でもある。
僕は鶏肉の筋切りを済ませて、調味料と共に袋に入れて冷蔵庫に収めると、澄乃の待ち構えるビールサーバーの前に立った。
真鍮の色合いで輝く真新しいビールサーバーのコックに、そっと手をかける。
「いいかい、コツは昨日言った通り、泡を3、それからビールを7だ。注ぐ時に躊躇わないこと。
よし、まずは三つ連続で。行け!」
「……はい!」
澄乃の掛け声に返事を返し、コックをひねる。
泡だけを注ぎ、続いてビールを。一つ注ぎ終わったら次のジョッキに手を伸ばし、またもう一つ。
一分ほどかけて、僕は三つのジョッキにビールを注ぎ終えた。
横一列に並べられたジョッキを眺め、持ち上げ、凝視する澄乃。
そして一つのジョッキを手にして中のビールをぐいっと呷る。
僕が固唾を飲んで見守るなか、ビールを一息に飲み干した澄乃は。
「くーっ、ウマい! 上達したねぇマウロちゃん!」
破顔一笑、僕の背中をバシンと叩いた。
「ありがとうございます……っていうか、「マウロちゃん」はやめてくださいって言ってるじゃないですか!」
「はいはい、マウロちゃんが200歳を超えたら考えてあげてもいいよ」
背中をさすりながら噛み付く僕を、飄々と笑ってかわす澄乃。
見た目こそアンバスよりも若いが、350歳の彼女だ。25歳の僕など赤子も同然なんだろう。
空になったジョッキをシンクに置き、残り二つのビールのジョッキを手にした澄乃は、一つを僕に差し出してきた。
「はいこれ、飲んじゃいな!」
「店長、開店前ですよ!?」
慌てて首を振る僕に構わず、澄乃は「いいからいいから」とジョッキを僕に押し付ける。
勘弁してほしい……が、放置してても不味くなるだけだ。
僕はジョッキに満たされたビールを、ぐっと喉に流し込んだ。
「おい、店長もマウロもずるいぞ! 飲んでる暇があるんだったらこっち手伝えよ!」
店内の掃除を終え、テーブルを並べ直しているアンバスが文句をこぼした。
開店から最初の一ヶ月は厨房二人、フロア二人の四人体制で回し、お店に出る日が四日、本社で研修を受ける日が一日、残り一日が休み、というスケジュールだ。
今日は澄乃と僕が厨房、アンバスとエティがフロア。シフェールが研修で、パスティータが休み、ということになっている。
「悪い悪い。すぐに行くから待っておくれ。
マウロちゃん、そろそろ日本酒が届くと思うから、届いたら冷蔵庫にしまってもらえるかい?」
店長がカウンターから身を乗り出してアンバスに答える。
僕は店長からの言葉を受けて、サケ用の冷蔵庫にスペースを作りに行った。
程無くして階下から、看板の設置に向かっていたエティが戻ってくる。澄乃の言っていた配達業者も一緒だ。
僕は業者に一礼して荷物を受け取ると、受け取った箱から日本酒の一升瓶を出しては、冷蔵庫にしまっていく。
開店は、もうすぐだ。
「「いらっしゃいませー!」」
店内に元気な声が響き渡る。
居酒屋「陽羽南」、いよいよ開店だ。
開店前からビルの前で待っていたというお客さんが、カウンター席に、テーブル席に、案内されていく。
「A卓様2名、生中2、ポテサラ1、鶏唐1入りましたー!」
「ありがとうございまーす!」
水とおしぼりを置いて、最初のオーダーを取ってきたエティが、キッチンを覗き込んで内容を告げる。開店初日とはいえ研修の成果もあるだろう、淀みはない。
僕は小鉢二つに根菜の煮こみを入れてトレイに乗せ、先程練習したビールをジョッキに注ぐ。
こちらもトレイに乗せてエティに託すと、料理の支度に取りかかろうと腕をまくった。
ポテトサラダのジャガイモは事前に仕込んであった。
マッシュされ、茹で玉子、ニンジンと混ぜられたものをタッパーから掬い取る。
炙ったベーコンを角切りにして混ぜ込み、そしてもう一つ加えるものがある。
それが、このラディッシュのピクルスだ。
シュマル王国はジャガイモの生産が盛んで、ジャガイモ料理が発達している。
中でもポテトサラダは老若男女問わず人気の品で、家庭ごとに個性も出るものなのだが、ローズビートのピクルスを薄切りにして加えるのは、どこの家庭でも共通だ。
こちらの世界にローズビートが無いことが悔やまれるが、ラディッシュで代用できたのは嬉しい限り。
ベーコンとラディッシュをサラダに混ぜ込み、皿にレタスを敷いて、半分に切ったミニトマトと共に盛り付ける。
これで、「シュマル風ポテトサラダ」の、完成というわけだ。
「A卓様、ポテサラどうぞー!」
「了解!」
カウンターの上に乗せて声を張る。
アンバスが皿を持っていったのを確認して、僕はキッチンに意識を戻した。
「1席様、らっきょうどうぞー!
マウロちゃん、A卓の唐揚げ揚げ始めたら、1席のフライドポテトも一緒に頼むよ」
「了解です、店長」
澄乃の指示を受けて、フライヤーに鶏肉を投入する。
油の跳ねる音に混じって、お客様の声が聞こえてきた。
「おっ、ポテサラうまっ!」
「ラディッシュ入ってるんだな、食感いいじゃん!」
この世界の人達にも、僕達の世界の料理を美味しいと言ってもらえる。
それが僕には、堪らなく嬉しかった。
「よっし、まだまだ頑張るぞ……!」
僕の居酒屋店員としての毎日は、まだ始まったばかりだ。
~第2話へ~
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