序章:『存在しない神話の起源』

第1話「存在しない神話の起源(1)」


みんなを救うヒーローになれ。

君にしかできない。君にしか叶えられないみんなの願い。

それを叶えられれば、たとえ死んだとしても、胸を張って笑顔で死ねる。

みんなの英雄として。


……ごめんな。


最後に、虚しさの残る唇を十分に綻ばせ、彼は、そう言った。


みんなを助けたい。この思いは、貴方によって作られたものだ。


僕は、恒久平和を現実にする為の……みんなを救う為の、道具。







ある夜。鬱蒼と茂った綺麗な花畑の上で、笑顔で戯れる子供2人。黒髪の冴えない男の子。茶髪で、透き通った碧眼を持つ、淑やかな女の子。


「ねぇ、君の夢……教えてよ」

「夢?夢かぁ……君は?」



「私はねぇ、現実世界に戻って、パパとママに会いたいかな」

「パパ、ママか……じゃあ、僕もそれ、手伝うよ。それが僕の夢!」


「手伝うって、戦争に勝たなきゃダメなんだよ?」

「なら戦争に勝って、一緒に現実世界に行こう!僕が君を、現実世界に連れて行ってあげるよ!」


「うん、分かったっ!約束!」


少女は笑顔でそう言うと、小指を立てる。

少年もそれに笑顔で応え、2人は指切りを交わした。






そこで、朝を告げる姦しい声が響く。


「おーい!優く〜ん。起きろ〜?」



「ん、んんっ」


唸りと共に重い瞼を開ける優、と呼ばれた少年。その目の前には……


「ブハァッ!!な、何を!」

「あ、やっと起きた」


目の前には、女性の胸と思しき2つの丸い物体。声の主のものだろう。

寝ぼけてあやふやだった意識が一気に覚醒する。


目の前で少年の身体に自らの胸を押し付けるという女らしからぬ愚行を繰り広げている女性の名は、クリス・マーベル。

濃い茶髪に、優同様に輝く赤い目。顔が隠れる勢いに大きな胸が、スタイルの良さを際立たせていた。


「優君?今日くらい自分で起きなきゃダメだろ?君が胸で起こしてほしいとか言うからやったけど……私、女の子なのよ?」

「一言も言っとらんわ!!それに!今日はしっかり4時に目覚ましを……」


と、上目遣いで人差し指を口に当てるクリスに、少年は目覚まし時計を掲げる、が。


「あっ……」

4時にセットしたはずの目覚まし時計は、既に6時指していた。

少年は視線を泳がせ、持ち上げた時計をズルズルと下ろしていく。


「ははっ!4時とか、君は気合入りすぎなんだよ」


そう、笑いながら席を立つクリス。現れた窓から偽りの世界にただ1つ輝く朝日がカーテンをすり抜け、照らしていた。


少年は左手を掲げてその光を遮り、横たわっていたベッドから身体を起こす。

少年の名は、桐原優(きりはらゆう)。黒髪で、赤い瞳が目立つ15歳の少年だ。

比較的小柄な体格だが、身体のあちこちには、過去に体験した事故により残った沢山の傷の跡が存在していた。

因みに左利きだ。


いらない情報だったな……




「またあの夢見てたの?」

「……はい」

「女の子と、約束するってやつ?」

「……はい」

クリスが一瞬、口を噤む。


優が見る夢は、明晰夢と確信する程何度も見る。小さな男の子……恐らく優が、同じ歳くらいの女の子と現実世界への帰還の約束を交わすというものだ。

その女の子の正体を未だ掴めてはいないのだが、この夢が、優の失われた記憶の一部だということは確信している。


そう。優は記憶喪失なのだ。10年前より以前の記憶がなく、またそうなった原因も分からない。


「俺の、記憶の一部。なのかな……」

「何言ってるんだよ。優君は女の子に疎いからね、君の願望が夢として現れたのさ!いつも言ってるだろ?」

「またそれですか」

「私だって君くらいの頃は、よく好きな人の写真を枕に挟んで、あんなことやこんなことを想像しながら……」

「えぇ……」

「なっ!何引いとんじゃい!まあ昔の君に彼女なんているわけないでしょうよ!だって今こんなんなんだよー??」


歯を見せて笑い、優の肩を叩くクリス。

深刻な表情で呟いた優だったが、いつもの調子でクリスに軽くあしらわれてすこしムッとなる。

優の恋愛事情はタブーだ。

あはは……と苦笑いしたクリスは、部屋の扉まで歩き、ノブに手を掛ける。


「じゃ、先外で待ってるから」

「分かった」



クリスが退室し、静けさに包まれた部屋。優は再び手元の時計を裏返し、時刻を確認すると、現在は1月1日の6時。元日の早朝だ。


向こうの世界ならば。


優は何も、お年玉が貰えるから、新年だから、などという理由で早起きをしたのではない。

そんな概念は、そもそもこの世界には存在しない。



今日は、「第4次偽界戦争」の開戦日なのだ。




偽界戦争とは。

偽界で行われる、生き残りを賭けた戦争。偽界創生から今日にかけて過去に3回行われており、今回優が参加するのは4回目の偽界戦争ということになる。

だが、現実世界の紛争地域で行われているような戦争ならば、こんな少年が参加するわけがない。


偽界戦争は、現実の戦争とは目指すものが全く違うのだ。



この戦争で勝利した者は、偽界から脱出し、現実世界に戻ることができる。

更に、自分の欲しい物を現実世界に持って行くことができる。巨万の富、女、権力など。要するに、自分の願いを叶えることができるということだ。


これに食いついた者達は、戦争に参加し、血を流して倒れて行く。勝利を掴むのは勝ち残った最後の1人だけなのだから。



だが、例外もある。自分の望みを、他者の脱出とし、チームを組むことだ。


ならば、戦争開始直後にそう願えばいいではないか。と考えた者もいるが、それは叶わない。

その願いが通用するのは7人までだからだ。戦争に参加する人数は、毎回約3千人。最低でも2993人を殺さなければならないのだ。


もちろん裏切りも存在するが……


つまり、人々が偽界戦争を行う理由は、全て自分の為。

だから人間は殺し合うのだ。自分の生還の為に、自分の欲望の為に。実に愚かな存在だと、まだ幼い少年の優ですら思うこともある。

人間というのは立場を与えられれば容易に躊躇なく人を殺してしまうのだから。


優もこの先そうなってしまうだろうということに、この日が訪れた今も尚胸を痛めているが、優は何としてでもこの戦争に参加しなければならなかった。

彼は、生前の父親と、こんな約束をしたのだ。



ある日の夜。家のベランダに優と並んで腰掛け、月を見ていた父親が、突然口を開いた。月の光が、彼の真っ白に染まった白髪を照らす。


「優、お前は、行けよ。向こうに」

「え?なに父さん。急に」

「俺は、夢を叶えられなかったし、救えなかったから」

「なんの話だよ」

「だからさ優。俺の代わりに、見てきてくれ。向こうの世界を」

「んー、なんだかよく分かんないけど。俺に任せてよ。約束する」



「ああ、良かった。これで、安心できるよ」



元々優は現実世界に行きたいとは思っていたが、この日結んだ約束により偽界戦争への参加を決意した。


しかし、名を桐原切夜というこの父親は、優の本当の父親ではない。10年前死にかけていた優を拾い、育ててくれた義理の父親である。


その為、優には別の、本当の父親と母親が存在するのだ。その母親とは知り合いだったらしく、よく切夜は優に母親の話をしていた。昔のことや、その母親が死んだことも……


そしてその切夜も、4年前死んだ。





優は、寝室からリビングに移動すると、素早く朝食を済ませ、黒いコートに着替える。

無駄な戦闘を避ける為。そして暗く、戦いづらい夜の戦闘をなるべく避ける為だ。優も、普通の子供なのだ。むやみに人を殺そうなんて、当然思わない。



刀を2本を腰に下げ、玄関を出る。


「……来たね。ほんとにいいの?政綺君に怒られるよ?」

「大丈夫です。政綺さん、今いないので」

「いや……そういうことじゃ……っ、はぁ」


両手を分厚いコートのポケットに入れ、頬を緩めて優を出迎えたクリスが、顎をしゃくって上を見るよう促す。

空に目線を上げると、雪が降っていた。優の頬に、キラキラと輝いた雪が一粒落ち、静かに消えてゆく。

先に落ちた泥まみれの雪に、新しく、美しい雪が重なり、時期に積もるだろう。

まるで、敗者の屍を踏みつける勝者のように。

その景色に息を呑んだ優は、再びクリスを見る。


「あの……寄り道、していいですか」






優は、家から近い場所にある墓場へと進み、その一角にある墓石の前に膝を付くと、目を瞑る。この墓石は切夜と、優の母親のものである。


「父さん、母さん。行ってくるよ」


そう呟き、墓地の出口で待つクリスへと足を動かし始めた優の目に、反対側に広がっていた枯れた草原が映った。



「こんな場所あったのか」


草むらを遮り、優はその地に足を踏み入れる。

どこまでも続く緑に、僅かに咲く花。その先には崩れ

落ちた木々もたくさんあった。優は胸を痛めながらも、その場所を眺めていると、中心に少女と思しき人影が見えた。




細い身体を、ローブの伸びる戦闘服で包んでいて、靡く茶色く透き通った髪は、傾いた太陽の光が反射して煌びやかだ。

少女は目を瞑り空を見上げたまま、微塵も動かずその場で立ち尽くしていた。


優は思わず、荒廃した地に1人佇む美しい少女を凝視していたが、ハッと我に帰ると、あることに気付く。



優の頬に、涙が伝っていた。




「な、なんで」

優は震える手を頬に添え、そう呟く。

その涙の真意は分からず、再び顔を上げ少女を見つめるも、やはり何か込み上げるものがあり、呼吸が荒くなる。

一歩二歩と後退り、首を左右に振る。


「こんなことしてる場合じゃないよな。行かないと」


そう言って、優は少女から目を逸らしてその場から立ち去る。少女が、優の気配に気付き素早くこちらを向くのと同時だった。

少女は誰もいない草むらに少し表情を曇らせた末、俯き、微笑んだ。


そして少女は、優は歩を進み始める。

安息の街、「セーフティータウン」に向かう為に。戦争に勝利して、現実世界に行く為に。自分の願いを、叶える為に。


ーENDー

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