私とママとパパのこと

@naoxxx0322

私のティーカップ

私が小学校を卒業すると、パパは家を出て行った。

見たことのない茶色の大きな旅行鞄に、毎朝コーヒーを飲むマグやママとお揃いの歯ブラシ、私がお誕生日にプレゼントした絵とか、名残惜しそうに色々荷物を詰め込んで私の頭を撫でてから、壁に寄りかかって腕組みをしているママの方をチラっと見て車に乗って出て行った。あの時パパは何か言いたそうに私を見たけれど、私にはそれが何かわからなかった。すぐに帰ってくると思っていたし、それからでも聞けばいいと思っていた。

でもパパはそれ以来家に帰ってはこなかった。

ママはこの事についてシンプルに、

「今日から二人で暮らすのよ。」と言った。

だから、その日から私はママと二人で暮らすようになった。二人だけの暮らしは最初は寂しかったけれど、すぐに慣れていった。

それにパパが今どこに住んでいるのか教えてもらっていたし、私は中学生になったのだ。


ママはキッチンに置いてあるパパが使っていた年季の入ったコーヒーメーカーを片付けて、紅茶を飲むために新しく買ったティーセットを置いた。花柄のトレーの上に、丸くて真っ白なティーポット、ティーカップとソーサーは二脚ずつ。二人でティーセットを買いに行った時ママは、

「もう中学生なんだし、一緒に紅茶を飲めるのよ。」と私に言った。

ママは紅茶が好きだ。いつも朝起きると一番にケトルに水を入れてお湯を沸かす。それから洗濯機のスイッチを入れてキッチンの壁掛けのCDプレイヤーのボタンを押して、紅茶を飲みながら私の朝ごはんを作る。CDプレイヤーから静かにヴァイオリンの音が流れる。朝は『パッヘルベル』の『カノン』と決まっていた。ママが昔好きだったドラマの主人公が目覚ましがわりに使っていた曲らしい。眠い目をこすりながら起きると、キッチンからはカノンが流れていてテンポよく踊る音の上にふんわりとママが淹れた紅茶の香りが漂っている。私は小さな頃からママと同じ紅茶が飲みたくてその度に、

「中学生になってからね。」と言われていた。

今日からやっとミルク無しの紅茶を飲めるのだ。

私はキッチンにいるママに声をかけた。

「ママおはよう。」

「おはよう。」

ママはフライ返しを持ちながら振り返った。フライパンの中には、私が好きなエッグベネディクトが作ってあった。

ティーポットの蓋をあけると中には二人分の紅茶が用意してあって、ひらいたチョコレート色の茶葉から甘くて香ばしい香りがした。

「紅茶、飲んでいい?」

と私が聞くと

「どうぞどうぞ。ちょっとセッティングしてくれる?」

とママはティーセットを指差した。

新しく買ったティーカップ、ママのは真っ赤なソーサーで、真っ赤なカップの中には青い小鳥がピンク色の花の枝に止まっていた。私が買ってもらったのは、ゴールドの縁で白地に藍色でぼかしながら優しい薔薇の絵が描かれているものだ。ママは、

「そんな渋いのじゃなくて、もっと可愛いらしいデザインのものにしたら?」

と言ったけれど、私は一目見てこれに決めた。

絵の具の筆の先をバケツの中の水につけた時みたいな、ぼやーっと藍色の水紋が広がっていく感じ。こういう濃淡、ママにはわからないんだろうなぁ。と思いながら、クリーマーに少し温めたミルクを入れて、ティーストレーナーを持ちながら白地のカップに飴色がいっぱいになるまで紅茶を注ぐ。

香ばしい香りが部屋中に漂う。

一口飲んでみる。温かい液体はのどを滑りおりて鼻からはいい香りが抜けていく。

「ああー、いい香り。」

私が言う前に、ママが朝ごはんを乗せたお皿を差しだしながら言った。

「どう?美味しい??ああー、いいにおい。紅茶のにおいって大好き。癒されるわあ。」

と言いながらママは私の正面の椅子に座った。

「ママのもいれようか?」

私はティーポットに手を伸ばした。

「ありがとう。お願い。」

「ああー、いいにおい。今日の茶葉は、ママのオリジナルブレンドよ。何が入ってるかわかる?」

ママはニヤリと笑いながら言った。

「ピーチでしょ?」

ママのカップに紅茶を注ぎながら答えた。

「えー!その通り!」

ママはカップを持ったまま驚いた。

「すぐわかったよ。」

「簡単すぎ。」

私は笑いながら言った。

「そうかなあ。」

ブツブツ言いながらママは、紅茶を飲んだ。

今日から中学生だ。中学生になったらやっていい事がたくさん増える。

携帯電話も、大人と同じものを買ってもらったし、買い物をする時だって、ママの許可なく意味のないくだらない物を買ってもいいのだ。門限だって伸びたし、中学生って楽しい事ばっかり。

私は食べながら思った。

「何ニヤついてるのー?早くママに、制服姿見せてー。」

とママが笑いながら言った。

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