小学生夏休み体験ツアー
すすま
小学生夏休み体験ツアー
「すみません。」
突然、声が降ってきた。驚いて顔を上げると目の前に黒い人影があった。スーツを着た男性だった。彼はベンチに座った僕を見下ろして立っていた。夕暮れ、人気のない公園。いつの間に来たんだ。
「今、お時間よろしいでしょうか。」
男の人はそう話しかけてきた。
「……はい、何でしょう。」
僕はぶっきらぼうに答えた。高校生の僕に何の用があるのだろう。キャッチセールスか?僕はそう思っていた。しかし
「小学生の頃に戻ってみたい、と思ったことはありませんか?」
「はあ……?」
男の人の予想外の言葉に、僕は気の抜けた返事をしてしまった。小学生に戻りたい?いきなり何を聞いてるんだ?
僕をおいてけぼりにして、男の人は続ける。
「ですよねぇ。誰しもあの自由だった、何にも縛られることのなかったあの時に、戻りたいものですよねぇ。」
確かにそうかもしれないが、僕は一言もそんなことは言ってない。
「そこで、そんなあなたに朗報です!」
男の人は得意気に言葉を切った。少しためて、
「なんと、我が社の開発したシステムであなたが小学生の夏休みを体験できるのです!」
男の人は高らかにそう言った。が、僕にはどういうことだか全く訳がわからず、言葉が出なかった。無反応な僕を察してか、男の人は続けた。
「まあ、聞いただけではわからないでしょうね。今、無料で体験中なんですが、いかがですか。貴重ですよ。」
僕は迷った。変な人についていくのは危ないだろう。何をされるかわからない。
しかし、僕には行くところなんてどこにもない。それに男の人の言う内容にも少なからず興味が湧いていた。
「じ、じゃあ、僕、体験してみます。」
僕は思い切ってそう言った。男の人は、
「ありがとうございます!では早速こちらへ。」
と言って先に立って歩き出した。僕も慌てて立ち上がった。そのとき膝の上に置いてあった紙が地面に落ちた。僕はそれを拾うと乱暴に制服のポケットに突っ込み、男の人の後を追った。
男の人に案内されたのはすぐ近くの雑居ビルだった。怪しい建物に、僕は今さら心配になった。
ここで待つように、と殺風景な部屋に通された。男の人は奥の扉から出ていった。これから一体、何が始まるのだろう。そもそも小学生を体験するとはどういうことなんだろうか。
ケータイの着信音が鳴った。塾からの電話だった。僕は無視して切るとケータイをポケットに突っ込んだ。現実を忘れられるなら何でも良い。僕はそう思った。
さっきの男の人が奥の扉から出てきた。「お待たせいたしました。どうぞこちらへ。」
男の人は別の扉を示した。僕は扉に近づく。
「さあ、楽しい夏休みの幕開けです。どうぞ。」
僕は言われるがままにドアを開けた。
強い光に目が眩む。突然身体がうだるほどの熱気に包まれる。蝉の大合唱が頭を揺らす。どういうことだ。突然過ぎて状況が飲み込めなかった。しばらくして目が慣れ、やっと辺りを見回せた。
そこはビルの一室ではなかった。錆びた遊具が並ぶ小さな公園。周りに木が植わっていて、蝉がうるさく鳴いていた。頭上に天井はなく、真っ青な空から太陽光が降り注いでいた。傍らには男の人が平然と立っていた。
「これは……どういうことなんですか。」
僕は男の人に尋ねた。さっきまで僕たちはビルの中にいたはずなのに。
「どういうことって、ここは小学生時代の夏休みです。」
男の人はいたずらっ子のように微笑んでそう言った。だが僕には男の人の言っていることが理解できなかった。僕が何と言っていいか分からず、唖然としていると
「さて、行きましょう。」
と言って男の人はさっさと公園から出ていってしまった。僕は慌てて追いかけて公園を出たが、男の人の姿はなかった。公園の周りは住宅街で、新しい家が立ち並んでいた。車通りも人通りもなく、辺りは静かだった。とりあえず、男の人を見つけようと左手のほうへ進んでいった。
坂道がたくさんある街だった。アスファルトの照り返しが暑い。流れる汗を拭い、坂を昇りきると、すぐ目の前に駄菓子屋があった。古びた外観に懐かしさを感じた僕は入ってみることにした。狭い店内にはいっぱいにお菓子が並べられていた。店主はいないようで、誰もいない空間で扇風機が回っていた。僕は『150円』と書かれたケースからアイスクリームを取り出し、お金はカウンターの上に置いておいた。
店の前でアイスクリームを食べた。火照った身体が冷やされていくのを感じた。小学生ぐらいのときにはよく祖母と駄菓子屋に行ったなあ、等と考えていた。そんな考え事をしていると
「こんにちは」
という声がした。驚いて振り替えると、男の子が一人立っていた。年は小学生ぐらいだろうか。どこか見覚えがあるような気がしたが、おそらく気のせいだろう。
「おじちゃんいた?あたり交換に来たんだけど。」
男の子が言った。多分駄菓子屋の店主のことだろう。手にはアイスクリームの棒を持っていた。
「いや、いなかったよ。」
僕がそう答えると
「そっかぁ。」
と男の子は残念そうに呟いた。その様子を見た僕は
「君、一人?僕が一緒に遊ぼうか?」
と咄嗟に言った。自分でも何でこんなことを言ったのか分からなかった。でも
「いいの?やったー!お兄ちゃん、遊ぼう!」
と男の子が眩しい笑顔でそう言うのを見て、どうでもよくなった。
僕は男の子に連れられて、いろいろなところを走り回った。雑木林の中、田んぼのあぜ道、狭い裏路地。溜め池ではザリガニを釣ったり、蝉を捕まえようと奮闘して結局逃げられたり、高台にある神社の境内から街の景色を眺めたりした。こんなに気持ちが自由で、晴れやかで、開放的になったのは久しぶりだった。心の底から笑うことができた。それはまさしく、何も縛られることのない、小学生の夏休みに戻ったみたいだった。
男の子は彼のおばあちゃんの家に招待する、と言った。僕は遠慮したが、男の子が何度も誘ってくれるのでお邪魔することにした。
彼のおばあちゃんの家は立派な日本家屋だった。男の子は僕に、縁側で座るように言って、家の奥に消えていった。家の中はしんとしていた。
しばらくして、男の子はお盆に切ったスイカを乗せて持ってきた。おばあちゃんが切ってくれたそうだ。そして二人、縁側に座ってスイカを食べた。何だか懐かしい感じがしたし、夏を満喫しているようでとても嬉しかった。次は何をして遊ぼうか、と考えている自分がいた。スイカを食べてから、男の子とお喋りをした。話の途中で
「ちょっと待ってて。」
と言って、男の子は不意に家の奥へ走っていった。
僕は手持無沙汰になり、辺りをぼんやり見渡していた。そしてなんとなくポケットに手を入れた。手に何か紙のようなものが当たって、何だろうと思って引き出した。それを見たとたん、胸がキュッとした。
それは、僕がビルに入る前にいた夕暮れの公園で見ていたもの――模試の成績表だった。見たくはなかった。現実に引き戻されたくなかった。でも、それが現実だった。急に蝉の声が遠くに感じられた。その模試の結果は最悪だった。成績はこのところ下がるばかり。無理もない。将来の夢も、志望大学もないのだ。何のために勉強のするのか分からず闇雲にやったって伸びない。それは分かっているのに、自分のしたいことは見つけられない。両親にも塾の先生にもいつも厳しく叱られ、それが嫌で、塾にも家にも行きたくなかった。もう、何もかも嫌になった。
気がつくと僕は成績表を折り紙のように折っていた。手は勝手に成績表を紙飛行機に作り替えた。
飛ばしてやろう、と構えたとき、
「ねぇ、見て見て!」
男の子が明るい声を上げ、小走りでやってきた。僕は紙飛行機をそっと隠して男の子のほうを振り向いた。
男の子は手に模型の飛行機を持っていた。
「これね、お父さんが買ってくれたんだ。かっこいいでしょ。」
男の子は夢中でその飛行機について教えてくれた。彼の目は希望に満ちた光てキラキラしていた。男の子はその飛行機を飛ばしてみせてくれた。庭に降りて飛行機を投げる。飛行機は青空に舞い上がると弧を描いて帰ってきた。
「ねぇ、すごいでしょ。」
男の子は満面の笑みを見せた。
「僕、将来、飛行機の設計士になるんだ。」
曇りのない、彼の表情。
その笑顔を見たとたん、僕の中の何かが掻き消えた。現実ばかりに囚われて、自分の夢が何かも分からない。結局僕は自分の夢を叶える勇気がなかったのだ。本当にやりたいことをとことん追い求めていく。その大切さを彼は僕に教えてくれたような気がした。
それと同時に僕は自分が大好きだったものも思い出した。紙飛行機。昔、よくテスト用紙を紙飛行機にしては親に怒られていた。昔からどうやって折ったら遠くまで飛ぶか、何度も研究を重ねていた。あんなに夢中だったのに、どうして忘れていたんだろう。
僕は手にした紙飛行機をポケットに入れた。そろそろ帰らなければ、と立ち上がると
「やあ、いかがでしたか。」
という聞き覚えのある声がした。見ると、庭先にあの男の人が立っていた。
「もう帰ります。……じゃあね、僕、帰るよ。」
僕は男の子を見た。男の子は
「また来てね。」
と言って笑った。
その笑顔は僕によく似ていた。
気がつくと僕は夕暮れの中、もといた公園のベンチに座っていた。長い時間を過ごしたように感じたのだが、少しも日は傾いていなかった。
さっきまでのはなんだったのだろう。夢だったのかもしれない。しかし、ポケットには
紙飛行機に折られた模試の成績表が入っていた。僕はそれを丁寧に開くと、鞄に入れ、立ち上がって歩き出した。
これから僕は変わる。設計士になるため、勉強する。目標は昔の僕に教えてもらった。あとは今の僕がどれだけ頑張るかだ。
見上げた空には綺麗な飛行機雲ができていた。
夏が終わる。僕の夢はこれから始まる。
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