捜査編①――仲違い


「まったく酷い有り様だね」


 破片の山に向かって屈み込んだアミメキリンの背後で、自身のスケッチブックに現場のイラストを書き込みながらタイリクオオカミが言った。

 鬱蒼と草木が生い茂る広大なジャングルのとある一角。断崖絶壁とも呼べるべき切り立った岸壁の頂上に位置する広い平原は、分厚く垂れ込める鉛色の雲によって日中にも変わらず暗い影を落としている。時折吹き抜ける風はひんやりと湿気を含んでおり、いつ降りだしてもおかしくないといった塩梅だ。

 アミメキリンはゆっくり頷くと、改めて手に取った破片の一部を見つめる。


「ええ。なんせ、もとの形が分からないくらいバラバラにされてますもんね」


 立ち上がり、改めて現場の様子を確認する。

 二人は今、アルパカカフェの建つ大きな草原の一角。大きなカップの描かれた広場の真ん中に立ち、原型を留めないほど広範囲に散乱した大小様々な破片の山を前にしている。

 日光を遮られ、着色されていない木の破片は草原の緑に対して黒々と――言い方は悪いが、まるで血が飛び散ってるみたいで嫌だった――目立っており、あまり気持ちのいい光景ではない。誰かに壊されたものだと思えばなおさらだった。


「……よくわかんないですけど、うっかり壊してしまったって感じじゃないですよね、これ」

「そうだね」


 タイリクオオカミがスケッチの手を止める。近くをうろうろしていたラッキービーストが破片を踏みかけたのを、そっと手を出して阻止する。


「普通に倒しただけならもっと破片はまとまって落ちてるはずだ。にも関わらず、破片は広範囲に撒き散らかされている。勢いよく倒したからだろうね。おまけに大きな破片も小さな破片もバラバラに混ざりあってる。このことから察するに……」

「わざと倒して壊したあと、さらに破片を蹴りとばした」


 向きを変えて去っていくラッキービーストをちらりと見やり、アミメキリンが言葉を引き継ぐ。手に取った破片をそっと地面に下ろす。タイリクオオカミが頷いた。


「……おそらく相当な悪意があったと見ていいだろうね」

「気分が悪くなってきました……」


 髪の毛をかきむしって腹立たしさを飲み込んだ。


「犯人が何を思ったのか分かりませんけど……大切なものを壊すなんて卑怯です」


 理由がどうであれ当人ではなくその持ち物にあたるなんて、間違いなく許されないことだ。みんなの楽しい気持ちを台無しにして、破壊者はさぞ溜飲を下げたことだろう。

(……そして)

 アミメキリンはちらりと視線だけを周囲に巡らせた。二人から距離をおいたところに並ぶフレンズたち。皆それぞれ、思い思いの様子でアミメキリンたちの様子を見ている。ときおり横の者を窺うように盗み見て、うっかり目が合えば気まずそうに目をそらす。もしくは敵意を剥き出しにして睨み合う。そうやって誰も言葉を発しないのがひどく異様だった。互いに含むところがある。そう確信できるだけの怪しさがあった。

(そして、その犯人は未だ近くにいるかもしれない……)


「ちょっと二人で何こそこそ話してるのよ。待ちくたびれちゃったんですけど」


 アミメキリンの背後から苛立ち混じりの声が近づいてくる。声を追って振り返ると、ショウジョウトキがつかつかと歩み寄ってくるところだった。朱色の翼がいつもより赤く見えるのは、怒りを含んでいるせいか。


「ロッジに探偵がいるって聞いたからはるばる連れてきたのに、カフェに着いてからずっと二人でしゃべってばっかりで。いい加減にしてほしいんですけど」

「いや。これは申し訳ないことをしてしまったね」


 タイリクオオカミがすまなさそうに笑ってみせる。


「犯人を見つけ出すためにも、状況をちゃんと把握しておかないとと思ってね」

「まあ、それならいいんですけど」


 ふん、ショウジョウトキが不機嫌そうに鼻を鳴らす。ロッジアリヅカへ依頼をしに来てからカフェに着くまでのあいだ、ずっとこの調子だった。終始機嫌の悪いショウジョウトキにもいつものペースを崩さないタイリクオオカミの度量には本当に頭が下がる。


「で、犯人は分かったの?」


 アミメキリンが苦笑していると、唐突にショウジョウトキが尋ねてきた。


「えっと。ま、まだよく分からないかしら。もっと事件が起こったときの様子を調べてみないと」


 しどろもどろに応えたアミメキリンをショウジョウトキがため息を吐く。失望したと言わんばかりのあからさまな態度に、アミメキリンはむっと口許を歪めた。思わず言い返しそうになるのを、なんとか飲み込んで笑顔を作る。


「さすがにこれだけじゃ分からないわ。よかったら事件が起こったときの様子を教えてくれないかしら」

「別にいいんですけど。でも、そんな必要はないかもしれないわね」


 ショウジョウトキの言葉の意味が掴めずにいると、彼女は背後を顎で指し示した。ロープウェイ乗り場とそこに停められたゴンドラが見える。アミメキリンたちが登ってくるのに使用したものだ。


「だって犯人はスナネコに決まってるんですもの」


 はあ? と並び立つフレンズたちの中から声を荒げて飛び出してくる影があった。ショウジョウトキに掴みかかろうとしたのを、アミメキリンが慌てて間に入って制止する。


「お、お、お前なに言ってんだ! どーしてスナネコが犯人なんだよっ!」


目深に被ったフードをふるふると怒りに震わせながらツチノコが叫ぶ。ショウジョウトキが呆れたようにため息を吐く。


「そんなの決まってるんですけど? カフェに来たお客さんの中で、あの子だけ姿が見えないからですけど」

「それはあいつが先に帰ったからだよ!」

「せっかくここまで来てすぐに帰るなんてますます怪しいんですけど」

「そーいうヤツなんだよ、あいつはァ!」


 ツチノコの怒りに任せて声を張り上げる。当のショウジョウトキは涼しい顔をしており、まるで意に介していないと言わんばかりだ。

 このままではらちが明かない。そう思ったのだろう。ツチノコはワナワナと肩を震わせながら、突き付けるようにフレンズたちの方へ指をさした。


「そもそもスナネコを疑う前にだなっ! 一番怪しいアメリカビーバーを疑ったらいいだろうがよっ!」

「え……あ、うぅ……」


 八つ当たり気味に名指しされたアメリカビーバーが弱々しく後ろへ下がりかける。それを庇うようにプレーリードッグが間に割って入る。


「なぜでありますか! ビーバー殿は木像を作った張本人でありますよ! わざわざ壊す必要がないでありますぞ!」

「張本人だからこそ怪しいんだろーがよ! 知ってるんだぞ! アメリカビーバー。あの像の出来具合に不満があったそうじゃないか。もっと納期が長ければよかったってさっき呟いてたの、おれは聞いたんだぞっ!」

「そんなこと……。言いがかりであります! ビーバー殿もそう言うであります!」

「うええ……そ、そのぉ」


 さあっ、とプレーリードッグがアメリカビーバーの促す。アメリカビーバーが弱々しく頷く。


「実を言うとおれっち……。自分が犯人なんじゃないかなって思い始めてきたっす。無意識のうちに壊しちゃったんじゃないかなって……その……」

「どこまでビーバー殿は気弱なんでありますかァ!」


 プレーリードッグが呆れて首を振る。


「とにかく。私はビーバー殿が犯人じゃないって信じてるであります! そんなことをするような悪人じゃないのは私が一番よく知ってるでありますから」

「プレーリーさん……」


 どんと胸を叩いて言って見せたプレーリードッグに、アメリカビーバーが身を寄せる。イライラしげに見つめていたツチノコがふんっと鼻をならして腕を組む。


「じゃあ誰が犯人だって言うんだよ。そいつはやったかもしれないって自白したんだぜ。それ以上に怪しいヤツがいるのかよ」

「当然いるであります」


 プレーリードッグが後ろを振り返り、フレンズの一人を指差した。


「それはヘラジカ殿。あなたであります!」

「私がか?」


 どうして名指しされたか分からないと言うような顔をして、ヘラジカが首を傾げる。


「どうして私が犯人だと言い張るんだ?」

「像が壊される前、ヘラジカ殿は原っぱで武器の素振りをしようとしてビーバー殿に怒られてたであります。その腹いせに、ビーバー殿の作品である像を壊したんでありましょう」


 プレーリードッグの推理を聞き、ヘラジカが声を上げて笑う。さすが森の王者と言われるだけあり、他のフレンズたちに比べて余裕が違う。


「面白い考えだなぁ。だが、私はやってないぞ」

「やってないって証拠はあるのでありますか」


 ずい、とプレーリードッグがヘラジカへにじり寄る。身長の違いから、ヘラジカの喉元へプレーリードッグの顎先が突きつけられるような形になった。


「やってない証拠はないかな。誰も見ていなかったんだしな。だけど私は本当にやってないぞ?」

「そんなの信用できないでありますね! どーせいつもみたいに後先考えないで壊したに違いないであります!」


 嘲笑するようにプレーリードッグがヘラジカの胸を指で突く。よろめくヘラジカ。追撃を掛けようとしたプレーリードッグだったがしかし、するりとヘラジカの後ろから表れた腕に捕まれ阻まれた。


「口の利き方に気をつけろ。プレーリードッグ」


 低く唸りを滲ませたライオンが掴んだ腕を捻り上げる。相当な力で掴んでいるらしい。プレーリードッグが身もがく間もなく地面にねじ伏せられる。「プレーリーさん」思わず飛び出しかけたアメリカビーバーを、ライオンは鋭く睨み付けて制止させる。


「お前もヘラジカを疑ってるのか」

「おれっちは……その、わからないっす……」

「疑ってるのか、そうじゃないのか。答えろ!」

「そ、そんなに必死になるところがますます怪しいであります! やっぱり犯人はヘラジカ殿に違いないであります!」


 地面に顔を押し付けられたままプレーリードッグが叫ぶ。ライオンの目の色が変わったのは気のせいではないはずだ。


「……その減らず口、今すぐ効けなくしてやる」


 静かに言い放ち、空いてる方の手を上に振り上げる。その真下には血相を変えてもがくプレーリードッグのうなじがあった。爪先が光を放つ。周囲にどよめきが走る。やめろ、という声は数人分。とっさに飛び出したアミメキリンが、振り下ろされた腕を掴めたのはほとんど偶然だった。


「お願い。やめて」


 掴み止められたにも関わらず、なおも凶器を振り下ろそうとして力を込めるライオン。それをアミメキリンは引き戻す。体格も手伝って、単純な力比べならアミメキリンのほうが強い。


「プレーリードッグも気が立ってるの。お願い。許してあげて」

「こいつはヘラジカを侮辱した。許せるものか」

「私からもお願いだ」


 そう言い、ヘラジカがライオンの顔を覗き込む。ライオンの目から野生開放の光が収まる。プレーリードッグを手放し、困惑したようによろよろと後ろへ下がる。

 

「私は、私は。その、そんなつもりじゃ……」

「安心しろライオン。私は大丈夫だ」


 振り下ろしかけた腕を見つめてライオンが呟く。そんな彼女を安心させるようにヘラジカが抱き寄せた。

 ライオンの拘束から逃れ、プレーリードッグが這う這うの体でタイリクオオカミの足にすがり付く。


「タイリクオオカミ殿。今のを見たでありますよね! 間違いないであります。犯人はヘラジカ殿であります!」

「何を根拠にヘラジカが犯人だと言うんだい」


 タイリクオオカミが表情を変えずに尋ねる。プレーリードッグが憤りながらライオンを示した。


「さっきのを見てなかったでありますか! ライオンがあんなに必死になると言うことは、ヘラジカが犯人だと言うことであります! そうに違いないんであります!」

「今のは君が単に怒らせただけのように見えたけどね」


 タイリクオオカミはあくまで冷ややかだった。戦々恐々とする周りのフレンズたちを一通り見渡して、再び彼女に視線を戻す。


「ここいらで一つ冷静になったらどうかな。実際に像が壊された瞬間は見ていないんだろう?」

「でも、でも……このままだとビーバー殿が犯人にされてしまうであります……。そうなったら自分はどうしたら……」


 駆けつけてきたアメリカビーバーに支えられて、立ち上がったプレーリードッグが弱々しく漏らした。手をとったアメリカビーバーが辛そうに視線を落とす。


「誰かを犯人だと言い張るなら、それだけの根拠が必要なんだ。いいかい」


 タイリクオオカミの言葉にとりあえず頷いたプレーリードッグだったが、すぐに顔に不安をにじませる。


「でも。なら、一体誰が犯人なんでありますか……?」

「……トキだろう」


 ヘラジカに抱かれたまま、ライオンがぽつりと呟いた。全員の視線が集まるのに、おい、とヘラジカが渋面をつくる。ヘラジカの手を振りほどいたライオンが前へ出る。唖然とするトキを真っ向から睨み付けた。


「アメリカビーバーに紅茶をこぼされた。それを恨んで像を壊したんだろう」

「そ、そんなことしてないわ……」

「トキの言うとおりよ! この子は何もしてないんですけど!」


 ショウジョウトキがトキとライオンとの間に割ってはいる。


「トキは何もしてないわ。やったのはスナネコなんですけど!」

「ふざんなよぉ! やったのはビーバーだ!」

「ライオンであります!」

「トキがやったんだろ? わかってるんだぞ」


 ツチノコ、プレーリードッグ、ライオン、ショウジョウトキ。おのおのが声を荒げで掴み合い、互いの親友に向かって犯人だと指をさして糾弾し合う。当事者がオロオロと行く末を見守っている。

 あいつがやった。動機はこれだ。言い争う声で現場は一気に騒然とする。騒動の輪から離れたところであっけにとられていたアミメキリンが、隣のタイリクオオカミに耳打ちする。


「先生……。これはいったい」

「事件が起きたときの状況がよく分からないが、おそらく全員が全員に思い当たるものがあるんだろうね」


 タイリクオオカミがスケッチブックから顔をあげる。


「とにかく、みんな感情的になりすぎてる。誰か落ち着いて話をできればいいんだけど。――おや?」


 収まる気配のない喧騒を眺めていたタイリクオオカミがふと首を傾げる。視線を追うと、口論をするフレンズたちの向こう側にカフェの姿があった。太陽が顔を出していないせいか、どこか暗い印象を受ける。そのカフェのちょうど現場を一望できる位置にある窓に人影が見えた。

 明かりの消えた室内から外の喧騒を眺めていたアルパカは、アミメキリンたちの視線に気づいて小さく笑みながら頭を下げる。薄暗いせいか、その表情にはどこか陰鬱としたものが感じられた。


「あれはたしか、アルパカ?」

「のようだね。丁度いい。彼女はここのカフェの店主だ。ようやく落ち着いて話ができるかもしれない」


 言ってタイリクオオカミは、ヘラジカたちの方へカフェに行く旨を伝えると、そのまま玄関へと向かった。そのすぐあとをアミメキリンが追いかける。フレンズたちの喧嘩を興味深げに見つめていたラッキービーストの群れが左右に割れて道を開ける。キョロキョロと二人と喧嘩を見比べるその姿は、まるでどちらについていこうか迷っているようだった。



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