第21話 チョコレート革命?
要領を得ない顔をしながら一時退室したガワディ氏が、20分ほどで戻ってきた。一緒にワゴンが持ち込まれる。
ワゴンの上にあるのは、温めたミルクと、一口大にして切り分けられ串が刺された食パン、そして。
「カカオ、でごさいます」
どろりとした濃褐色のペーストが、小さなボールの半分ほどに入っていた。
前述のメディセア条約の高級品目の中に、カカオが含まれていたのだ。ただし、薬品として。
レミは別に添えられた小皿にフレイル氏の持ち込んだ砂糖菓子を三個おいて、スプーンで崩す。そこにドロリとしたカカオペーストを少しずつ混ぜていく。スプーンで良くかき混ぜて、少しずつミルクを足して伸ばしていく。少し粘りのある液体くらいのペーストにして、別のスプーンに少量乗せて味を見る。
それから、串刺しの食パンに、そのペーストを絡ませ、別の皿に置いていく。
「どうぞ召し上がって?」
レミに勧められ、まずは材料を準備したガワディ氏が、串を手に取る。
「え……これは? これが、あのカカオですか?」
「ええ。甘くて食べやすいでしょう?」
「はい。薬効があるのは知っておりましたが、これは……しかも、この量ならば、それほど体に影響はないでしょうし」
「慣れないうちは、せいぜい2口程度にしておいた方が良いでしょうけど。それと」
今度は温めたミルクをカップに注ぎ、先ほど作ったカカオペーストを一匙入れて、そのままかき混ぜる。
白いミルクがやがて淡い褐色に変わる。
「女性はこちらの方が好みかもしれません。カーマさん?」
カーマさんがうなづいて、カップを手に取る。
一瞬見つめて、それから優雅にカップを口に運び。
「……美味しい。甘いのに、ほのかに苦味があるけれど、それがなお甘味を引き立てるわ」
ガワディ氏とカーマさんの反応を見て、テーブルわ囲む全員がカカオペーストを着けた食パンとミルクを口に運び。
「……レーミ=ナロン様! これを! この製法を、ぜひ我がハインリヒ商会にお譲り下さい! お願いいたします!」
「あら、どうしましょう? カカオは貴重ですし、ガワディさんだから準備できたと思いますよ?」
「いえ! 当店でも取り扱っております! カカオはフットレアの特産品ですから!」
うん、知ってた。というか、たぶんそうだろうな、と思ってた。
南アメリカ大陸に相当する地域がないこのイリル・ガードでカカオが手に入るということは、おそらくアフリカ大陸に相当する南方地域だろうと当たりをつけて。
そうなると、南大陸の三分の一を治めるフットレアか、その近隣国が生産地の可能性が高い。でなければ、メディセア条約に品目として明示されるはずもないし。
カカオは、チョコレートやココアの原料ではあるが、同時に歴史的には薬としての一面がある。
というか、現代だって、ポリフェノールの効用を前面に押し出す商品があるくらいだし。
カカオの薬効は様々だけど、ガワディ氏の反応を見ると、やはりレミが望むのに難色を示されるものらしい。
つまり、媚薬、として扱われているのだ。
過去世で仲のいい薬剤師から聞かされた話だけど、カカオには血管を拡げて血流を良くする作用と同時に、興奮を促す作用もあって、ようは幸せホルモンが出やすくなる、らしい。
一方で、高カカオの製品を多量摂取すると、妙にハイになるだけでなく、一部アレルギーや基礎疾患によっては症状が悪化することもあるので多量摂取は厳禁、と言っていたのを思い出した。
(まあ、精製糖もそうだけど、何事もほどほどが大事ってことよね)
そんなわけで、嗜好品というより薬品としての側面が強いカカオであり、貴重とはいっても精製糖に比べたら普及している。
だって、聖堂にもあったし、カカオ。
誰かのお土産だったと思うんだけど、幼いレミが訊いたら、巫女達が言葉を濁していたので、ローに訊いたら苦笑(イメージ)された。
だけど、もったいない!
せっかくチョコレートの原料があるなら、お菓子に進化させて欲しい。
過去世でも実はチョコレートホリックだったレミ、高価な精製糖とカカオが出会ったこの機会を逃すまいと、珍しく行動してみた。
さすがにカカオの発展的加工の技術はレミにはないけれど、嗜好品として上流階級で広まれば、きっと誰かがやってくれるはず。
(退魔師は長生きだし、きっと生きているうちには一般社会にお菓子として認知されるくらいにはなるわよね。そうしたらチョコレートが普通に食べられるようになるかも)
あまり過去世の知識を悪用……もとい活用するのはどうかと思うが、まあ、そこまで自分に影響力も実行力もないと思うし。
きっかけくらいは与えてもいいんじゃないかな、と、下心満載の行動を正当化して。
「けれど、この方法だと、単に商品として販売するのは難しいのではなくて?」
「それは……」
焙煎されたカカオをすりつぶし、ペースト状のカカオマスにして、砂糖を混ぜる。
行程としてはこれだけだが、この世界の輸送状況や食品保管技術のレベルを考えると、ハインリヒ商会で取り扱いできるのは、乾燥状態のカカオまでだろう。
ここに出されているジャムも、過去世で食べていたペースト状になっているものではなく、もっと糖度の高い保存食だ。
だからこそ流通できるが、カカオペーストにそこまでの保存性はないと思う。ジャムに比べたら、砂糖の使用割合も違うし。ミルクも入っているし。
「材料をハインリヒ商会で取り扱っているのならば、それをどこか、上流階級の皆様のお口に入る場所へ優先的に提供する、というのはいかが? 今回は試しに合わせてみましたけど、それぞれのバランスをもっと考えて、皆様のお口に合うように調整できるような技術と舌を持った料理人のいるような……ね? ガワディさん?」
カカオの利用方法上、需要は夜に集中するが、カカオを焙煎して飲みやすいようペースト状にするまでには、結構な、それこそ数時間単位の時間がかかる。
こんなこと何故知っているかと言うと、チョコレートホリックなレミの過去世のシロイシ・リズ、生カカオ豆からチョコレートを作ってみたことが一度だけあるのだ。滅茶苦茶大変で、もう二度とはやりたくない、と思ったけど。
今回ガワディ氏が用意してくれたものは、その時作ったペーストよりも、ずっと品質が良い。
「……製法を、公に広められる、ということでございますか?」
「広めるも何も、すでに技術としてはあるのでしょう? 単なる組み合わせ、というだけで。ただ、ここまで滑らかなペーストに仕上げるには、技術が必要でしょうけど。すでにあるものなら、それを活用した方が良いのではないかと思っただけですわ。結果的に需要が高まれば、ハインリヒ商会にとっても損はないでしょう?」
「……考案は、ハインリヒ商会、として広めてよろしいのでしょうか?」
「ええ。わたくしは、あまり目立つのはどうかと思いますし。それに、これからもテプレンに来た時にこれが味わえれば満足ですわ。ねえ、クリックさん、わたくしが、次にテプレンに来た時は、どちらの宿を紹介していただけるのかしら?」
「わたくしどもといたしましては、レーミ=ナロン様のご不興をいただかない限りは、今後も慣れ親しんだ宿を手配させていただきます」
クリック氏、心得たとばかりに、笑顔でそう述べる。
「不興だなんて。わたくし、とても気に入っていますのよ。こちらの、『白影の青葉亭』が、ね」
「……わがハインリヒ商会は、カカオと白砂糖を『白影の青葉亭』に優先的に納入させていただきます」
「そう? ガワディさん、あとの手続きはおまかせしてもよくて? ……ああ、もし、ご迷惑ならおっしゃって? もし、こちらの損になるようなことになってしまったら、わたくし、悲しくて、思いがけないことを口走ってしまうかもしれないわ」
恭しくうなづくガワディ氏を気遣うように、レミはさも悲しげに告げて、チラッとフレイル氏に視線を送る。
優先的に納入すると言っておいて、価格を吊り上げたり、その他不当な対応をすれば、例の『白砂糖は体に悪い』説を『うっかり』口にするかも、と。
レミの言外の脅しを的確に読み取って、フレイル氏、焦りながら宣言する。
「ええ、もちろん、優先的に、かつ、色をつけさせていただきます! 決して! ですから、どうか……」
「あら、わたくし、何も知らなくてよ? カカオを美味しくいただけるうちは、食べるのに忙しくて、余分なお話をする暇はないでしょうね、きっと」
『……レミ、顔が悪役になっている』
(失礼な! 腹芸も退魔師に必要だって言ってたじゃない?)
『単に食い意地が張ってるだけな気がするけど……』
かくして。
とりあえずテプレンにきたら、レミはチョコレートを堪能できることになり。
色々探りをいれてきたフレイル氏にも完全にイニシアチブをとり。
権謀術数の昼餐は、無事閉幕した。
(この後、カーマさんが、ものすごくカカオにはまってしまったのは……まあ、ある程度想定内?)
未来の話。
引退予定だったガワディ氏、『白影の青葉亭』の経営からは一歩退いたあと、上流階級向けのお菓子開発の指揮を取ることになり。
レミの思惑通り、数々の美味しいチョコレートを産み出した。
後年、世界中に広まったチョコレート菓子の元祖として『白影の青葉亭』の名が伝えられ。
けれどそこに、新人退魔師が関わっていた史実は、みられない。
ただ、カロナー島の聖堂へのお土産にはチョコレートが喜ばれる、という不文律があるらしい、余談である。
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