第10話 成人の祝宴

 レミが15歳になった。

 毎年恒例の年越しの宴は、レミの成人を祝うため、いつにも増して豪勢になった。


 近隣の島で放牧されている若い牛を丸ごと仕入れて作った、肉の柔らかな丸焼きだとか(いつもは鹿や猪などの野生の獣か、乳が出なくなった老いた乳牛なので肉が固い)、チーズソースのたっぷりかかった温野菜やパン(上からチーズをかけたチーズフォンデュみたいなもの)、高価な砂糖が使われた焼菓子だとか(時期的に生フルーツはなかったが、その分砂糖漬けのリンゴや桃が添えられていた)。


 その他、帰郷した退魔師のみんながお土産に持って帰って来てくれた珍しい燻製や塩漬け、菓子類が山と並び(当然のこどく様々な酒も並んでいる)。

 島国なので、普段は魚が主な食卓で、肉類や製造量の少ないチーズは滅多に食べられない御馳走である。


 御馳走に囲まれ、成人を証す生年の刻まれた木札を胸にさげ、皆から祝いの言葉をもらいながら、時々木札の凹んだ紋章部分を撫でる。

 ずっと聖堂で保管されていた木札は、経年による色素沈着はあるものの、カビも木割れもなく、丁寧に保管されていたことがわかる。この後、再び聖堂で保管されることになっている。


 木札には生年は刻まれているが、誕生日はない。

 そもそも、この世界には誕生日という概念はない。


 出産場所が教会の近くであれば神官が、そうでなければ村長などの地域のコミュニティの長老などが立ち会い、木札に産まれた子供の名前を記入し、両親が署名し拇印を押す。

 都市部から離れれば離れるほど識字率が低くなるこの世界では、自分の名前を書けないものも多い。なので、信頼できる立場の人間(神官や長老など)に代筆してもらう。代筆者もその旨を添え書きし署名する。字が書ける者は自分で署名もすることも可能だが、必ず拇印を捺印することが求められる。この場合は、本人の署名であることを添え書きする。


 正規婚での出産でない場合は、孤児を引き取る旨と、養親の署名捺印を並記する(前に聞いたように、非正規婚の夫婦では認められないため、主たる引き取り手が単独で署名捺印する)。

 次の新年礼拝で提出することで出生が認められる。

 この礼拝が、その子供の洗礼式を兼ねている。


 提出し、教会の戸籍に転記したあと、木札は聖火にくべられ、その子供は正式に出生が認められる。教会の戸籍は厳重に保管され、登録を証明する教会の紋章が刻まれた木札が渡される。通し番号も刻まれており、その後裏面に子供本人の名前と拇印を捺印することで、これが身分証明書となる。

 また、その場で神官から、子供達に1歳になった祝詞が与えられる。春産まれも夏産まれも関係ない。実際の月齢ではなく、新年礼拝の時に登録された時を起点に年を数え始める。

 昔の日本でも数え年、という正月を起点にする年齢の数え方をしていたが、ほぼ同じと考えてよい。

 

 木札に両親や養親の署名捺印がない場合は、木札に礼拝の年を記入し、そのまま保管される。この子供達は孤児になる。その後養子縁組が決まれば、次の新年礼拝で戸籍に登録され木札は聖火にくべられるが、そうでなけば木札のままずっと教会の一室に保管される。成人した時には、その者の所有権を持つものに木札が譲渡される。木札はかさばるので、大抵の所有者は薪がわりに燃やしてしまう。こうなると、もはや本人を証明するものが何もなくなってしまう。

 

 妖霊憑きとなって戸籍を削除された場合は、まず戸籍に取り消し線が引かれ、削除した年と削除理由が添え書きされる。

 本人の持つ登録証明の木札は、教会の紋章が削り取られるが、そのまま本人が持っていてよい。

 カロナー島に引き取られると、この削られた場所にカロナーの聖堂の紋章を刻む。

 なので、ブルフェンの木札は、紋章部分全体が陥没して、凹形になっている。


 木札を持ち出す時に巫女に同行し、他の人の木札も目にしたが、自分以外の木札の一部が黒く染まっていた。経年劣化ではなく、染料で染められた黒さである。

『成人になって、島を出る時に必要な旅行手形を作るために染めたんだよ。インクを塗って、羊皮紙に紋章と通し番号を写し取って作るから、手形を作った木札はみんな黒くなるんだ』

(わざわざ羊皮紙に写し取るなんて、旅行手形ってお金かかるのね)

 羊皮紙の値段は正確には知らないが、聖堂にある地図や本に使われていて、講義で閲覧する時も、高価だから取り扱いに気を付けるように、始めに注意されたのを覚えている。


『まあ、木札の亡失や破損を防ぐために代わりに携帯する手形だから、ある程度金銭に余裕がないと作れないよ。だからほとんどの人は、旅行手形でなく木札本体を手形として持ち歩くし。信頼のおける保管場所の確保自体、普通は難しいからね』

(旅行手形を作るのに必要な羊皮紙って、いくらぐらいするんだろう?)

『うーん、最近の貨幣価値はよく分からないけど、多分、ガストリン銀貨1枚くらい、かな。でも、今はもう少し安くなっているかも』

 カロナー島があるコカル自治区に隣接する、ガストリン皇国の発行貨幣であるガストリン銀貨は、大陸の西半分で使用可能な国際流通貨幣である。

 銀貨100枚でガストリン金貨に相当する。その下の銅貨は、やはり100枚で銀貨に相当する。

 カロナー島で金銭の取り引きをすることがなく、相場がイマイチ分からないが、先輩退魔師たちが「将来旅に出た時の足しに」とここ5年の間に、おこづかい代わりにくれるガストリン銅貨が、もう100枚ほど貯まっている。

(お年玉と考えると、年にもらえる額が2万円くらいとして、全く使ってないから10万円くらい? おお! すごい! とすると、羊皮紙1枚で10万円くらい?!)

 先輩に見せてもらった旅行手形は、やや縦が短いA5サイズくらいだった。その用紙が10万円!


『いや、その「マンエン」って、よく分からないけど。銀貨1枚だと、サーシャがよくお土産に買ってくるカラコルが1本分くらいかな』

(えー、お酒1本? じゃあ、羊皮紙も高くて1万円くらいかな。……って、お年玉5年分で1万円? みんな意外とケチかも……)

『いや、あのカラコルって、王族御用達の最高級クラスだよ。ケチって言うほど安くはないと思うけど』


 後日談。

 カロナー島を出て、実際に金銭を使うようになってから、ガストリン銅貨10枚あれば都市部の4人家族の一月分の生活(主に食費)が十分賄えることを知った。

 ついでに、ローが言っていたように、相場が変わって、植物を原料とした紙の大量生産が可能になったこともあって、羊皮紙の相場は半減していた(つまりガストリン銅貨50枚ほど)。

 もっと少額の、イブ銅貨の存在も。イブ銅貨50枚で、ガストリン銅貨1枚に相当する。

 物価の違いはあるが、仮に5万円かかるとして、銅貨1枚5千円、10枚で5万円、100枚イコール銀貨1枚で……50万円!


 サーシャさん、なんて値段のお酒買ってくるんですか!それも、何本も!


 あと、退魔師の先輩方! 10歳そこそこの子供に、なんて額のおこづかい、渡しているんですか!



 ちなみに、講義にイブ銅貨の話が出てこなかったのは、単純に退魔師のみんなが使ってなかったからで。普段の買い物自体が高額なのと、少額の支払いでもガストリン銅貨1枚渡して、「お釣りはとっておいて」が常だったためである。

 確かに、退魔の仕事に対する報酬は、かなり高額である。正直、銀貨どころか金貨で支払われることもざらである。そんな高給取りの退魔師に反感を持つ者も多いが、その分市場に還元し、心付けもたんまりもらえるとあっては、そうそう嫌な顔はできない(と言うか、なるべくおこぼれを預かりたい者が増える)。

 退魔師の浪費は必要悪なのである。


 しかし、過去世ではコツコツ貯金して、離婚後は一生独身でも大丈夫なように適度に節約しながら生活していたレミには、この浪費体質に抵抗を覚えざるをえなかった。


 この金銭感覚になれちゃダメだ!

 いつか破綻する!

 私は慎ましく、節度を持って生きるぞ!

 

 と、レミは決意したが。


「退魔師は、払いがいい上客。心付けは当たり前」


 という世間の見方に逆らえず。

 イブ銅貨に触ることなく、過ごすことになるのは、さらに後日のことである。



 ……そんな未来が待っていることも知らず。


(羊皮紙1万円かあ、まあそこそこ高いけど、パスポートって思えばそんなもんかなあ。一生ものなら安いか)

 などと考えながら、豪勢な食事に舌鼓をうち、成人になったからと勧められた盃を何杯も重ね。


 銀貨1枚分の最高級カラコル1瓶(推定価格50万円)を空にしてケロリとしていたレミが、その適正な値段を知って(ついでに自分がサーシャを上回るザル体質であることを知り)、晴れの成人の宴は、レミの黒歴史になった。

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