第8話 目指せ美魔女?

「依頼人との潤滑なコミュニケーションが取れるように」修行が一段落したら、次の修行は、イリル・ガードの地理と歴史のお勉強だった。


 基本事項は、多少巫女達から教わってはいたが、現役退魔師から教わるのは、さらに深く細かい社会情勢やより安全な、あるいは効率的なルート選択に必要な陸路海路の知識だった。


 基本的に中立な立場の退魔師とはいえ、敵対国をまたぐような依頼を受けてしまうと、やはりよい印象を持たれないし、最悪スパイ扱いされる恐れもある。

 依頼を受ける時点である程度調整はしているが、広い大陸を横断している間に情勢変化することもある。

 退魔師への依頼は、各地にある教会で確認する(なぜか、教会に戸籍のない喪神人の組織なのに、依頼の仲介はしてもらえる。魔霊の騒動は教会の管轄外だが、心霊の騒動との見極めは教会が行うので、結果的に教会が扱うのが自然の流れになっている)。


 依頼を引き受けるかどうかは退魔師に一任されているが、どこの教会にも依頼が来ているわけではなく、依頼がなければ無職状態の退魔師がすることは、次に来るかもしれない依頼に備えて呪具の素材集めや錬成となる。


 よい素材や落ち着いて錬成ができる地場のよい場所を求めて旅をすることになるが、依頼がないままうっかり国境をまたいだら、敵対国からの入国だった、なんてことも考えられる。

 退魔師自身に危険が及ばない限りは、妖霊が魔霊以外に危害を加えることはないし、逆に国同士の人間の争いには戦力にもならないのだが、退魔師なんて得体の知れない連中が敵対国の密命を帯びて何をやらかす気か、と疑心暗鬼にかられた人間が存在するのも現実である。

 危機管理能力はもちろん、僅かな情報からでも危険予知できる観察力、状況判断力も踏まえての地理歴史学習なのである。


「正直さあ、前行った時には良好だったのに、次行ったら関係悪化してるなんて、たまにあるのよねえ」


 女性退魔師の最年長で、大ベテランのサーシャさん、二つ名『緋色のサーシャ』の通り、目も覚めるような緋色の髪に褐色の肌、オレンジがかった茶色の瞳の美女が、ウイスキーっぽい匂いの酒(酒類はワインかビールか日本酒くらいしかわからないシロイシ・リズの知識では見分けがつかない)を水で薄めて飲みながら、話してくれた。


 ……打ち上げではない、講義中である。


『あれは麦酒を木樽で熟成させたカラコルって酒だよ。古語で酒を表す「クウォ」を唯一神ラ・コールに冠して、「ラ・コールの酒」つまり「神の酒=クウォ・ラ・コール」って呼ばれたのが訛ったんだよ。かなり度数が高いから、消毒薬代わりに使えるので、本来禁酒の教会にも置けるし、保存しやすいから旅人も重宝するんだよね』

(いや、それは何となく分かるけど、今それを飲むのはどうなの?)

『だってサーシャはカロナーに帰ってくれば、いつでも飲んでいたじゃない? 退魔師は酒好きが多いけど、外じゃ自制しているから、つい羽目を外しちゃうんだよ』

(確かに、外では酔っ払ってうっかり守秘事項しゃべったり、醜態をさらしたりしないよう自制するのは分かるけど、だからって、一応講義中の、今、はどうなのよ!)

『いや、講義っていうか、どっちかと言うと、「先輩の苦労話と成功譚を聴かせてやるぜ、後輩!」の会、絶賛開催中なんじゃないのかな?』

(確かに……)


 この間までは真面目にコミュニケーション講座をしてくれていた他の退魔師の面々も、今は一緒になってグラス代わりの木や陶器のコップにカラコルの水割りを作って飲み初めてしまった。


 派遣されていた地域の関係で、皆より一便遅い船で帰還したサーシャは、「遅れて悪いねー」と言って講義をしていた聖堂の一室にやって来るなり、「これお詫びとお土産! レミの修行開始を祝して!」と、ぐるぐる巻きにされた布の塊を机の上に並べた。包みを開けば、中から現れたのは、3本の大きめの酒瓶。

 軽くなった荷物を床において、机の脇の空いていた椅子に腰掛け、「早速話を始めようか。まだ日も高いし、とりあえず水ちょうだい」と若い退魔師の男性を使いっぱしりにしていた。


 彼が木製のコップと共に、水で満たした陶器のピッチャーを運んできた時は、いくらなんでも多くない? 夏場ならともかく、初冬の今の時期に、喉を潤すためとはいえ、ピッチャーは多いでしょう? と心の中で突っ込んだレミだったが。


『甘いよ、レミ』

という、ローの声が届くか届かないかのうちに、サーシャは酒瓶を開封し、コップに半分程注ぎ入れ、一息に飲んだ。

「うっま! これ当たりだわ」

というと、今度は同じくらい注いで同量の水で割り……。

「みんなもほら! ビシャワール地方の銘酒だよ」と、振る舞い始めた。


「で、どこまで話は進んでるの?」

「あ、えっと、国境を越えるときは、最新の国際情勢を確認して、ってところまで……」

「ああ、なるほど。そうなんだよね。そうは言っても、なかなか毎度情報が入手できるとは限らないし、結構長くいい関係が続いていると、油断しちゃうこともあってね。正直さあ……」

と、先ほどのやり取りに至っているわけである。


「でも、そんなにすぐ国の関係性って変わるものなんですか?」

「変わらない時は数十年単位で安定しているけどね。小国だと盟主国の情勢に左右されることも多いけど、そういう背後の大国が動く時は逆に情報が入りやすいよ。困るのが、国単位じゃなくて国境際の地方領主同士が小競り合いしているとか、秘密裏に小国が同盟国乗り換えようとしている時とか、分かりにくい。この間も、久しぶりに行ったら領主が世代交代して、血縁関係なくなったとたん離反してて。まあ、30年ぶりに行ったんだけどね」

「さ、30年?」

「ま、どっちかは世代交代してるよね、そのくらいたてば。自分の感覚だと、ほんの10年くらいな気がして油断したよ」


『緋色のサーシャ』は、確かに大ベテランの退魔師ではあるが、妖艶な美女である。やや年はいってる……正直年増、と言えばそうだが。

 緋色の髪は艶やかで、少し酔って潤んだ瞳は扇情的な色気に満ちて、肌は10歳のレミには劣るものの、まだまだ潤いに溢れ、唇はぷっくり肉感的で。

 首から下も、まだまだしっかり、ボンキュッボンッで、正直過去世のシロイシ・リズよりも女性的魅力に溢れている。


(サーシャさんて、年いくつだっけ?)

『知らない。レミが島に来たときには、もう今の姿だったと思うけど。でも、妖霊憑きは長生きだから』

(長生きなのは知ってる。最長老様は年明けたら180歳の節目だって言ってたし)

『あ、そう言えば、ネオ・ブルフェンの位を最長老が受け継いだ時にサーシャが一人立ちしたって聞いたかも』

(それって、長老様が120歳の時じゃないの? ……てことは、60年前に15歳? 75歳?! サーシャさんて、超美魔女?)

 最長老始め、聖堂の長老面々は、ご老体なだけに気にしてなかったけど、実はかなり長寿である。

 ちなみに聖堂の長老格に就けるのは、退魔師だけである。

 一番年下でも、100歳くらい……あまり気にしていなかったが、よく考えたら長老=元退魔師で70歳代や80歳代はいない。

 ……つまり、そのお歳で、まだ現役ということである。


(え? 待って? もしかして長寿だけでなくて不老長寿なの?)

『いや、老化はするでしょう? 成人までは他の人間と変わらないけど、老化が遅い……というか、ピークが長いんだよ、妖霊憑きは。特に退魔師は、魔術錬成で五元素の気を取り込むせいか、他の妖霊憑きよりもその傾向が強いと思う。退魔師引退すると、老化が早くなるから。それでも普通の人間よりはずっとゆっくりだけどね』

(てことは、私も?)

『ある程度成長しきれば、あとは数十年若さを維持できると思うよ』


 なんてこと! カロナー島の巫女や下働きの女性陣は若くて美人が多いなあ、と何気なく思っていたけど、皆美魔女と美魔女予備軍だったとは!

 これは、今後の努力次第では、いつまでも若い分、玉の輿に乗るチャンスも倍増? なのでは。

 内面はしっかり磨いて、焦らず男の本性を見極めて、今度こそ後悔のない結婚もできるかも?

 よし、目指せ! 美少女退魔師から美魔女セレブへの転身!

 心の中でガッツポーズを取ったレミに、ローの冷静な声が響く。



『あのさ、レミ。喪神人ブルフェンは、戸籍がないから、正式な結婚出来ないからね……』

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