『あの顔で、トカゲ喰らうか・・・・』

冷門 風之助 

第1話 act1

 はっきり言おう。俺はその年の八月、金に困っていた。

 俺の名前は乾宗十郎(いぬい・そうじゅうろう)、職業は私立探偵である。

 当然ながら、探偵はフリーランスだから、いつも仕事があるわけではない。

 そうなれば、懐の中だって、潤っていることもあれば、もう完全に『危険信号が鳴りっぱなし』ということだってある。

 今が正にそうだった。

 銀行預金には、一週間ほど前から、残高不足の赤ランプが点滅しっぱなし。

 おまけにこの猛暑の中、事務所のエアコンは7月の末からぐずり出し、とうとう温度計の赤い棒が摂氏40度に達した時、完全にその機能を停止してしまった。

窓を全開にしても、熱風が通り抜けるだけで、何の役にも立ちやしない。

馴染みの電気屋に電話をしても、こっちの懐具合を見越してか、

『修理の依頼が手一杯で、早くても一週間はしないと行けない』とくる。

 そんな時、電話が鳴った。

 前に何度か依頼を受けたことのある青年実業家からだった。

 金で世の中のことが何でも解決がつくと思ってる、お世辞にも好きなタイプではないが、

(どうしても頼みたい仕事がある。ギャラははずむから、請け負ってはくれないか)

 頭の中で、電卓がせわしなく動き、すぐに結論が出た。

『酷暑+故障したエアコン=金』。

 俺は肘掛椅子の背に掛けてあった、皺くちゃのスーツの上着を取り上げ、事務所を出た。

 当たり前だが、外は暑い。

 俺はさながら、サハラ砂漠を横断する英国の探検家の気分で歩き出した。


 その夜、俺がやってきたのは、青山にある某高級ホテルのトップフロア、東京の夜景が一望できるという、都会の暑さと喧騒とは無縁の別天地だった。

しかも、である。

そこに群れ集っている連中は揃いもそろって浴衣姿と来ている。

かく言う俺も、着用に及んでいた。ただし、浴衣ではない。

あっちこっちを探し回って、ようやく見つけたのが、この麻の単衣というわけだ。

出かけに自室の鏡で確認してみたのだが、つくづく、

(俺は着物が似合わんな)

と思った。

 肩幅はある割にウエストが細い。これじゃまるで衣紋掛けみたいだ。

『どうしても和服じゃないと駄目か』と何度も確認したが、

『主催者の決めたドレスコードだから』と言って譲らないとくる。

 何でもこのパーティーは、ある結婚相談所(いや、正確には結婚紹介会社というべきだろう)が主催しているお見合いパーティーというわけだ。

 出席者の条件は、

①独身であること。

②社会的にそれなりの職業についていること。

だそうだ。

女性は無料、男性は1万円の参加費を出さねばならない。

不公平だとは思うが、まあそこは仕方ないだろう。

俺は一応、表向き『小さいながらも貿易会社を経営しているそこそこの有名人』ということになっている。

会場は浴衣姿の男女でほぼ埋まっている。

俺は豪華そうな食事の並んだテーブルを物色しながら、まずはノンアルコールビールのグラスを手に取った。

いくら呑み助の俺だって、仕事中くらいアルコールを入れずにおくぐらいの職業倫理って奴は持っている。

一杯を空にし、二杯目を注ごうと思ったその時だ。

入り口の方で、何やら大声が上がったのに気が付いた。

タキシードに蝶ネクタイの男(係員だけはこれでもいいようだ)が、お世辞にも目つきのよろしくない男二人に、何やら因縁をつけられている。

俺はグラスをテーブルに置くと、人垣をかき分けながら近づいて行った。

『先ほどから申し上げております通り、お客様は招待状をお持ちではありませんし、それにその服装では・・・・』

『だから招待状は忘れたっていってんだろ?!てめえ、俺たちを誰だと思ってやがんだ?』

坊主頭で背が高い男が、タキシードの胸倉を掴んで凄む。

どうみても『危ないお兄さん』丸出しである。

二人の服装も、如何にも記号に沿ったナリそのものだし、シャツの襟には関東では有名な某組織のバッジまで、もっともらしくぎらつかせている。

後ろにいる、茶髪にピアスの男も、やはり似たようなナリだ。

『よお、兄さん達』、俺はわざと大きな声を上げて二人に近づいた。

『こちらのお客さんは、皆様セレブなんだぜ?折角のパーティーを台無しにすることもないだろ?』

『誰だ?てめぇ?』

『誰でもないな。ただのゲストだよ』

『野郎!やんのか?!』坊主頭が怒声をあげて、俺に向かってきた。

 体がでかい割には動きはのろい。

 俺はひょい、と軽くかわし、足をひっかけた。

 奴がよろけたところへ、膝を鳩尾にめり込ませる。

 声にならない声をあげて、坊主頭は床にがっくりと膝をついた。

『てめぇ!』

 今度は茶髪がナイフを抜き突っかかってくる。

 奴のナイフが俺に届く間もなく、俺は男の手首を掴んで捻じり上げてナイフを落とし、大外刈りの要領で投げ飛ばした。

 流石に着流しだと要領は違うが、それでも二人を料理するのに2分とはかからなかった。

 俺は裾を直してからナイフを拾い上げ、タキシードの係員に言った。

『ガードマンでも呼んだら?』



 間もなおいてあったチンピラ二人は、駆け付けたガードマンに連れられて行った。

 他の客たちは口々に俺を称賛してくれたが、こっちは何でもない風を装って、元のテーブルの上に置いてあったグラスを手に取った。

『あの・・・・』

 すぐ後ろで声がした。

 俺が振り返ってみると、そこには浴衣姿の女性が二人、並んで立っていた。

 一人は紺地に白い花模様を散らし、もう一人は白地に紅い花を染め抜いた柄だ。

 二十代前半と、二十代半ばと俺は見た。

 髪をアップに結い、化粧はそれほど派手ではない。

『何か?』

俺が言うと、どうやら年上と思しき方が、

『助かりましたわ。もめ事を解消して下さって』と、優雅な物腰で頭を下げた。

『別に大したことじゃありませんよ。でも何で貴方が礼を?』

『ああ、失礼しました。私、こういう者です』

 彼女は、傍らに持っていたバッグから、一枚の名刺を出して、俺に渡した。

 ピンク色の紙に、金色の文字で、

『大河内順子』と、後は携帯の電話番号だけだけが印刷してあった。

 しかし、それで十分通じる。

『大河内?あの大河内グループの?』

 彼女は黙って頷いた。

 大河内グループといえば、かつての大財閥で、今でも三十数社を束ねる大企業体だ。

『私は会長の孫娘、こちらは・・・・』と、隣にいた白い浴衣の女性を紹介して、

『従妹の香苗といいます。』

彼女もこっくりと軽く頭を下げて、同じようにバッグから名刺を出した。

 俺は受け取った名刺をハンカチで包んで懐にしまうと、代わりに自分の名刺を出して渡した。

『三枝商事社長。三枝昭・・・さん?』

 職業柄、ニセの名刺なんか、何枚でも持っている。

『ええ、従業員が三人ほどしかいない、小さな貿易会社ですがね。それでもまあ、そこそこ稼がせて貰ってます』

 俺は多少演技過多に照れて見せた。

『貿易商さんですの?それにしては随分お強いんですのね?』香苗と名乗った女が興味深げに言った。

『格闘技が好きでね。幾つか習っているもんで』

『まあ、そうですの。益々気に入りましたわ。ねえ、三枝さん?よろしかったら場所を変えて、三人でお話しませんこと?お酒でも飲みながら』

『悪いんですが、私は酒はダメなんです』

『まあ、下戸ですの?それでも構いませんわ。さ、行きましょ!』

有無を言わせず、二人は両側から俺の腕に絡まってきた。

                               続く


 


 




 














 




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