秋桜のお題箱
染井由乃
第1話 だから、僕は君が嫌いなんだ。
君はいつも、笑っていた。教室にいるときも、放課後の街の中でも、目を向けたときにはいつだって。誰が見ても美しいその笑みを見る度に、胸の奥が抉られるような気がする。
君は、君を取り囲む人を笑顔にする才能がある。無論、君のその美しい笑顔につられて笑っている面もあるのだろうが、君の底なしの明るさは塞ぎこんだクラスメイトの瞳にも光を灯した。完璧な美しさと、天真爛漫なその性格が、君が人気者たる所以だった。
不思議だ。君は僕と同じ境遇だったはずなのに。いや、僕よりもずっとひどい仕打ちを君は受けてきたはずなのに。その底なしの明るさは、一体どこで学んだというのだろう。あの仄暗い地下都市では、到底身につけることのできない代物だ。
「ハル君は、どこか臆病だよね」
二人きりの渡り廊下で、ふと君はそんな言葉を吐き捨てた。いくら僕が「まとも」をつくろっていても、いつか綻びが生まれることを恐れる僕の気持ちさえも、君は完全に見抜いていた。
「お前が怖いもの知らずなんだよ」
「ハル君は変なことを言うね。あの地下都市よりも、怖いものなんてここにはないでしょう?」
制服の袖から覗いた、君の腕に残る痛々しい縫合痕が目に焼き付くようだ。見えなかった振りをするように、僕は彼女から視線を逸らして街を眺めた。
「僕は、怖いよ。ここで得たものを失う方が、あの地下都市よりもずっと怖い」
「臆病なハル君」
「うるさいな」
君は楽しそうにくすくすと笑う。その笑みはごく自然なもので、教室で見せるものとはまた一味違った。同じ境遇の僕にだけ、見せている面もあるのかもしれない。
「でも、何もかも失うなんてことはないはずだよ」
「なぜ、そんなことが言い切れる」
長い茶色の髪を揺らして、君は息を呑むような美しい笑顔で言った。
「ハル君が何をしようとも、少なくとも私はハル君の友だちであることは変わらないもの」
「よくもまあ、そんなことを恥ずかしげもなく言えるな」
「言えるよ。私はね、ハル君があの地下都市から生きてこの街に来てくれただけで、ありがとうって思うんだ。大好きな友達は沢山いるけど、その中でもハル君は特別なんだよ」
君は、いっそあの地下都市で死んだ方が幸せだっただろうに、なぜそんなことが言えるのだろう。君はいつだって前しか見ない。過去に捕らわれ続けている僕からすれば、君の差し出す手はあまりにも眩しすぎた。君が未来を見据える度に僕の心の隅が少しずつ削れていくような、鈍い痛みが走るというのに。
「――だから、僕は君が嫌いなんだ」
せめて、僕と一緒に過去に捕らわれ苦しんでいてくれたのなら、君のことを好きにもなれたのかもしれない。この街の光を見るのは眩しすぎて嫌だと言ってくれたなら、君はきっと僕の一番の親友になったはずなのに。
結局のところ、僕は君の言う通り臆病なだけなのかもしれない。前に進もうとする君が羨ましくてならないだけの、醜い嫉妬にまみれた人間なのだと認めたくないだけなのかもしれない。
君は、恐らく素晴らしい人だ。だから、僕にかまわず先に行ってくれ。
「またハル君は、そういう意地悪なこと言うんだから」
そう言って君は、少しも気にしていないという風に綺麗な笑みを見せた。嫌いだ、と改めて思う。
僕には君が、あまりにも眩しすぎた。
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