第2話

――ああ、やってしまった。早く拾わないと。道行く人や車内を降りる人に迷惑をかけてしまう。

 両手でかばんを抱えて、バスのステップを降りたときだった。

 ぱんぱんになったかばんを揺らして車外に出ようとして、小さな女の子が歩いているのが見えたのだ。

 こんな重たいものを、間違ってもぶつけるわけにはいかない。

 詰め込みすぎた一冊の本が、かばんから滑り落ちた。

 拾わなきゃ、と思ったときには、かばんから本がどさどさと落ちてしまった。

 ぶちまけた始末をつけるため、手を伸ばす。別の誰かの手が散らばった本を集めているのが見えた。

 「ありがとうございます……」

 私は自分の手に届く範囲の本を集めきって、顔を上げる。

 そこにあったのは、見知った顔だった。

 「佐井くん……」

 「はい、羽瀬川さん」

 彼からにこやかに本を渡される。私はおずおずと本を受け取った。

 勉強もスポーツもできて、さらにはかっこいい。そんなクラスメイトの姿が目の前にあった。初めて見る私服はセンスがよく、いつもの制服姿と比べて新鮮だ。力みすぎていないコーディネートがまたいい。

 自分の格好を顧みて、あらゆる差を思い知った。

「あ、かばん傷んでる!予備のやつある?」

 佐井くんの表情をたどると、自分のかばんが裂けているのが確認できた。縫い目がきれいに離れていて、一枚の布になっている。もはやかばんの体をなしていなくて、使い物にならないレベルだ。これでは本を借りた後、自転車の前かごに剥き出しで載せて帰るしかない。もしくは、借りることを諦めるか。

 「よかったら、僕のかばん貸そうか?まだ来たばっかりだから」

 私の悩みを読み取ったみたいに、黒い大振りのトートバックを差し出される。パンのシールを集めるともらえるものだ。なぜだかおしゃれだと思ってしまうのは、持ち主が関係しているのかもしれない。

 すぐに受け取ることはできなかった。

「でも、佐井くんが」

 本を借りられなくなってしまうのではないだろうか。申し出はありがたいけれど、そうなってしまったら悪い。

 私は移動図書館を利用していた。佐井くんもそうだろう。

 市内に市立の図書館と分館は点在しているものの、遠く離れている人にとっては訪れる機会が限られる。そこで市の図書館サービスを広く受けてもらうため、市内複数のポイントを本を積み込んだバスが回るのだ。私の家から徒歩5分の柑橘広場も、巡回ポイントの一つだった。

 来てくれるのは月に一度。あと15分もしないうちにバスは行ってしまう。

 「平気、僕の家、この近くだから」

 心配ご無用といわんばかりに、佐井くんは広場から歩いて一分のマンションを指さした。

 確かにあそこなら、戻って新しいかばんを持ってくるのに時間はかからない。

 「さすがにその量、手で持って帰るのはつらいでしょ?」

 私の両腕には、ハードカバーの本が十五冊積み上げられている。

 冷静に考えて、前かごに入れると本が飛び出してしまう。

 「……ありがとう、借りるね」

 「ん」

 話がまとまると、佐井くんはかばんの中に本を入れるのを手伝ってくれた。

 のみならず、貸出カウンターまでひょいと荷物を持って行ってくれる。

 車外に設置されたカウンターは、バスからやや離れた場所にある。いつもよたよたしながら持っていく距離。

 「こんな重たいの持つって、羽瀬川さん結構体力あるよね」

 「そんな、本が好きだからだよ、体力は全然」

 私は体育がすこぶる苦手だ。握力も弱い。力もない。実際にクラスで一、二を争うほどの運動音痴だった。

 ただ、本を運ぶのだけは苦手に思ったことはない。佐井くんはハードカバー中心の本をみて、微笑みながら相槌をうった。

 「っていうか、佐井くん、持たせちゃって悪いから……」

 「いやいいよ別に。人並んでるし、聞きたいことあったし」

 ああ、この人は自然に人助けができる男子だったっけ。遠慮合戦になりそうだし、ここはなにも言わずにおとなしくすることにした。

 貸出カウンターの前には、五人くらいが並んでいた。

 それにしたって。さっきの言葉が引っかかる。

 所属している世界が違う私に、佐井くんはなにを聞きたいというのだろう。


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