5 夜の襲撃


「おい、いい加減起きろ」

 頬を叩かれている。

 村田は、糊でくっつけたみたいな瞼を無理矢理こじ上げた。暗闇の中に、黒木と犬神と顔が浮かんでいる。

「三時だ。交代の時間だ」

 村田は呻いた。まったく寝足り無かった。というか眠ったという自覚が無い。自分としては、ちょっとだけ目を瞑っていたつもりだったのに。いつの間にか熟睡していたらしい。

「……パスって無しですか」

「御冗談」

 黒木に無理矢理立たされる。重い体が悲鳴を上げた。幼稚園児の着替えでもさせるように、力の入らない手のひらにバッドを握らされる。

「三時半までな。途中で寝るなよ」

「あんまり無理しない方が」

 見かねたのか犬神が口を開いた。この人は優しい。村田はその言葉に甘えようとしたが、黒木に睨まれて廊下に出た。

「まったく、人使いが荒いよよな」

 愚痴をこぼしながら、階段を下りていく。こんな所を一人で歩くなんて、どうかしている。夜の校舎はただでさえ不気味なのだ。外に化け物が居るなら尚更では無いか。

 村田は思い出す。外に出て、初めて彼等を見つけた瞬間を。霧の中に包まれたかつての仲間達。

 ――いや。

 村田は仲間や友達と呼べるような存在は無かった。学校に行くのを苦痛に感じていた。クラスメイトと話したりはするが、それは友達と言えるほどの仲ではない。新聞部に入って、初めて自分は居場所を作れた気がした。安藤の人脈から各部活の先輩とも交流する事が出来たのだ。

 冷気が頬に当たった。窓が割れているのを見つけた。そこから空気が入り込んできているらしい。

 ――なぜ。

 不審に思い、近づく。

 ずるり、と何かを引き摺るような音がした。それは割れた窓の外から聞こえてくる。村田はその場に凍りついた。――何かが這う様にして進んで来る、ここに入って来る。

 最初に見えたのは、赤い手だった。

 血の染まった芋虫の様な指が、窓の桟を掴んだ。這いあがってきたのだ、奴らの一人が。それは直感でわかる。全貌はわからないが、窓の向こうに居る「それ」が、いま中に入ろうとしている。

「だ、誰か……」

 上手く声が出なかった。叫ぼうとしても、声帯が凍りついてしまったかのように役に立たない。情けない自分に苛立ちながら、入ってきた死者を見ていることしか出来なかった。

 ――や、やらなきゃ僕が殺されるんだ!

 覚悟を決めてバッドを握る。

 足を掴まれていた事に気付かなかった。その時には、床に倒されていた。

 バッドが転がる。

 もう一人の死者が足首を握っていた。村田は悲鳴を上げた。

「うああっ! 安藤さん助けて!」

 なんとか振りほどき、声を出せる事に気付いた。這いつくばりながら、村田は叫ぶ。

「誰か! 誰か!」

 すると、廊下に並ぶ幾つかの窓が割れ始めた。外から入ろうとしているのだ。

 ――あいつら、どうやって?

 村田は目を丸くする。死者は、石を握って窓を叩いていた。蜘蛛の巣のように亀裂が入ったと思うと、すぐに打ち破られ、また一人と入って来る。村田には、それは地獄絵図に思えた。

 ――死にたくない。

 気が付くと、何人もの死者に村田は囲まれていた。彼らは全員、青白い顔でこちらに視線を送っている。

「お、お前らみたいなんかに、なってたまるか!」

 落ちていた窓の破片を握る。その手で、目の前の敵に一閃する。

しかし死者は顔色一つ変えず、肩を掴んで噛みついてきた。咄嗟に放すと、シャツの繊維が引きちぎられた。あと少しでも反応が遅かったら、確実に肉ごともっていかれただろう。

 ――駄目だ、死ぬんだ、僕は。

 黒い何かが通り過ぎたかと思うと、目の前の相手は押されたように床に倒れた。その後を追う様に、二人目、三人目と倒れていく。何かの手品を見ているかのようだった。村田を囲っていた敵は無くなった。

 ――どういう……。

 彼らには細長い棒のような物が突き刺さっている。ジュラルミンかカーボンを思わせるその材質は、弓道で使う矢だと、新聞部だった村田は理解した。

 ――川本梓。

 その本人が、遠くで弓を構えていた。右手に手袋のようなものをつけて、矢がつがえている。彼女は鉄串の様に真っ直ぐな視線をこちらに向けている。その姿は獲物を射る狩人を思わせた。

「もう大丈夫だ」

 武器を持った黒木が傍に来ていた。

「済まなかったな、村田」

「あ、あの……」

 目頭が熱くなり、涙が出そうだった。構わず、黒木は続ける。

「あいつら、窓を破ってきやがった。このままだと、バリケードも突破される」

 川本がこちらにやって来て、自分の「的」を見下ろす。

「……駄目。もうこの矢は使えない」

「あと何本あるんだ?」

 聞きながら、黒木は近寄ってきた死者を叩き返していく。彼らは次々と侵入し、廊下に溢れようとしていた。

「私の矢はあと三本しか無い。けど、部室で調達すればまだある」

「そうか。……こいつらどんどん入って来るぞ」

「黒木!」

 犬神が走ってきた。

「昇降口の方が破られた! あいつら、道具を使っている。どういう事だ?」

「奴らに知能は無い筈だ」

「草野の話は信用できない。違ったんだ。あいつら、きっと学習するのかもしれない」

「どちらにしろ、二階に上がらせる訳には行かない。犬神と川本は、ここを頼む」

「あの、僕はどうすれば」

 恐る恐る口を開くと、黒木はこちらに振り向く。

「俺と来い。昇降口に行く」

 黒木は、下唇を噛んだ。

 村田は彼の後を追って昇降口に向かう。バリケードとして積み上げていた机や椅子が吐き出され、扉は無惨に蹂躙されていた。吹き飛んだ破片が床に散らばっている。置いたロッカーもどかされていた。

 酷い有様だ、と村田は思った。まるで小さな竜巻が通り過ぎたかのようだ。

「職員玄関の方は無事です。なんとか片づけました」

 すると、草野がスプレー缶を持って歩いてきた。暢気な顔をしているのが不思議でもなり、腹立たしくもある。

「草野さん、あんた、今までどこに」

「撮影だよ。――っと、後ろです」

 村田は振り向くと、女子生徒が掴みかかって来る所だった。

 ――噛まれては駄目だ!

 それは本能に近かった。咄嗟に腕を引っ込め、バッドを上段に構える。叩き込む。鈍い音を立てて、彼女は倒れ込んだ。

「危なかった……」

「人間じゃない。もう、人間じゃない……悪く思わないでくれ」

 黒木だった。自分に言い聞かせるように、呟いている。

「黒木さん……」

 村田の声はほとんど届いていなかった。黒木が倒れている女子に凶器を振り上げ、頭を狙って振り下ろす。とどめを刺した。真っ赤に染まった彼女の顔は陥没し、髪の毛がへばりついているせいで、誰かも確認できない。

 黒木は肩で息をしながら、草野に顔を向けた。村田は吐きそうだった。両手で口を抑える。

「聞いておきたい事があった。こいつらに知性はあるのか」

「いえ、ありません」

「だけど、現にあいつらは!」

 耐えられなくなり、村田は口を挟む。

「それはそうだな」

 草野はあっさり肯定する。

「だが、それはゾンビ達に知能がある訳じゃない。人間だった頃の習慣――、生きていた頃の名残りなんだ」

「記憶がある、という訳じゃないのか」

 黒木の質問に、草野は神妙に頷く。

「ええ、違いますね。癖みたいなものですよ。死んでもなお、その残滓を彼らは繰り返している」

 習慣。村田は汗を拭う。そんな物が、彼らを突き動かしているのか。

「ここは学校です。それでもって、俺達はここの生徒です。勉強が嫌だの、あの先生がウザいだの、あれこれ文句をつけつつも、俺達にとってここが生活の中心だった」

 噂をすれば、と草野は微笑む。かつては新陽の生徒であった死者の群れが、こちらに歩きだしていた。死んでもなお、生きていた頃の習慣に囚われる彼らは滑稽に思えた。

 

 ※

 

 横井は、一階の騒ぎを嗅ぎつけた。あの化け物達が襲ってきたのだと直感でわかった。

 ――嫌だ。

 まだ死にたくない。それも、こんな味気ない学校でなんて真っ平だった。やりたいことがまだまだ沢山あるというのに。自分の描く華やかな未来。それをあんな醜い怪物に邪魔されるなんて冗談じゃない。

 ――死んでたまるか。

「横井さん、どうしたの?」

 小泉も異変に気づいたようだ。横井の見立てでは、今ごろ男子達が食い止めている筈だ。そのまま働いて欲しい所だ。草野が言うには、ゾンビに噛まれるとゾンビになってしまうらしい。自分にそんなリスクは背負えない。それは男子たちの仕事なのだ。自分がするべき仕事といえば、しおらしく悲鳴を上げて助けを求めるだけ。やがて自分は助かる。そう役割が割り振られているのだ。

「あいつらが入ってきたんだ……」

 小泉が呻く。

「ねぇ横井さん。私たちも行った方が……」

「馬鹿じゃないの? さっきまで泣きべそかいて、まるで役立たずだったあんたが? 足手まといになるだけでしょ」

 横井は笑う。こういう無駄に正義感があってとろい奴が、真っ先に死ぬタイプだ。

「でも、川本さんだって……」

 足音が聞えたかと思うとドアが開き、数人の生徒が入ってきた。驚くほど青白い肌、光を失った瞳。マネキンを思わせるぎこちない動き。――死者だ。二階にやってきたのだ。

 小泉は悲鳴を上げて尻餅をつく。しめた。こいつを囮にできる。

「助けて! 動けないの!」

 そう言われて足を掴まれる。横井は、躊躇い無く振り払った。

「そんな……」

 何とでも言え、は思う。安全な反対側のドアを開き、廊下に出る。

 ――まず上の階に行けば時間が稼げるはず。

「あたしは生き残るの。こんな所で死んでたまるもんか」

 嬉々として廊下を走る途中で、一人の死者が場を塞いだ。それを見て、横井は驚愕した。――青田だった。

「あんた……生き返ったの?」

 生きていた頃の面影は既に無かった。首の動脈が食いちぎられていて、そこだけが赤く染まっている。しかし、彼は動いているのだ。

 ――生きる屍。

 気付くと、両肩を掴まれていた。凄い力だ。青田の五指が、万力のように押し込まれる。

まるで抵抗できない。

「や、やめ――」

 強靭な顎が彼女の首に喰らい付く。

意識が爆発した。鮮血がほとばしり、気が狂いそうなほどの激痛が全身を襲う。叫び声を上げようとしたが、泡の混じった血が吐き出されるだけだった。ただひたすら、噛まれ、啜られる感触だけが知覚されていく。

 ――嫌だ、こんな所で、嫌だ……死にたくない。みっともない、このあたしが……こんな屈辱を……。

 自分は生き残る、その器だ。草野も言ってくれたでは無いか。

 ――そうだ、これは夢だ。悪い夢に違いない。目が覚めればきっと……。

 彼女は笑顔を作ろうとした。だが出来なかった。青田によって頬の筋肉が食べられていたからだ。

 夜が更けていった。

 

 ※

 

 村田は、階段を駆け上がった。死者たちは、それを追う様に上がって来る。彼はそれを敢えて狙っていた。

 ――こいつらは、足が遅い。

 それは経験から獲た教訓だった。バッドを握り締める。手のひらはじっと汗がかいていた。

一人、一人上がってきた死者を順番に薙ぎ払う。思った通り、簡単にいなす事が出来た。登ってくる彼らは隙だらけだった。後はタイミングを掴んで、バッドで応酬してやればいい。

村田は黒木と別れ、一人で行動していた。死者たちは二階に上がってしまい、黒木はそっちの処理に向かったのだ。

ふいに、後ろから声が掛けられた。

「手伝ってやるよ」

 驚く事に、背後に安藤が控えていた。教室で休んでいた筈だ。顔色が悪くなっていて、村田は不安を覚えた。

「だ、大丈夫なんですか?」

 彼は質問には答えない。陸上部で使う砲丸を抱えている。その一つを掴み、階段下の生徒達に投げつけた。効果は抜群のようで、鈍い音を立てて次々と倒していく。村田はその光景に圧倒された。

「凄い、やりましたね!」

 振り返ると、安藤は腹を抱えて咳き込んでいた。落ちた砲丸が階段を転げ落ちる。

「まさか――」

 彼に駆け寄る。噛まれた左腕は赤く爛れていた。恐る恐る湿布を外すと、黒紫の腫瘍が出来ていた。まるでそれは、呪われた体として烙印を押されたかのようだった。村田は固唾を飲む。

「部長……」

 危惧していた事が起こってしまった。今になって、その症状が彼の体を蝕み始めたのだ。

 安藤は血の混じった痰を吐く。苺ジャムみたいだと、村田は意識の隅で思った。

「…………村田、バッドを貸せ」

 安藤は口元の汚れを拭い、村田を睨む。一瞬、あの化け物になってしまったのかと錯覚したが、違った。彼はまだ人間だ。だが――。

「でも、部長」

「あの死に損ない共を、全員墓に叩き返してやる」

 安藤の瞳は狂気が宿っていた。手負いの獣を思わせる病んだ目付き。村田から無理矢理バッドを奪い取ると、階段を飛び降りて踊り場に着地する。その姿は鬼の様だった。死の恐怖に怯え、彼は暴徒と化しているのだ。

 ――なぜ今になって。

 考えを巡らせていた村田は気付き、はっとする。噛まれた部位、その大きさ。佐藤というあの女子は、首をいきなり噛みつかれて即死した。だからすぐに死者の仲間入りを果たした。ところが、安藤は腕を少し噛まれただけだった。変容するのに、時間のズレがあっても不思議ではない。

 ――部長が、ゾンビになる。

 それは限りなく近いうちに起きる。

「かかってこい化け物どもが!」

 とり憑かれたようにバッドを振り回す。踊り場は死者の亡骸で、血の海が出来ていた。その光景に、村田はたまらず嘔吐する。昼に食べたサンドイッチの残骸が吐き出された。

 

 ※

 

 黒木は二階に階段に足をかける。右手にはしっかりと身を守る凶器が握られていた。その金属バッドからは、血と、饐えた臭いが絶えず鼻腔の辺りをちらつく。まるで、獲物を探して練り歩く殺人鬼の様では無いか。そう思うと、自分のしている事がぞっと背筋を凍らせるようでもあり、不格好な自身が滑稽のようにも映る。

 二階に来た目的は、教室に居る筈の女子達だった。川本の話では、教室に置いてきたままだという。最悪、事態に気付かないまま襲撃を受けているケースもあるのだ。

 ―――おや?

 廊下には誰も居ない。

 一組の男女を除いて。

「あ、青田……?」

 そこには青田と亜紀が並んで立っていた。手を繋いでいる。一見すれば、普通のカップルにしか見えない。だが、彼らの肌は青白く、剥き出た赤黒い腐肉が、酸っぱい腐乱臭を放っている。

「横井……」

 彼女の瞳にも、光は無い。顔半分が白骨化していた。口から頭頂部までの肉がむしり取られている。

「おまえら……」

 生きる屍だ。彼らの双眸が、黒木を捉えた。すかさず、彼は身構える。

「…………え?」

 驚いた事に、二人は踵を返す。黒木の姿ははっきり認識している筈なのに、まるで興味が無い様だ。血濡れた彼らの背中を見送りながら、黒木は窓の外が白み始めているのがわかった。

 ――夜明け?

 携帯電話を開くと、もう四時半を回っている。この季節、太陽は早く昇って来る。気にはなっていた。なぜ死者たちは夜に襲ってきたのか。

 天井の蛍光灯が目に入る。壁のスイッチはオンになったままだ。

 ――まさか、光に集まってきたのか?

 深夜の害虫じゃあるいまいし……と黒木は途方に暮れる。だが、習慣に操作されている話とも妙な繋がりを感じた。

 カップルは反対側の階段から下りていき、やがて見えなくなった。つまり、他のゾンビ達も撤退していったという事だろうか。

 途端に、腰の力が抜けて、黒木は尻餅をついた。

 ――終わった、のか?

 だが、やっと一日を凌いだに過ぎない。黒木にはこの一日がとても長く感じられた。同時に、うっすらと感動を覚えている事に気付く。朝がやってきたという当たり前の出来ごとにさえ、妙な感慨を持ってしまうのだ。

 だが、横井は死んでしまった。彼女は死人となって朝を迎えた。青田も死んでいた事が確認出来た。こうして一人、一人死んでいく。そして奴らの一員となっていく。霧の中に引き摺りこまれるようにして。いったい、あの奥には何があるのだろう。黒木には、それが気になって仕方が無い。

 ――小泉。

 彼女の姿が思い浮かんだ。彼女の事をすっかり忘れていた。

「小泉!」

 もし彼女も同じような姿になっていたら……。黒木は固唾を呑み込み、ドアを開けた。

「……居ない?」

 左右に目を走らせる。机がいくつか錯乱している。抵抗の跡だ。彼女の姿は無かった。その代わりに、黒木は窓が一つ開いているのを見つけた。外に出たのだろうか。追いつめられたのなら、それは考えられる。この棟にはベランダがあって、隣の教室と行き来できる様になっている。それが出来るのは緊急避難時だけで、普段は通る事が許されてはいない。

 陽菜もここを通ったに違いない。黒木は外に出た。

 霧雨がミストシャワーの様に体を包み込む。夏服がびっしょりと濡れた。やはり、外は白色一色に広がっていた。かつて学校の窓から臨む景色は、悪魔の様な霧だけが立ち込めている。うっすらと、下校していく死霊たちの影が見えた。

 予想した通り、隣の教室の窓が一つだけ開いていた。同じように、そこから入り込む。驚いた事に、教室のドアは二つとも机で塞がっていた。小泉の仕業だろうか。だが、本人の姿は見当たらない。

 ――どこだ?

 密室トリックのミステリーでも解いているみたいだ。だが黒木はすぐに正解がわかった。掃除ロッカーから人の気配がするのだ。

「そこに居るのか?」

 返事が無い。

「おい、小泉だろう?」

 返事が無い。

 仕方なくロッカーを開ける。どさり、と洗濯物が倒れる様にして、小泉が床に手をついた。乱れた髪が蒸れていて、こちらまで熱気が伝わって来る。

「大丈夫か?」

 彼女は震えていた。

「……いで」

「なに?」

「……殺さないで。わ、私は噛まれてない。ゾンビじゃない」

 恐怖の虜になりパニックを起こしている。

「お、落ち着け。平気なんだな?」

「川本さんは?」

「大丈夫、川本も無事だ」

 確信がある訳では無かったが、黒木は頷く。良かった、と彼女は呟いた。どうやら落ち着いたらしい。

「じゃぁ横井さんは?」

 黒木は一瞬押し黙る。

「……あいつは駄目だった」

「…………これからどうするの?」

 その質問には答えられなかった。外は霧に囲まれ、生き残った生徒たちも次々と命を落していく。脱出の糸口さえ見つけられない。知ることが出来たのは唯一つ、彼ら死者の事だけ……。

「それはこれから考えるしかない」

 黒木は息を吐く。

「とりあえず、バリケードの修復だな」

 太陽の光が霧を貫通し、窓の形に切り取られて浮き上がる。

確かに考えるべき問題は山ほどある。だが今くらいは、生き延びた事を喜ぼう。黒木はそう思った。


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