第14話
≪太陽暦:三〇五六年 十一月二十二日 一〇:三三 廃殻“大羿”開発特区≫
技術者たちの爛々と瞬く顔が、右に左に押し寄せる。
それらに囲まれながら、アルナはどこか気恥ずかしそうに身を竦めた。彼らがそうなるのも無理もないだろう、彼女の側には電想式の代替品であり、ほかならぬ壊都大遺構の出産物。白煙を上げ稼働する黒い光沢ある棺。そしてそれを“壊都の天才”が改良したものなのだから。タールに塗れた技術者たちからすれば、もはや極上の一皿にすら見えるのだろう。
人ごみの向こうで百道が怨敵を見るかのように、白い歯をかちかちと震わせていた。
あれから電想式を手にし、一度壊都の莫琉珂のガレージへ戻った一行は、夜を徹して電想式の補修に努め、今に至る。夜明けまでガレージには明かりが灯り火花が散っていたため、当の天才は目をしょぼしょぼと細め、今にも仰向けに倒れるのではと言うほどにこっくりこっくりと頭を揺らしているが。
そんな彼女の襟首をつかみ上げ、亜粋は腕の内で寝かしつける。
「まさか本当に一日で用意するとはのう……しかも壊都大遺構より引っ張り上げてくるなどと」
「ええ。御三方の協力があってこそでした……その、莫琉珂さんを危険な目に逢わせたこと、謝罪致します」
「ほほほ。いい、付いていったこやつが馬鹿だし、それに五体満足で戻ってきたんだ。言うこたぁない。しかしてあんなところで爆発か……」
亜粋が深い皺の内で静謐に目を細め「武牢、もはや手段を択ばぬか」と呟いたが、アルナの耳に届くことはなかった。
「なんにせよこれで着工は可能じゃ。それに大遺構のモンが使えるんじゃからの、うちの歯車馬鹿どもはだいぶ活気づいておる」
アルナの顔に晴れるような笑みが咲く。思いもよらない効果だ。やはり前文明への畏敬は地表では根強く、その逸脱機には人を惹きつけるものがあるということか―――そしてそれを獲得してきたアルナ自身に、廃殻民からほかならぬ敬意と信頼が集まっていることを、彼女は未だ、知覚していない。
群衆の向こう、宿舎の影にてそろりそろりと忍び足。ジープに乗り込もうとするスーツ姿の男が一人、背後の跫音に気が付いて飛び上がる。
百道は玉のごとき汗を落としつつ振り返り、そこにいる上司アルナへきっと眉を斜めに変える。
「わ、私を滅茶苦茶にしようったってそうはいきませんよ!今の私の身分は月都企業連に保証されているのですからっ!」
「ご安心ください。手荒な手段は講じていませんから」
「ふ、ふん。此度は何とかなりましたが次は無いでしょうな。この計画は必ずや瓦解します。その時泣くのは貴方で、月都企業連理事に任命され笑うのは私です!」
「……百道さん」
“大羿”の影の中で、アルナが清廉と微笑する。それが、百道にはかえって恐ろしく見えた。
「まるでもう企業連の理事に就任したような物言いですが……いつ貴方は太陽官補佐を辞任したのですか?」
「えっ……だって」
「辞任表はいただいていませんし、それに私は未だ貴方を免職していません」
百道は震える手でその七三を撫でつけた。この少女の意図が、わからない。内通者であった以上、自分はとっとと追放したほうがいいはずだ。それを未だ離さないとは、どういうつもりだ?
彼女の向こう側で二人の遺跡荒らしが横目にこちらを見やる。
「百道さん。提案があります」
「な、なにを」
「私は今構想しているのは、太陽光エネルギーの代替案。多角的エネルギー産業の利用」
それは“タイヨウ”撃墜以後のエネルギー構想。現在太陽光発電に大きく依存した月都のエネルギー状況から、様々な発電設備を同時並行して使用する。これならば一つが潰れても外のもので十分に代替でき、現在のコストパフォーマンスとさして変わらない。
ただそのためには現在から各所に発電施設を整備する施設が必要だ。廃殻の広大な土地を使用した火力発電やバイオエネルギー施設などが。
アルナが等々とその胸を語る。そして、最後の一言に対しては、百道の引き締まっていた顔面が呆気にとられと弛緩した。
「この電力開発計画への月都企業連の参画を、理事会の“ご友人”へ提案してはいただけませんか?」
「……なんてこった。この計画に月都企業連が一噛みしろっていうわけですか」
「はい。ご協力を」
―――いつだって、敵が多い方が負ける。
昨日、ジープの内で蛮風に言われた言葉。故にあれからアルナは考え続けた。思考し続けて、月都企業連という多頭の蛇蝎に打ち勝つにはどうするべきか、策を探し続けた。
その答えは簡単だった。敵じゃなくすればいい。むしろ味方に引き込んでしまえば、こちらの勢いが増す。
無為に争い疲弊するならば、相手を呑み込んでしまえ。それが多少の毒を孕んでいたとしても、薬に変えてしまえばいい。
背後にて、蛮風が高らかに笑う声がした。祝砲のような、聞いていて誇らしくなる歓声。
「ば……馬鹿な、そんなものに月都企業連が応じるわけがない!こんな泥船の計画に!」
「あら。既に良い返事をいくつかいだたいているのですよ?」
「……まさかっ!」
“大羿”開発区の外延部。その巨砲の長い長い影が落ちる荒野に、大小さまざまな砂煙が立ち、四輪自動車が駆け抜ける。
その側面に記された、多岐多様な月都の企業のロゴ。
アルナから差し出された双眼鏡の内から、百道はそれを見た。
「月都企業連の理事会ではまだこの計画への参画は承認されていません。ですが……その傘下企業のいくつかは協力が願えました」
「なっ……い、いつのまに!」
「昨晩、壊都の通信機をお借りしたんです」
莫琉珂が電想式を補修している間、アルナも時間を浪費していたわけではない。壊都中央区の通信施設を貸し切り、あらゆるコネと内密を操って、月都へと通信を行っていた。相手は月都企業連加盟者たちと廃殻の技術者たち。
一人ずつ時間をかけて計画を説明する。無論、全ての加盟者と話すことはできなかった。企業連理事会が認めていない計画に頷く企業主は数少なかった。だが、それでいい。
自身の権勢拡大を狙う理事会の幹部や、現状の理事会に不満を抱く中堅層、新たな事業に再起を願う傘下中小企業を抜け駆けさせれば、それでいい。
狙いは企業連という巨大な勢力の中に分裂を生じさせること。統一を混乱させる疑念の種子を撒くことなのだから。
「わかりますか。百道さん」
とん、と一歩前へ。いまや百道には、あの脆く容易く手折れそうなお嬢様が、何よりも恐ろしい策士に見えて仕方がなかった。刈ったと思った砂漠の一輪が、何故か今、自身の足元にまで根を伸ばし、己の養分まで食い尽くそうとしている。
「恐らく現在理事会は混乱の只中。廃殻開発への挑戦か、現在の体制維持か。その二点で争っている。これを停めるには理事会を収集し、どちらかに正式決定するほかありませんね」
「ぶ、分裂が貴方の狙いか」
「ええ……もし現状維持を選べば、恐らく挑戦派は不服を示すでしょう。この分断は、体制維持に影響するはず。なぜならそれは、外ならぬ“自由経済”を謳う月都企業連が、自由経済を阻害することになるのですから」
相手の主義や発言を逆手に取る、これはまるで劇薬のように、呪詛のように、相手の身に響き、不随へと至らせる。
だから企業連は、参画へ大きく揺れているはずだ。あと一歩、理事会へのパイプを持つ人物が提言すれば折れる程に。
「だから私は理事会全体の参画を推奨するのです、貴方に」
「わたしは言いませんよ!そんなことして、私の立場が」
「貴方は今、私の部下です」
凛と、透き通り耳に染みる声が真っすぐに放たれる。
「ですから、企業連参画の後には……私は貴方を多角的エネルギー事業の総監督に推薦したいと考えております」
雷撃が、頭頂から脊椎を奔ったように、百道は震えた。それはつまり――自分に理事会をどうこうできる権力が与えられるということ。多角的エネルギー事業へ泣きついて来た企業連に、様々な盟約を伸ばせる立場になるということ。
現在企業連の一理事就任“予定”であるだけの下っ端である己が、彼らと対等に渡り合う立場へと成り上がることだ。
アルナは小さく微笑んだ。そう、最も味方につけるべき相手はこの男だ。
企業連に自分のことを内通していたということは、逆に彼を企業連の内通者にできるということ。彼を通せば、企業連を動かすこともできるだろう。
だから最も呑み込むべき有毒の生物は、ほかならぬ彼なのだから。そうするべき価値と能力をこの男が持つことを、何よりもアルナが知っていた。そして、忠誠よりも尚暑い、その野心と利己心をもつことも。
百道は黙し、眼鏡を日射に瞬かせた後……七三を撫でつけた。
「ふむ……成程。成程成程成程……」
そしてゆっくりと、歯を見せ、かちんと嚙合わせる。
「~~~~~調子に乗らないでくださいよっ!途端に権謀術数を語るようになっちゃって!」
「え!あ、はい?」
「世間知らずのお嬢様のくせに!着任時から頭もお花畑の理想論者だったくせにねえ!……そんなに人間を上手く乗せるようになっちゃって!」
一通り捲し立て、唾と気炎を飛ばし続けると、百道はこれ以上なく屈辱に染まった顔を見せながら、踵を返す。
「悔しいですが!乗ってやりますよ!……企業連にYESと言わせたら、私をその事業の代表にするって内約、確かに守りなさいよ!」
呆気に取られていたアルナの顔が、さんと輝き頷いた。
その顔に呆れたように眉を歪めると、そのまま百道はジープではなく宿舎へと入る。恐らくは、しっかりと証文を造るのだろう。マメな男だから。アルナは微笑み、その後を追う。
「ふふ……それでは、一週間後には月都企業連よりYESの返事をいただいてきてくださいね?」
「わかっておりま……い、一週間ン!?な、何を言ってるんですか貴方ァ!?」
「貴方は多角的エネルギー事業総監督、ならば相応のことはできるはずです」
「えっ」
「やることやれと言っているのです私は」
「えっ」
「……かかっ。敵も味方につけちまう、か。すげえなあ嬢ちゃんは。俺もそうしろとは言わなかったぜ」
「……」
炉那は思い出していた。昨晩、幾度となく通信をかけ続けていたアルナの後ろ姿を。
情熱であれ誠意であれ、策謀であれ利得であれ、自身の言葉で不特定多数の誰かを動かせると信じ、試み続けていた彼女の姿を。
月都企業のトラックが大羿開発区に到達。物資が下ろされる。廃殻技術者たちも呆気にとられながらも手早く重機に乗り、電力パイプライン建設に着工する。
その駆動音と喧騒の中、炉那は静かに目を伏せた。
視線の先、せわしなく動き続けるアルナが、見ていられなくなったように。
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