第3話

 通算で八台の襲撃者を討ち、引き離した今でも炉那は妙な感覚を覚えていた。それは彼の無意識にまで刷り込まれた、闘争者としての知覚が鳴らす警鐘。そしてそれとは別に少年の心を留めるものがあった。

「さっきから気になってたんだけど、あれ、何?」

 宙ぶらりんになり窓を除く少年の、目線が示すものをアルナも見据える。視界をふさぐどの砂丘よりも高く、どの岩壁も全貌を隠せぬその巨像。

 ジープの進む先には、黒鉄の巨塔が聳立していた。その腰は山稜の裾が如く広く、それに支えられ塔身は天へと続く。その頭頂は、もはや霞がかり実像を捉えられない。

 人造の建築物というよりも、天を貫く地球の角といったほうが理解しえる壮大なる威容。目視するのは初めてである少女も、息をのみ答える。

「あれは……前文明の遺物にして¨砲¨。名を、大羿だいげいと言います」

――――砲?

 その真意を掴みかね、首を傾げた炉那だったが、次の瞬間には顔を上げ、右手を振りぬく。

 その右手に銀鋼の棘が突き立つ。楔の如き方形のそれに、小さく火花が散るのを見た炉那は、瞬時にそれを抜き側方に放る。

 豪ッ。焔と衝撃が爆ぜ、車体を傾かせた。

徹甲榴弾刺てっこうりゅうだんし……ま、まさか!」

 少女の悲鳴に答えるように、ジープの背後に煙霧が立ち昇り、砂中から喧しく動く暗銀の節足が露わになる。

 それは概ね廃殻にも生息する大蠍に似た形状をしていた。だがその全貌はジープを呑む程に巨大で、甲殻は幾何学的に組み合わされた六角形の銀鋼だ。回転鋸の双鋏と、巨大な質量を振るう尾――先ほどから察するに、その先端から徹甲榴弾を射出できるのだろう――は、脆弱な肉の身体を持つ人間に、無残な死を想起させる。

「全鋼機蟲、棘八十式ぜんこうきこ・おどろはちじゅうしき!暴徒殲滅用の自律兵器です!……駄目、逃げて!」

 少女は叫びながらも、なんと無意味で愚かな言葉だろうと、絶望を噛みしめた。ジープに容易く追尾するその速力と、生命体を効率よく掃討するがためだけに造られた高度知能機構“電想式”より、如何にすれば逃げられるというのか。

 炉那の拳銃が咆哮を上げる。されどその蜂の巣構造の甲殻は衝撃を受け流し、傷一つ付けることすら叶わない。

 舌打ち。機甲の蠍は僅かに身を引くと、両の大鋏でジープを抱きしめんとする。

「うおおおおおお神ドリフトォッ!」

 蛮風が二度も三度もハンドルを切り、旋回。大鋏の回転鋸歯がバッグドアを掠め燐光を散らし、それを両断した。後部座席で縮こまっていたスーツ男が、泡を噴き気絶する。

 蛮風は慣性に振り回される炉那とアルナを気にも留めず、そのまま棘八十式の後方に回る。振り下ろされた尾を回避。焦れた大蠍がこちらへ頭を向けたところで、急加速。節足の下を疾駆。

 棘八十式はその構造上、旋回するには節足を段階的に動かす必要があるため、急な方向転換に弱い。姿を晦ました目標に節足を軋ませる殲滅兵器を差し置いて、ジープは鉄塔の足元へ。


 そこから仰げば、改めて鉄塔の魁偉かいいたる様が際立って見えた。少しだけ湾曲して起立しているように見えるのは錯覚だろうか。近づいてわかるのはそれが黒鉄の筒の重層構造をしていることだ。土台から頭を出した筒から、再び筒が伸び、さらに一回り小さな筒が――少しずつその直径を減らしながら天に伸ばす様は、確かに砲を思わせる。

 そしてジープはまっすぐに、その短辺だけでも10mはあろうかという正門へと走行していた。無明で冷涼なる空間が、巨人の食道のように延々続いているのがわかる。

「……大丈夫なのか。入って」

「ええ。一度逃げ込みましょう。内部で救援を――」

 瞬間、ハンドルを切ったジープの脇を航跡雲が過ぎ去っていき、門の側にて爆ぜる。

「っ―――いけない!」

 背後、方向転換を終え、追走を始めた棘八十式が、鉤に曲げた砲塔の尾から、榴弾の楔を二発、三発を発射。ジープの脇、門の縁、その向こうにて爆ぜる。爆ぜる。爆ぜる。

 されど、少女の懸念は死の危険とは別にあった。

「このままじゃ、大羿だいげいが破壊されてしまう……!」

「……よく、わかんないけど」

 背部からどたんと物音。アルナが振り返れば、トランクの部分に炉那が滑り込んでいた。

「このままじゃどうせ追いつめられるな。蛮風、使うぞ、あれ」

「おま……まじか!?」

「それしかないだろ」

「そうだが~~~ええい畜生ッ!しっかり背を席にもたれとけ!嬢ちゃん、シートベルト大丈夫か!?」

「は、はいっ?!何を―――」

 開いたアルナの口から、言葉は出なかった。

 背後、炉那はぐっと後部座席の背に体を押し付け、右腕を膝頭の上に固定。その右腕が――開く。

 衣が引き裂ける。噴気と重低音が一息に溢れ出る。その右腕は肉のそれではない。皮を鐵鋼に、肉を機構に、関節を球に変えたからくり仕掛けのかいな

―――逸脱機。少女がそうと知覚した瞬間に、その腕の機構、人であれば健にあたる部位を走る機甲が左右に開き半月を造り、一丁の弩と変わる。その弓弭きゅうじより光糸が螺旋を描き絡みあうと、弦となり、左手でそれを引けば、掌が向けていた空間が、ずるり、不明な斥力によって歪曲する。


 眼前に棘八十式が迫る。その致死の双腕と、血の通わぬ前部装甲に、ジープの景が反射する。それは歩兵用兵器ならば一切を弾き、野砲の一撃にすら耐えきって見せる超構造体。そして尾の鉄鋼弾頭の信管が点火され、火花と白煙が噴き出す。


 その、一拍前に

 炉那は掌を開き、か細くつぶやく。

それはまるで、祝詞のような、福音のような呪詛だった。

「失せろ」

 弦から指が、離れる。


 それはまさに、夜を引き裂く曙光のような

 地平に銀が瞬いて、光が一縷、尾を引き奔る。


 棘八十式の顔から彼方の砂丘が見えた。その前部装甲には滑らかな断面を持つ孔が開き、その向こう――一条の流星が真空波を伴って、地平線の向こう向こうへと飛んでいくのが見える。

 機構を綺麗に繰りぬかれた全鋼の怪物は、時が止まったかのように停止した後――豪ッ。内側から爆ぜて火柱が上がる。時間さえもやっと追いついたかのように、その時引き裂かれた大気の断末魔が、砂塵を震わす程に轟いた。

 火焔に巻き込まれた襲撃者たちのジープが、だんだん視界から遠くなっていく。黒雲すらも置いてけぼりで、白のジープは――炉那の右腕の反動により――半場吹き飛ばされるように、黒塔の開いた口へと飛んでいく。


「ひゃあああああああああああああああああ!?」

「おああああああああああああああっ!!!」

「――――――」

 各々色とりどりの絶叫が尾を引いて闇の中に木霊する。なんとか車輪が地面に触れた後、蛮風はハンドルを切り、火花を散らしながらドリフト、停車。

 助手席が開き、中からずるり、とまるで死んだ蜥蜴のように伸びたアルナが滑り落ちた。その顔は二、三度地獄に行って帰ってきたかのよう。口からは声にならない叫びが漏れる。

 その顔の横に、靴底。そして炉那がどかっと腰を下ろした。右腕からは蒸気が立ち上り、額には汗が浮かんでいる。

「……すみません。あなた達のお陰で、生き延びられました」

「そういうのは、いいから。答えてくれ」

 炉那は左腕で天上を示した。

「この¨塔¨は一体―――なんなんだ」

 アルナの目に生気が満ち、己も背を正し、それを見上げる。天上に瞬く日輪から、目を逸らさず真っすぐと睨むかのように。

「……はい。この¨砲¨は貴方の腕を同じ逸脱機。前文明の遺した¨タイヨウ¨を、停めるための遺された、」

 タイヨウを、停める。その言葉は春雷のように瞬いて、少年の脳内から一切を白へと変えた。

 天井では、巨大で巨大で巨大な空洞が、螺旋上の溝を伴いながら天上へ天上へと続いている――まるで、旋条銃の内部のように。


対衛星用超高高度射砲たいえいせいようちょうこうこうどしゃほう¨大羿だいげい¨。タイヨウを、撃ち落とすための兵器です」

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