第1話

「さあ、急いで寝室に行こう!」


 これだけを聞けば、怪しさ満載である。

 しかし、これを言ったのは、僕の父である。


 ジークフリード・フォン・ライプニッツ。

 それが父上の名前だ。


 青みがかった黒髪と紺色の瞳。

 長髪に切れ長の目は一見冷酷にも見えるが、口角の上がった口元がいたずら坊主のような雰囲気を持っている。


 現ライプニッツ公爵家当主であり、鍛え上げられた肉体と隙のない動きが、その強さを余すところなく表現している。


 佩いている剣は美しくも実用的なものだとわかる一品。

 「騎士」のイメージがそのまま形になったようなのが父上である。


 朝起きるのが遅くなり、父よりも後に食堂に入った僕を待ち受けていたのはそんな言葉だった。

 どうも遅く起きたことで体調が悪いのでは?と心配されたようだ。

 

 そしてその父の反応を見た母親や兄、姉からは、父に対する鋭い視線だけでなく、僕に向けられた心配するような視線を感じる。


 そんな親馬鹿ともいえる父を宥めるために僕は口を開く。開かざるを得ない。


「大丈夫です父上。素晴らしい父上の血をひく僕は、簡単に病気には負けませんよ。心配してくださってありがとうございます」


 そう言いながら、前世でもしなかったほどの輝く笑顔を父に向ける。


「「「「――グフッ」」」」

 どうも父にはクリティカルだったようだ。少し仰け反りながら顔を片手で覆っている。


 そしてどうやら他三名にもクリティカルしていた。


 まったくイケメンは得である。こんな笑顔、前世で見せたら「キモい」の一言で終わっていただろうに。


 しかし先ほどの目線からすると、他三名にも心配をかけたようなので、声をかけておこう。


「母上。そしてハリーお兄様とセルティお姉様も。

 ご心配いただき、ありがとうございます」


 そう言って、先ほどより三割減の笑顔を向ける。


「「「――クハッ」」」

 他三名は2ヒット目だそうだ。


 そんな名状しがたい時間を過ごしていると、横から手を叩く音がする。


「はい皆様そこまでです。そろそろ食べませんと冷めますぞ」


 そう声をかけてくれたのは、執事のマシューである。


 先代ライプニッツ公爵の時代から仕えてくれている彼の、年齢によるシルバーグレーの髪は毛の一本すら乱れのないオールバックにされており、それが金縁のモノクルと相まって老練さを際立たせている。


「さ、レオンハルト様を可愛がるのもそれまでです。早くお席にお戻りください、旦那様」


 そう言いながら父の座席を引く彼の所作はとても美しく、音も立てず食器を並べる様は、僕に上流階級を強く意識させる。


 すべての料理が整えられ、父が口を開く。


「では、七柱神にこの糧への感謝を捧げ、この日に祝福があらんことを願う」


 この言葉と共に、朝食が始まる。


 * * *


 朝食を楽しんだ後、皆で紅茶を楽しむ。

 これまでの紅茶に比べ、香りがいい。


「これはどうしたんだい、マシュー?」


 父がマシューに尋ねる。


「この紅茶は王都のコールマン商会が扱いだした物とのことです。王家の皆様にも評判が良いようですぞ」


 そうマシューが語る。


 美味しい紅茶を飲めて嬉しかった僕は口を開いた。


「流石マシューの選んだ紅茶は素晴らしいですね」

「レオンハルト様も、素晴らしいマナーでございますぞ」


 ……藪蛇である。

 ここでマナーの話をされるとは。マシューのマナー講座の厳しさが思い出される。

 

 普段は好々爺とした雰囲気のマシューだが、その教育は尋常でなくスパルタである。


 そして僕もその教育を受けた一人である。


 公爵家の一員である以上、3歳という幼い頃よりマナーを徹底的に叩き込まれるのだ。


 おかげで4歳である今の段階で、茶器の音を立てずに紅茶を飲み、テーブルに置いたりするのは当然であり、それを優雅にこなすようになっている。

 

 これは兄や姉も同じ。

 そのためかどうかは分からないが、「マナー」という言葉を聞くだけで二人の動きが変わるのだ。


 ……トラウマなのかもしれない。


 だがここに、全くマナーを気にしない人がいる。


 それは父だ。

 無論できないはずないのだが、家ではマナーに頓着しないのだ。


「やれやれ固いなぁマシューは。そんなんじゃせっかくの紅茶が楽しめないじゃないか」


 そう言いながら、クッキーを頬張っている。

 さながらハムスターの如し。


「ジークフリード様。公爵たるもの、普段の行い全てにおいて範とならねばなりませんぞ? なにをなさっておいでですかな?」


 マシューの目が笑っていない。

 マシューが父に対して機嫌が悪くなると、普段の「旦那様」から父の名前である「ジークフリード様」呼びに変わる。


「まぁまぁ。偶には羽を伸ばしてゆっくりしないと。

 マシューも皺が増えるよ?」


 明らかに煽っている言い方である。


「誰のせいだとお思いですかな?」

「誰だろうね~大変だね~」


 父はもはや遊んでいる。

 しかし、マシューはこの後がある。


「あまり聞き分けがないようでしたら、ヒルデ様かマリア様を通してウィルヘルム陛下に報告させてもらいますぞ」

「正直すまんかった」


 一瞬のうちに父が土下座する。

 それは綺麗なものだったが、いつもの光景である。


 なお、ヒルデ様とは僕の母親、マリア様は父の妹、つまり叔母である。

 ウィルヘルム陛下は言わずもがな、現国王である。

 

 なぜこの二人から国王に報告ができるのか。

 

 実は、母は先代王弟の娘、つまり現国王の従姉妹。

 そして叔母であるマリア様は現第一王妃殿下である。


 ……これだけはマシューのマナー講座で詳しく学んだな。

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