召喚呪文「おばさん」

こっこ

第1話 名は残らずに?

「よいかスタニフ、ぬかるでないぞ。これが成功すれば、理論が実証されるのじゃ」

「分かってます、師匠」

「ならばよい。それからその魔法陣、合図するまで触れるでないぞ」

「はい」

 薄暗い部屋の中に僕は居た。

 かなり広くて、ベッドをいくつか置いてもまだ平気だと思う。ただ地下だから、窓は明り取りが上のほうにある程度だ。しかもその明り取りぎりぎりまで、壁という壁がすべて本棚になっているから、けして明るいとは言えないと思う。だいいちそうじゃなきゃ、明かりをわざわざ灯したりしない。

 広い部屋の半分は作業台と机と、あとはガラクタにしか見えないものが占領していた。ただ残り半分は何も置いていなくて、僕が今いるのはそこだ。

 目の前の床には、両手を広げたくらいの大きさの魔法陣。他にも大小幾つかある。

 要するにこれのために、この部屋は半分が空けてある。じゃなきゃ三日もしないうちに、床は何かで埋め尽くされる。

 そんな散らかしの離れ業を為すのが、今この部屋にもう一人居る老人で、僕の師匠だ。

 偏屈で、気分屋で、頑固で散らかし魔。「付き合い辛い」を絵に描いたような人だけど、魔法の腕はピカイチだ。

 そんな人が、なんでこんな片田舎に居るのかは知らない。でも昔は都に居たらしいから、あの偏屈さでトラブルを起こして、ここへ引っ込んだんだろうと思ってる。

 訊く気はなかった。うっかり訊いて師匠のご機嫌を損ねたら、どんなお仕置きをされるか分かったもんじゃない。

「ではこれから、呪を唱える。それが完全に終わって合図するまで、けして触れるな」

「はい」

 また同じことを言われたけど、素直に返事する。今師匠がやろうとしてるのは、異世界とこことをつなぐ実験だ。そんな歴史に残るかもしれない実験に参加させてもらえるんだから、ここは逆らわないほうがいい。

 師匠が呪文を唱え始めた。

 前に試したときにも聞いたけど、すごく長い呪文だ。隣の家まで行って、戻ってこれるくらいの間続く。それを全部覚えてるんだから、年寄りの割りに師匠の記憶力はすごい。

 ――誰かに頼まれたことはすぐ忘れるけど。

 そのおかげで、何度神殿やらご近所に僕が頭を下げたか分からない。なのに弟子の僕が悪いことになってしまったりで、この辺はすごく理不尽だと思う。

 でも、我慢だ。何しろ僕は、魔術師ザヴィーレイのただ一人の弟子なんだから。絶対に弟子は取らなかった人が、なぜか僕だけは弟子にしてくれた。それは凄い事だ。

 師匠の呪文はまだ続いてる。その間僕は、じっと立ったまま待ち続ける。ただ試したときと違って、今日はあんまり退屈しなかった。

 さすが本番なだけあって、魔法陣の様子が少しずつ変わっていく。石の床に白い粉で描いただけのものが、だんだん光を帯びていく。

 これが完全に光で満たされると、陣の完成だ。そうしたら僕がその中に踏み込んで、異世界へ行く。

 今まで、誰も行ったことがない。だから僕が初めてだ。成功すれば、僕の名前は「初めて異世界に行った魔道士」として絶対に魔法史に残る。

 師匠が機嫌を損ねて途中でやめたりしないよう、ただただ黙ってじっと待つ。そうしてやっと呪文が最後になって、魔法陣が光で満たされて、師匠が僕に合図を――しようとしたそのとき、カン高い声が響いた。

「いやだ、なにっ!」

 慌てて周りを見回す。けど、僕と師匠のほかには誰も居ない。誰かが屋敷に入ってきた様子もない。

「どいてどいてーっ!」

 切羽詰った声と同時に僕に何かが激突して、思いっきり後ろへ吹っ飛ばされた。

 そしてキキーッという、何かがこすれるような音。さらに。

「ちょっと、ここどこよっ!」

 女の人の怒声。僕はくらくらしながら起き上がって、呆然とした。

「なんでここに、おばさん?」

「んー? ボク、今なんて言ったかなぁ?」

 笑顔が怖い。

「すすす、すみません、お姉さん!」

「よろしい」

 顔のシワの具合から見て僕の母さんよりは若そうだけど、でももうそこそこ大きい子供もいそうな、そんな年齢の人だ。だから間違っても「お嬢さん」じゃない。

 けど女の人に本当のことを言うと、後が恐ろしい。それは今まで散々経験した。だからここは、素直におだてるに限る。

 ただ近所の大樽を幾つも重ねたようなおばさんたちと違って、見掛けはほっそりしていた。しかもその割りに胸と腰はあってなかなか――そこで気づいて、慌てて首を振る。

「何じろじろ見てるのよ」

「あーいえ、珍しい服だなと」

 おばさんが着てるのは、かなり複雑な作りの服だ。ヒラヒラした薄い布のスカートに、キラキラした糸を織り込んだ内着、その上に飾りがついた上着。どれもけっこう手が込んでる。肌も荒れてないし、もしかすると、けっこういい身分の人かもしれない。

 当のおばさんはスカートの裾が床につくのも気にせずしゃがみこんで、散らばったものに手を伸ばした。

「あーあ、もう。割れちゃった」

 手にした白くて太くて長くて葉っぱのついた、ぽっきり二つに折れたものを、口を尖らせて眺めてる。見るのは初めてだけど、何か野菜らしい。他にも辺りには、見たこともないものが散らばっていた。おばさんがぶつぶつ言いながら、それをかき集めてる。

「あの、手伝います」

「ありがと」

 何が起こったのかよく分からないけど、ともかく物を拾うのは手伝うべきだろう。

 指し示された布のバッグに、何に使うのか見当もつかないものを次々と戻していく。その間におばさんは前後に車輪のついたよく分からないものを、よっこらしょっと立てて部屋の隅へ押していった。

「これでいいですか?」

 集めたものをバッグごと差し出す。

「うん、ありがと。ところでここ、どこ? あたし早く、家に帰りたいんだけど」

 言われて異常事態に改めて気づく。

「し、師匠……?」

 頼みの綱を振り向くと、僕と同じように困惑した顔だった。

「こっちから行くはずが、何故じゃ……」

「何故と言われても師匠、現に来てます」

「そ、そうじゃな。早く返してやらんと」

 その言葉に「まだ師匠にも人間らしいとこがあったんだな」などと、ちょっと感心する。

 おばさんのほうは当たり前だけど、まったく事態が飲み込めてないみたいだった。

「ねぇ、来たって何? 返すって、返してくれるの?」

 相手をするのは師匠に押し付けようと思ったけど、さすがに無理そうだ。魔法陣をいじっているのに、中断させたらまずい。だから仕方なく僕は返事する。

「実は、違う世界へ行く実験をしてたんです」

「違う世界……? パラレルワールトとかいうの?」

「何ですかそれ」

 さすが異世界から来ただけあってこのおばさん、時々異界語を言うらしい。

 そして気づいた。

「なんで、喋れるんです?」

「そっちこそなんでニオンゴ知ってんのよ」

 どうやらお互い様みたいだ。というかおばさんの中じゃ、僕が異界語を喋ってることになってる。

 その理由を何とか説明しようとして、僕は諦めた。僕にも理由が分からない。

「どうしてかは、後で師匠にでも……あ、今はダメです、作業中です。帰れなくなります」

 即座に師匠に声をかけようとしたおばさんだったけど、最後の一言が効果絶大だった。ぴたりと動きを止める。

 けどそれもつかの間、おばさんはくるっと僕のほうへ向きを変えた。

「じゃぁ、あなたに説明してもらうわ」

「え……」

 何か墓穴を掘った気がした。

「せ、説明って言われても」

「ちょっと、自分がやってたことさえ説明できないわけ?」

「いえ、だからあの、違う世界へ行く実験を……」

「それはさっき聞いたわよ」

 一刀両断される。

「じゃ、じゃぁ、何を説明すれば」

「それはこっちが聞きたい!」

 埒があかない。平行線だ。しかもまずいことに、僕の方が不利だ。

 何とかしてこの状況を乗り切らないと。そう思って必死に頭を巡らす。

「えっと、えっと……そうだ、ともかく座りませんか?」

 死んだ父さんがよく、怒り出した母さんにそう言ってたのを思い出して試してみる。

「お茶でも、淹れますから。あと甘いもの」

「あらそう?」

 効果てきめん、おばさんがクールダウンした。こうなればこっちのものだ。

 けどそこで、重大なことに気がつく。

 師匠はあのとおり偏屈で、しかも妙にこだわりがあるから、「美味しいお茶とお菓子」なんてものに執心しない。飲むのはいつでも口も鼻も曲がりそうな、なんとか言う薬草茶だけだ。僕はそれが嫌で、自分用にお小遣いから、こっそりいいお茶とお菓子を買ってるわけだけど……この屋敷に一般人がまともに口にできるお茶とお茶菓子は、それしかない。

 結局僕は仕方なく、そのとっておきの茶葉を使ってお茶を淹れて、あとで食べようと思っていたお茶菓子を出した。なけなしの小遣いから買ったものなのに。

「どうぞ」

 カップからいい匂いがして、なんか悲しい。

「ありがと。で、えっと……」

 おばさんが珍しく途中で言いよどむ。

「どうしたんです?」

「んーえっと、キミ、名前は?」

 そういえばお互い知らないままだ。

「スタニフです。ここで助手してます」

「そうなんだ、偉いわね。私は……」

 その先は上手く聞き取れなかった。

「カワ・ライサ?」

「全然違うわよ!」

 何度か似たようなやり取りをしたけど、やっぱり分からない。

「あーもう、こっちに無い発音なわけ? もういい、テキトーに呼んで」

「じゃぁライサで」

「それはダメ」

 速攻で却下される。

「ダメって、なんでもいいって言ったじゃないですか……っていうか、いい呼び名だと思うんですけど」

「冗談じゃないわよ、そんな気取った名前」

 やっぱり僕に決定権ないじゃないか。そんなことを思いながらも、恐る恐る訊いてみた。

「じゃぁ、どうしましょう?」

「イサでいいわ。発音できないみたいだから」

 結局おばさんの一存で決まる。テキトーに呼んでなんて大嘘だ。けどそれを顔に出せない自分が悲しい。

 おばさんが美味しそうにお茶をすすった。

「いい香りねー」

「あ、はい。これこの辺で取れるんですけど、けっこう有名なんです」

 この村で取れる茶葉は、香りがいいので有名だ。そのおかげでこの村は、他所よりはずっといい暮らしをしてる。

 ただおばさんにはそんな上等なお茶も、大して効果はなかったみたいだ。

「で、何がどうなってるわけ?」

 話がまた元に戻る。僕の小遣いが泡と消えた瞬間だった。

 何のために大事なおやつを差し出したんだろう? そんな思いに駆られながら、質問に答える。

「えっと、ですから……さっきも言いましたけど、違う世界へ行く実験をしてたんです」

「違う世界ねぇ」

 おばさんがひとりごちた。

「でもまぁ確かに、全然違うところへは来ちゃってるわね」

「やっぱりそうなんですか?!」

 思わず声が高くなった。

「もしそうなら、最初の意図とは違っちゃいますけど、実験が成功したってことです!」

「――顔近い」

「え? あ!」

 つい立ち上がっておばさんに迫ってたことに、言われて初めて気づく。

「そんなに迫って、キスでもするつもり?」

「き?! しししししし、しませんっ!」

 なんてことを言うんだこのおばさん。というか、僕にだって選ぶ権利くらいある。どうせだったら……。

「んー、どしたの? もしかしてカノジョのことでも考えてるのかなぁ?」

「ちちち違います!」

 ほんとに「おばさん」って種族は、油断も隙もない。

 当のおばさんは面白そうにけらけら笑ったあと、ちょっと真面目な顔になった。

「で、ここどこ?」

「どこって言われても……いちおう、ユラ、って名前の村ですけど」

「聞いたことないわね」

 あっさりとおばさんが一蹴する。けど僕に言わせれば、異世界から来た人が知ってる方がおかしい。

「まぁ姿格好見た時点で、ニオンじゃないのは確かね。やっぱりパラレルワールト?」

「ですからそのパラなんとかって何ですか?」

 どうにも会話が噛み合わない。

 そこへぶつぶつ言いながら師匠が来た。これ幸いと話を振る。

「師匠、このおば……いや、この人に説明してください。未熟な僕じゃ手に余ります」

 途中で「おばさん」って言いそうになって慌てて言い直して、ついでに自分を下げて師匠を上げて。

 ――なんで僕、この年でこんな苦労してるんだろう?

 だんだん情けなくなってくる。けどここで修行を諦めたら、今まで我慢してきた意味がない。父さんだっていつもそう言って、どんなことでも我慢してた。

 けど師匠は答えなかった。顎に手を当てながら、まだぶつぶつ言ってる。

「あの、ししょ――」

「ちょっとそこのじーさんっ!」

 僕の声にかぶさるようにして、地下室にカン高い怒声が響き渡った。これにはさすがの師匠も度肝を抜かれたみたいで、びくっと震えて辺りを見回す。

「な、な、なんじゃ?!」

「なんじゃじゃないわよこの立ち枯れオヤジ! 人をこんなとこへ連れてきて、とっとと説明しなさいってば!」

 師匠もしかして、こんなこと言われたの初めてなんだろか? 目を白黒させて口をぱくぱくさせて、酸欠の魚みたいだ。同時に「おばさん」って種族をちょっと見直す。師匠にこんな顔させるなんて、並大抵じゃない。

「さぁ、ちゃんと説明しなさいってば。しなかったら容赦しないわよ」

 何をどう容赦しないのかは、ちょっと興味がある。けど僕に向けられるのだけは願い下げだ。師匠だけにしてほしい。

 師匠の方はまだ口をぱくぱくさせてたけど、おばさんの剣幕に押されて、なんとかしわがれ声を絞り出した。

「つ、つ、つまりじゃな、違う世界へ行く実験をしておって……」

「それは聞いた!」

 さっきと同じやり取りになる。

 まぁさっき言ったのは僕で、師匠にしてみれば初めておばさんにこれを言ったわけだから、気の毒と言えば気の毒だ。でも普段いろいろされてるから、むしろたまには困れ、って気分のほうが大きい。

 おばさんの怒りは収まる気配はなかった。

「で、ここどこ?」

「ここはユラという名前の村で……」

「それもさっき聞いた!」

 師匠、墓穴を掘りすぎだ。でもいつもコキ使われてる分、こういう「やられてる」師匠を見るとスカっとする。

 けどここで風向きが変わった。

「で、ここが仮に違う世界だとして。あたし帰れるの、帰れないの?!」

「そ、それは帰れる」

 師匠が断言して、おばさんのトーンが下がる。下がらなくていいのに。

「なんだ、そうならそうと言ってよ」

「言う暇なかったじゃろうが……」

 師匠が愚痴るけど、当然ながらおばさんは聞いてない。

「お茶なんか飲んでる場合じゃない、早く帰らなきゃ。ほらそこの二人、急いでよ」

 おばさん、横柄なことこの上ない。向かうところ敵なし、って感じだ。

 でも師匠は動かなかった。

「ちょっと、何してんのよ!」

「何と言われてもな。帰れるは帰れるが、今すぐというわけにはいかなくての」

 言って師匠、ずずっとお茶を――なんでいつもの不味いのじゃなくて僕のお茶――をすする。

「じゃから少々お茶を飲んでも変わ――」

「いいかげんにしてっ!」

 おばさんがついにキレた。

「あたしすぐ帰って、子供たちの夕食作んなきゃなのっ! こんなとこでぐずぐずしてるヒマないんだから!」

 子供たちの夕食ってとこが、現実味がありすぎる。そしてあの散らばった食べ物らしきものは、今夜の材料だったんだなーと今更ながらに思った。

 おばさんの降り注ぐ火矢みたいな言葉は、まだ続いてる。

「さぁ! とっとと立って! じゃないと、どんどん帰るのが遅くなっちゃうじゃない!」

 どうもこのおばさんには異世界へ来たっていうことも、その辺へ買い物に出たのと大差ないらしい。恐るべき肝っ玉の太さだ。

「あたしね、明日ヨジハン起きなの! 今から帰って急いで夕食作って食べさせて、少しでも早く寝ないと辛いんだから!」

 ヨジハンっていうのがなんだか分からないけど、重大な事なんだろう。で、そのせいで帰るのを急いでるみたいだ。

 一方の師匠は、相変わらずのんびりしてた。

「あんたねぇ!」

「まぁまぁ。いつこちらを発っても、戻る時間は同じじゃよ」

 今度はおばさんが目を丸くする。

「どういうこと?」

「どういう、と言われても。なんというかの、あんたが来た同じ場所には、ほぼ同じ時間にしか繋がらんのじゃ」

 初耳だ。というか師匠、そういう重大なことは、やる前に教えてください。

 師匠の言葉が続く。

「この異世界に繋ぐ陣はの、最初はどこへ繋がるか分からんが、繋がってしまえば座標を取れる」

 それは確か僕も前に聞いた。なんでも「世界座標」とかいうものがあって、それが分かるとどの世界のどの位置のどの時間かっていうのが特定できるって言う。それを師匠、さっきとっさに取ったんだろう。というかきっとその作業中だと思ったから、僕もおばさんが師匠に話しかけるのを止めたんだし。

 おばさんの方は思案顔だ。小首をかしげてるのが妙に可愛くて癪に障る。

「つまり……座標が分かってるから大丈夫ってこと? でもじゃぁなんで、時間が過ぎないの?」

 おばさん、案外鋭いかもしれない。

 喜んだのは師匠だ。何しろ師匠、こういう鋭い質問が大好きだったりする。

「時間はな、繋ぎっぱなしだと過ぎるんじゃ」

「あぁじゃぁ、今は繋がってないんだ」

 おばさん、なんでそんなあっさり理解するんですか。僕でさえ理解するのに一週間はかかったのに。

 師匠の方は満足げにうんうん頷いてる。

「さっき座標だけ取って一旦切ったからの、今度やった時に繋がるのは、そうじゃの……あんたが来た一瞬か二瞬か、ともかくそのくらいしか過ぎていないところじゃよ」

「そういうことね。驚かさないでよ」

 誰も驚かしてなんてない……って言いたかったけど、言ったらヒドい目に遭いそうだから、言わずに言葉を飲み込んだ。

 話の方は僕に関係なく続いてく。

「で、今すぐ大慌てじゃなくていいとして、いつ帰れるわけ?」

「んー、五十日くらい後かの」

「何でそんなにかかるのよ」

 間髪入れずのおばさんの抗議。でもこの状況に慣れてきたらしい師匠――なんか悔しい――は飄々と答えた。

「さっきの召喚で、陣が魔力を使い切っての。また使えるようになるまでに、どうしてもそのくらいかかるんじゃ。まぁ諦めてくれ」

 あ、やぶ蛇、と思ったけど、僕は何も言わなかった。

 父さんからいつも言われたのは、「余計なことは言うな」だ。横から口を出すとロクなことがない、世の中黙っているに限るっていうのが父さんの持論で、僕の見る限り、それはいつも場合正しい。そんなわけで親孝行な僕は、ちゃんと父さんの言いつけを守った。

 そして言われた側のおばさんは。

「ちょっと! 人を勝手に連れてきておいて、『諦めてくれ』ってどういう言い草?! 歳食ってるから何言ってもいいってもんじゃないわよ!」

 当然師匠に食ってかかった。

「だいたいね! その歳さえくってりゃ偉いってその発想自体気に入らない! 何がカメのコウより歳のコウよ、幾つになってもダメなものはダメ、あったりまえでしょっ!」

 一気にまくし立てて、また師匠がたじたじになる。

「いやだから、その、要は待ってくれと言うわけで……」

「だったらそう言いなさい! そもそもね、そっちが謝る状況なのに『諦めろ』って何なの! 誠意とか謝罪とかそういうものが先でしょうが!」

 やっぱり師匠みたいな人には、おばさんが最終兵器になりそうだ。師匠のそばにこのおばさんがいれば、師匠の人でなしな言動が少しは治るんじゃないだろか? だとしたらそれだけで、僕にとってこの事故は価値がある。

 ただ、絶対に言うわけにはいかなかった。ただでさえおばさんはこの事故に腹を立ててるわけで、なのにそんなことを迂闊に言ったら、僕まで一緒に悪者扱いだ。

 悪いのは実験を企てた師匠で、僕はただの助手。できたらおばさんを助ける側に回って得点を稼ぐのが、ここは絶対賢いだろう。

「とりあえずライサさん……でしたっけ?」

「イサっ! ライサはやめてって言ったでしょ、もう忘れたの!?」

 うっかりミスで僕のほうに矛先が向きかける。

「す、すみませんイサさん。それでですね、えっと、師匠の実験でご迷惑をおかけしたのは謝ります」

 そこまで言ってはっとする。何で僕、頭下げてるんだろう? けどさすがにここで撤回はできない。そんなことしたら余計に印象が悪くなる。ともかくここはガマンガマン、そう自分に言い聞かせた。頭なんて何回下げてもタダだって、父さんも言ってたし。

 ちょっとだけモヤモヤしながら、僕は謝り続けた。

「ともかくその、陣がまた使えるようになるまで待ってくれませんか? 僕も師匠を手伝って、少しでも早く帰れるようにしますから」

「それはありがたいけど。でもあたし、その間どうすりゃいいのよ?」

 言われて気づいた。確かにその間、おばさんを野ざらしにするわけにはいかない。というかこのおばさんを野放しにしたら、村が大変なことになりそうだし。

「えっと、えっと、その間は――」

 言いかけた僕の言葉を、師匠が勝手に引き継いだ。

「その間はここに居ればいいじゃろ。ワシとしてはあまり気が進まんが、かといって他の家にというのはさすがに……」

「ちょっとっ! 人を勝手に連れてきておいて、まだそういうこと言うわけっ!?」

 またおばさんの怒りの声が炸裂。

「気が進まないとか言うなら、実験なんかしなきゃいいでしょ!」

「そ、そう言ってもな。実験せねば理論が証明できんじゃろうが」

「なら失敗しないでよ!」

 なかなかおばさん、言うことがムチャクチャだ。でも師匠が困ってるから良しとする。

「失敗するなと言われても、実験には失敗が付き物じゃしなぁ」

「だからって他人に迷惑かけていいってもんじゃないでしょ! というか、迷惑かけといてその態度なんなのっ!」

 要はこの辺が、おばさんの怒りの理由なんだろう。まぁ師匠も、そういう他人のキモチとか迷惑は顧みない人だから、ここは言われて少し凹んどけって感じだ。

 内心ニヤニヤしながら、でも顔には絶対出さないように注意しつつやり取りを見守る。けどそのうち、僕は重大なことに気づいた。

 ――夕飯、どうしよう。

 僕と師匠の夕飯は、いつも隣の家が作ってくれる。師匠が言うには、なぜかここの領主がそのお金を出してくれてるんだそうだ。

 でもそれは当然二人分で、おばさんの分は入ってない。そしてあのおばさんの勢いだと、夕飯が無いなんて許さないだろうから、きっと僕の食べる分が無くなる。

 それは絶対にイヤだった。大食らいの師匠のせいで、ただでさえ僕の夕食は少なくなりがちだ。そのせいでいつもお腹いっぱいなんて食べられなくて、朝ごはんの直前とか夕食の直前はフラフラしてるのに、全部とられたら絶対飢え死にする。

 夕食ナシという最悪の事態を避けるために、僕はやむなくやり取りに口を挟んだ。それにもしかしたら、今思いついたすばらしい作戦が上手くいくかもしれない。

「あのですね、大事なことが」

「なによ」「なんじゃ」

 二人から同時に答えが返ってくる。特に師匠の声はあからさまにホッとしてて、僕を後悔させた。

 でも飢えをしのぐためには仕方が無い。父さんもよく、メシのためにはイヤなことも我慢してやるしかないんだ、って言ってたし。

 ひとつ息を吸って、口を開く。

「おば……じゃない、イサさんにここに居てもらうのはいいですけど、師匠、食事どうします?」

 師匠が眉根を寄せて思案顔になった。やっぱりおばさんの食事のこととか、まったく頭に無かったみたいだ。気づいてよかった。

「食事といわれても、何かあるじゃろう?」

「無いですよ。隣に頼んでるの、二人分じゃないですか」

 そして僕は思いついた作戦を実行した。

「だから明日からはともかく、今日はどこかで食べたらどうでしょう?」

「むぅ」

 師匠が顎に手を当てて考え込む。でも即効で却下されてないから、かなり勝算アリだ。今日はきっとご馳走だ。

 ステップ踏みたくなるくらい嬉しい。何しろ師匠ときたら、食べるものは量さえあればいいって人で、ここへ来てからご馳走なんて食べたこと無い。かなり味に難点があったけど、それでも特別な日にはご馳走を作ってた、実家のほうがまだマシだった。

 それが今日、やっと――。

「だったら隣の飯炊き女に、増えたと言えばいいかの。よく見たらまだ明るい時間じゃから、まだ間に合うじゃろ」

「え……」

 師匠がそんなことに気づくなんて予想外だ。というか時間なんて気にしたこと無いのに、今日に限って気にするなんてヒド過ぎる。しかもそこへ、おばさんまで口を出してきた。

「何よ、隣に頼んでるなら大変じゃない。すぐ言わないと向こうだって困るわ」

「いや、ですから……」

 せっかく今日はご馳走が食べられると思ったのに、なんか話の方向が違いすぎる。

「イヤも何も、すぐ頼んでらっしゃい! 急に作る量が増えるのって、ほんっと困るんだから。ほら急いで急いで!」

「スタニフ、この人の言うとおりじゃ。とっとと行ってこんか」

 二人に言われて、僕は泣く泣く立ち上がった。

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