This Moment ―7 years later from that 『Heartful Melody』――

てるふぃー

第一章:Ouverture -1



―第一章・Ouverture―


*1*

 七月半ばの東京は、朝の九時半でも暑い。

ビルに邪魔されて風が抜けないし、昼になれば真上から太陽が逃げ場のない熱を送り込んでくる。

それが一面に敷き詰められたコンクリートに溜まって、地熱が上がる。

そのだるさに耐えながら、高層ビルが立ち並ぶ新宿の駅前――小さなビルへと入り、エレベーターのボタンを押した。

――クールビズなんて、ただの後付けの応急処置じゃないか。東京というメガロポリスは、現代文明が生み出した『地獄』そのものだった。


 上昇するエレベーターから眺めても、新宿はゴミ捨て場みたいな街だった。四階で降りる。

「おはようございます。」

受付のおばさんに挨拶をしてから、オフィスへと入った。挨拶はすべての基本だと思う。

同僚達(茶髪に金髪、色つきYシャツ、タバコ。日本終わったな。)にも同じように挨拶をしながら、自分の机へと向かう。

そして、良く効いた冷房の中で一つ、息を吐いてから背伸びをしてから座った。

俺たちはこの冷却システムで、この『地獄』を誤魔化している。

そう考えると昔の方がきっと良かった、が、時間の歩みは止められない。

「柴田さん。」

声に顔を上げた。さっきの受付のおばさんが、丁寧な佇まいで机の前に居た。

「十時から予約の松中さん、もう見えていますよ。」

と告げ、お手本のようなターンで受付へと戻っていった。

年齢はおそらく、五十手前。

"団塊の世代"という言葉は既に時代遅れになっていた。

それでも、あの礼儀を重視する日本独特の振る舞いは、継承されるべきだろう。

「わかりました。向かいます。」

時計を一目見て、データの入ったファイルを掴み、俺は――柴田 広樹は――待合室へ向かった。


――This Moment;1st flet.


 ヒューマン・コンサルタント。それが俺の職業だ。

大学をギリギリで卒業した俺は、何か現代のニーズに合う、頭を使った職業を探していた

在学中に独学で法学、政治学、史学を学んだ。あとは退屈をしない、人を"観れる"人生が良かった。

そこを昔馴染からの一言で始めたのが、仕事・悩み・子育てなどの苦悩に客観的にアドバイスをするというこの仕事だった。元々人間観察・人間ドラマ観察が趣味だった俺にはジャストスーツの仕事だ。

仕事を始めて(そもそも大学を卒業してから)まだ四ヶ月しか経っていないが、俺の成績の伸びは人智を超えていた。顧客増加率、先月比で二百三十三パーセント。つまり二ポイント三倍。まだ研修中なのに。

当然だ。こんな仕事、自信と趣味があればいくらだって伸びる。睡眠時間を削ることも厭わない程、この仕事は面白かった。それに、日本国社会的な意味で評価するならば…。

ネクタイも崩さない、黒髪短髪黒縁メガネの俺が、上司から悪い評価を受けるはずも無い。


 廊下を歩きながら、頭で今日のスケジュールを立てていた。

松中をカウンセリングして、確か残りのクライアントは居ないはず。そしたら資料を整理して…。

「柴田さーん。」

晩飯は光浩ん家で食おう。めんどくさいからそのまま泊まるとして――

「柴田くんってば!」

ハッとなって顔を上げる。考え込みすぎた。目の前の声に気づかないなんて!

――声の主の女性を、俺の視界が見つけた。

気づかなかったのは、この女性が小さいからとは言わない。

「おはよう。ごめんね、考え事しちゃってて。」

「たまに、考えすぎて、周りがなくなるコトあるよねー。」

既に、待合室に辿り着いていた。否、待合室を通り過ぎる所だった。

彼女―次のクライアントがくすくすっと笑う。なんだか恥ずかしくなった。

落ちそうになったファイルを戻して、俺は次の言葉を探す。

彼女はブラウンの、ベルト使いのブーツサンダルを履いていた。

足が"白くて細くて長い"から、宣伝かと思うぐらい、目立っている。

「今日も、ブーツなんだ…暑くない?」

彼女は今更なにを、という顔をして口を開いた。何を言うかは知っている。

「ブーツは私の――」

「基本だもんね。」

その先をひったくって、ファイルを持っていない右手でカウンセリングルームのドアを開けた。


 ほうじ茶の用意されたカウンセリングルームで、俺たちは向かい合って座った。

『松中 奈穂』は、同じ新宿で働くごく普通のOLだ。

オフィス・レディ――なんて失礼な言葉だろう。女性は自販機ではない。

ごく普通のOLだからこそ、この『地獄』でストレスに押しつぶされそうになるのは普通のことだ。

だからこそ、休息みたいな気分でここに来るのがいいと思う。

「にしても、大学に居た時とは全然違うねー。一気にモラトリアムが崩れたみたい。」

「そりゃあそうでしょうよ。」

彼女よりも先に俺がほうじ茶に手をつけた。顔見知り、ならば遠慮はいらないだろう。

俺たちは大学の同級生―年も一緒―だ。

ゼミでかぶったこともあるし、お互い(特に松中は俺に)思い出もある。

例えば、ゼミの飲み会で酩酊した彼女が――

「で、どうしたらいいんだろう?ヒューコンとして、何かわかる?」

「うーん、そうだなぁ。」

回想を断ち切り、俺は本職のヒューマンコンサルタントに戻った。



 大体の話の目処がついたところで、俺は予定を実行に移した。

「メシでも食いに行くか。」

「ほんとですかー?あそこのドトールの新作ミラノサンド、一回食べてみたかったんだ!」

彼女が目をキラキラさせて言う。ミラノ―イタリアが好きなのだ。

部屋の窓から指差したそのコーヒーショップは、ここから歩いて十分とかからない。

「そうだな。黒糖ラテ、試してみたいしな。」

俺はファイルを片付け始めた。

「受付で待ってなよ。資料の整理は五分でやるから。あと――」

先に部屋のドアに手をかけた松中が、振り向いた。

「いくらブーツ好きでも、イタリアまでそれでハマるのはどうかと。」

「何か問題でも?」

「いえ。」

«Considerist(熟考者)»同士の小競り合いは、たった三言で終わってしまった。

別れる瞬間のにこやかな彼女の顔で、よくわからないが、何となく今日も頑張れそうな気がした。






――好きなんですか?わかりません。でも、

――I was in the happiness『This Moment』

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