香澄の日記(九)

 [二〇一五年八月二七日 午後一一時〇〇分……友達や家族たちが時間ぎりぎりまでお見舞いに来てくれたおかげで、私とエリーは入院生活に少なからず不安を覚えながらも、彼女たちから勇気をもらうことが出来た。エバンズ医師やフローラのお話によると、私だけでなくエリーの心身も今は安定していると教えてくれた。

 どうやらエリーもまた私と同様に、過去から逃げず真正面から治療を受けることを決意してくれたようだ。


 病室の就寝時間はどんなに遅くても午後一一時三〇分までとなっており、私は自分の病室で眠りにつく準備をはじめる。レイクビュー墓地で静かに眠るトムたちにも、これで安心して顔向け出来る――そうなるはずだった。

 就寝前に私はフローラから渡された謎の資料のことをふと思い出し、その中身を確認した。しかしそこには驚愕すべき内容が書かれており、あまりの恐ろしさのあまり私は言葉を失ってしまう……


 当初は私やエリーに対する励ましのお手紙が入っていると思っていたのだが、そこには約数年間の出来事に対する、フローラの決意と告白が書き記されていた。全体的にネガティブな内容が多く、フローラ自身の心労も数多く書き残されており、かつ数年間におよぶが書かれていた。


 二〇一五年八月をもって・ならびにAMISAする――という驚愕の内容が書き記されており、驚きのあまり私は自分の目を何度も疑った。お手紙の最後に残した彼女の新たなる決意が、研ぎ澄まされたナイフのように私の胸へ深く突き刺さる。


 今まで私はフローラのことを心身ともに強い女性だと思っていたが、どうやらそれは間違いだったかもしれない。――など多くの不幸をフローラは目の当たりにしてきたため、彼女はその現実に耐えられなくなったと思われる。

 以前フローラは私のことを、“誰よりも優しい女性”と言ってくれたことがある。しかし本当に優しい女性は私などではなく、職を辞するほど心を痛めてしまったフローラ自身なのだ。


 普段は私たちに弱音を吐くまいと笑顔で接していたフローラだが、その心の奥底では不安や恐怖に怯え、そしてその悩みを打ち明けることが出来ず、一人で泣いていたのかもしれない。それも職を辞するほどであることから、彼女の心の傷の深さが垣間見える瞬間だ。……今後フローラがさらに深く心を傷つけないことを、私は切に願っている。


 ここ数年間におけるトム、いや……サンフィールド家との出会いによって、フローラとエリー、そして私自身の人生が大きく変化してしまった。――など人が忘れてはいけない感情について、私はトムから色々と学んだ。もっともそのことを今のトムに確認したとしても、困った顔をしつつも“僕は何もしていないよ、香澄”って言いながら、あの子は愛らしい笑顔を返すかもしれないけどね。


 正直な話、トムという少年で出会う前の私は、命の尊さ・人を愛することの難しさなどについて、ただ漠然としか理解していなかった。それも決して間違った考えではないが、私はトムと出会えたことに心から感謝したいと思っている。たとえその物語のエンドロールが、哀しい結末を迎えてしまうと分かっていても……


 同時に私はトムという少年に出会うことで、臨床心理士という仕事に対する責任感の重さを改めて痛感した。一般的には臨床心理士をはじめとした心理職の概念として、相手の心のケアをするだけの職と思われがちだが、私はそう思わない。心のケアをするということはこと――非常にシンプルな言葉だが、これこそ臨床心理士において一番大切なことではないだろうか?


 結果的に私は、一年ほど大学院進学への道を先延ばしにしてしまった。しかしそれは決して無駄に過ごした一年間ではなく、私の人生において有意義な時間となったことは間違いない。そのことを心にとどめながらも、私は臨床心理士へなることを恐れずに前を向き続けたいと思っている。それが私とあの子が交わした、なのだから……]

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