迷いを捨てた香澄

    オレゴン州 トーマスの部屋 二〇一五年八月二五日 午前四時〇〇分

 フローラの命をかけた説得と全身全霊をかけたマーガレットの言葉、彼女たちはその気持ちのすべてを香澄にぶつけた。ポートランドにあるトーマスの部屋で香澄と再会してから、約三時間が経過しようとしている。これだけ必死に自分たちの気持ちを伝えても香澄の心が動かなければ、事態は最悪の展開を迎えてしまうだろう。

 

 だがここでようやくマーガレットたちの気持ちが届いたのか、緊張と恐怖のあまり強張っていた香澄の体も少しずつ力が抜けていく。鬼のような顔でマーガレットたちを見つめていた香澄の瞳にも、うっすらと光が差し込みはじめる。

「トム、本当にごめんなさい。私のせいで……あなたをにしてしまうところだったなんて……」


 まるで何かに取り憑かれたかのように、独り言をつぶやいている香澄。これでやっと香澄を縛っていた心の呪縛が解け、彼女もようやく現実に目を向ける時が来たのだろう。その場に膝を落としながら謝罪する香澄の姿は、まるで自分の犯した罪を天国に眠るトーマスへ謝罪するシスターのようだった。


 そんな香澄を見てやっと心の荷が下りたと思ったのか、これまで強い口調で彼女を責めていたマーガレットの顔にも笑みが浮かんでおり、彼女はそっと手を差し伸べる。

「これからが大変だと思うけど……香澄、みんなで一緒に頑張ろう。私たちも可能な限り、力になるから……ね?」


 マーガレットが差し伸べた手を香澄が握り締め、これでやっとすべてが終わる――だった。床に顔を俯けていた香澄がマーガレットの手を握ろうとした寸前のところで、ピタリとその腕が止まってしまう。

「わ、私はやっぱり……なんて……考えられない!」

 

 フローラやマーガレットたちの努力もこれでやっと報われると思われていたのもつかの間、香澄がずっと右手に握っていた拳銃を、突如自分の右こめかみに当てる。

「!? か、香澄……何をするの! いい加減馬鹿なことは――」

マーガレットが最後まで言葉を言う前に、“カチン”という黒く冷たい鉄の鈍い音が部屋に鳴り響く。


 その瞬間トーマスの部屋には唖然と立ち尽くすマーガレットたちの姿、そしてさらなる無音と沈黙の時間が支配していた……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る